260.家長の心得
一週間、ピカピカの館で待っていた。誰も来なかった。吸血鬼は毎夜、焚き火のそばで膝を抱えて座り、呆然としている。
家の中で食べるより、外の焚き火で食べる方がおいしいと吸血鬼が言うので、食事は庭でしているのだ。
「やっぱり、こんなおじさん顔ではダメなんでしょうか」
「いや、姿絵を持って行ってないから。オッサン顔ってのはバレてないはず」
「では、年上すぎるからでしょうか。数百年ほど年上の男は、若い女性はイヤですよね」
「年齢は言わなかったけどなあ」
「では、クマちゃんのぬいぐるみ持って寝てるのがバレたんでしょうか」
「吸血鬼ってのがイヤなんじゃね」
ガイはばっさり切った。
「そんな、それを言われちゃあおしまいよ、ですよね」
「まあなあ、でも普通の女性は血を吸われたくないと思うぞ」
吸血鬼とガイの会話を黙って聞いていたラウルは、静かに考えを述べる。
「一週間、一緒に寝食を共にした感想だが。そなた、人畜無害だな。そこを最大限に知らしめるのがよいと思う」
吸血鬼なのに人畜無害。清い体で数百年。吸血鬼どころか妖精王にもなれる代物である。
「俺にお任せください。女性を大量に動員します」
ガイは妖精王の意見は聞かず、自分がよいと思う方法で誘致することにした。
数日後、荷馬車に乗ってたくさんの女性がやってきた。
「女性がこんなにたくさん。わ、若くはないが、優しそうだ」
そして、荷馬車から次々降りてくる子どもたち。
「こ、子どもがいっぱい。な、なぜー?」
吸血鬼が叫んだ。
「部屋がたくさん余ってるから。夫に先立たれたり、暴力ふるう男から逃げ出した子持ち女性を呼んでみた。いいな、手は出すなよ? みんな傷ついてるんだ。優しくしてやれ。そうしたら、女性に優しい吸血鬼って評判ができる。急がば回れだ」
「ええー、回りすぎー」
「いいじゃねえか。あと数十年ぐらい、我慢しろよ」
女性たちは、遠巻きに吸血鬼を見て、遠慮がちに頭を下げる。
「あのー、本当にいいんでしょうか。家事をすれば、家賃はいらないって聞いてきたんですけど」
「ああ、いいのいいの。皆さんがここでのんびり暮らして、気が向いたらこのオジサンに優しくするぐらいでいいですからね。まずは自分の生活を立て直すことに集中して」
ガイの言葉に、顔に青あざのあるお母さんが涙をこぼした。
「世の中には、こんなに優しい男性がいらっしゃるのですね。よかった。もう行くところがなくて、夫の元に帰ろうかと思ってました」
「戻っちゃダメだ。殴る男は病気だ。また殴られるぞ。あなただけでなく、そのうちお子さんのことも殴る。俺の姉さんがそうだったからな。気づいて旦那をボコボコにしてやったが」
早くに両親を亡くし、姉に育てられたガイ。大事な大事な姉が、自分の預かり知らないところで旦那に殴られていた。そのときの怒りとやるせなさは今でもガイの心の中で、ドクドクと渦巻いている。
吸血鬼には悪いが、ひとりでも姉のような女性を減らしたい。利用させてもらうことにした。女性は情に厚いから、心の傷が癒えたら、いい嫁候補を連れて来てくれるだろう。ガイは気楽に考えている。
ところが、吸血鬼は引きこもってしまった。
「女の人がたくさん。子どもまで。何をしゃべったらいいのか分からない」
花柄のシーツにくるまり、ベッドの上で膝を抱えて座っている。話し相手はクマちゃんだ。見るに見かねて、ハリソンが話を聞いてあげる。
「みんないい人だよ。話してみたらいいじゃん」
「何を? ねえ、何を?」
「ええー、そうだなあ。やっぱり食べ物の話がいいと思う。吸血鬼特製料理とかないの? 手作り料理をふるまってあげたら、きっと打ち解けるよ」
「それは、トマト煮込み系がいいだろうか」
「いや、トマト煮込み系はやめておこう。赤い料理はやめようよ」
「では、サルマーレだな。ばあさんが漬けていた年代物のキャベツの酢漬けで、ひき肉を包んでスープで煮込む。うまいぞ」
吸血鬼はハリソンの酸っぱい顔を見て慌てた。
「お、すまない。ハリーは肉は食べないんだったな。ハリー用には、トウモロコシの粉で作ったダンゴをキャベツで巻いてあげよう。どうだい」
「ありがとう。できれば、キャベツは畑に生えてるヤツがいいな。お腹が痛くなりそう」
「そうか、ではそうしよう」
吸血鬼は白い割烹着を着て、頭にもきっちり布を巻いて毛が落ちないようにする。興味津々といった様子で、女性と子どもたちが台所に集まった。
吸血鬼は青白い顔を少し赤らめながら、料理の説明を始める。
「まず、豚肉を半殺しにします。塊肉を包丁ふたつで切る、叩く、グチャグチャに」
豚肉がひき肉になった。
「ひき肉に塩こしょうハーブを混ぜて、ギッタギタにします。憎い誰かを思い浮かべながら、殴る、叩きつける、平手打ち」
豚ひき肉がいい感じにダンゴになった。
「ヨレヨレのしなしなになるように茹でさらばえたキャベツで、肉ダンゴの死に装束を作ります。クルクルクル。神に召されよ」
肉ダンゴがしっぽりとキャベツに巻かれた。
「最後はスープでグツグツと。腹の中の怒りが煮えたぎるようにグツグツと」
鍋を持って庭に出る。ラウルがニコニコしながら焚き火の前で待っている。
「火を用意しておいたぞ。楽しみだ」
グツグツ、グツグツ。皆でつぶやきながら、スープの中で肉ダンゴキャベツが煮込まれるのを見守る。
庭に、キャベツの甘い匂いが漂った。子どもたちは喜んで跳ね回る。
「吸血鬼のおいちゃん。また料理作ってね」
「あの肉殺し料理、おもしろかった」
「次は僕がお肉を半殺しにするね」
吸血鬼は子どもたちにまとわりつかれ、目を白黒させている。
「さあ、吸血鬼伝統のひき肉とキャベツの半殺しスープをどうぞ」
吸血鬼はかいがいしく、お椀にスープと肉ダンゴキャベツをよそい、皆に配る。
ふうーふうーふうー、いただきまーす。皆がほおばろうとしたそのとき、
「ヘレナ、こんなところにいたのか。帰って来い」
シュッとした神経質そうな男が現れた。顔の青あざがようやく薄れてきたばかりのヘレナは、サッと立ち上がり、息子を背中に隠した。
イヴァンが立ちあがろうとするのを、ガイは目線で止める。
「わ、私はもう帰らないわよ。ここで働いて生きていくって決めたんだから。あんたに殴られるのは、もうたくさんよ」
ヘレナはブルブル震えながら、それでもきっぱり言った。
「何を分からないことを言ってるんだ。こんな化け物の家で住めるものか。さあ、来い」
「へ、ヘレナに手を出すな。私の、そのー、同居人で雇い人で、えー仲間だ」
「そこはもう、家族でいいじゃないの」
ハリソンが小声で突っ込んだ。
吸血鬼は割烹着と頭の三角巾をかなぐり捨てると、マントをひるがえし男に飛びかかる。
ガブウッ
「いてー」
「マズー」
男と吸血鬼の声がかぶった。
「ペッペッ、マズイ。なんてマズイ血だ。酒の匂いがプンプンする。しかし、それでも男、吸血鬼。吸わねばならぬときもある」
チューチューチュー 吸血鬼は泣きながら血を吸い、たまに吐いた。
男が気を失ったとき、吸血鬼もヘロヘロになった。
「よくやった。よく皆を守ったな」
「おいちゃん、すごいや」
「かっこいい」
「マズイのに、よく飲んだね」
「おじちゃん、えらいよ」
「にんじんも、がんばったら食べれるようになるよ」
吸血鬼は皆に褒め称えられながら、また吐いた。
「も、もう、血は吸いたくありません」
「うん、スープで口直しすればいいさ」
ガイは涙目の吸血鬼に器を渡す。
皆はやっとのことでスープを飲み、肉ダンゴキャベツをじっくり味わった。
「いい家族ができました」
「そうだろ。そのうち、嫁もできるさ。きっと」
妖精王になりかけの孤独な吸血鬼。大家族の家長として、がんばることにした。




