258.頼りになる両親
「ミリーとアルのおかげで、最高の新婚旅行ができた。ありがとうな」
「ふたりでのんびり旅行ができるなんて、夢みたいだわ」
ロバートとシャルロッテは幸せそうに娘夫婦を見つめる。貧乏領地で、領民と家族を支えるため、必死で生きて来た領主夫妻。ふたりで旅行なんてもちろんなかった。
「もう今からここで余生を過ごしたいぐらいだ」
ロバートは半ば本気で言っている。
「ジェイがかわいそうだから。あと二十年は領主やってあげてよー」
ミュリエルは呆れ顔でロバートをさとす。
「あと二十年か。そうだな、ミリーのおかげで金に困らなくなったからな。二十年、がんばるか」
ロバートの言葉に、ミュリエル、ウィリアム、ダニエルの姉弟はホッとする。さすがにジェイムズが不憫すぎるもの。
自由を満喫しているロバート。一番楽しんでいるのは遊戯場だ。
「俺は大人だからな。子どもの遊び場に本気になるわけには行かんが。ミリーとヨハンのために、ちょっと試してみてやってもいい」
かっこつけて建前を述べているが、本音はめちゃくちゃ興味がある。最初はスマして遊んでいたが、だんだんと本気になっていく。壁を誰よりも早く登り、大人の体重で容赦なくブランコを揺らし、屋根からぶら下がった綱をヒョイヒョイわたっていく。
「最高だ。最高だけど、もっと手応えがほしいところだ。ヨハン、俺の限界を試してくれよ」
「そんな無茶な」
ヨハンはロバートに肩を組まれ、泣き声を上げる。
「天井にさ、ハシゴを平行にかけてみたらどうかな。腕の力だけで端から端まで行くんだ。胸と腕の筋肉が鍛えられると思う」
「そんなの、ゴンザーラ家の皆さんしかできませんよ」
「そうか? 落ちたら死ぬわけだし。兵士が必死で鍛えるんじゃないか」
「落ちても死なないように、命綱というものがありまして」
ヨハンは必死で命綱をロバートのベルトに結びつけた。
「なんだ、死なないのか。じゃあ、もっと難しくしよう。壁の端っこで空中ブランコで飛ぶだろう、少し先のブランコに飛び移るんだ。動きが不規則だから、落ちることうけあい」
「なぜ落ちること前提なのでしょうか。もっと楽しく遊んでくださいよ」
ヨハンは頭を抱えて必死に懇願する。
「それぐらい危なくないと、ハラハラしねえだろ。な、いつもウサギばっかり狩ってたら腕が鈍る。たまに魔牛とか魔熊とかと命のやりとりするから、強くなるんだぜ」
「父さん、ヨハンさんをいじめないでよ。平和に穏やかに生きてるオモチャ職人だよ。僕の大事な師匠だよ」
「ウィリー、お前はなんてまともに育ったんだ」
ヨハンとウィリアムは固く手を握り合う。
「ヨハン、ごめんね。父さんも、いつもはここまでアレじゃないんだけどね。今はハメを外しちゃって」
「ハメ、早く入れ直していただきたいですね」
ヨハンはミュリエルに小声で言って、頭をふりふり紙にロバートの望みを書きつける。青ざめながらも、ロバートの希望に沿えるよう努力してしまうヨハンであった。
悪ノリして領民をドン引きさせつつあるロバートと違って、シャルロッテはゆったりと過ごしている。
「温泉って素晴らしいわ。背中のコリがすっかりとれたわ。心なしか、目尻のシワも減った気がするわ」
温かいお湯を手のひらにすくい、首筋にかける。領地では、ゆっくりお風呂に入ることもままならないのだ。水を汲むのも、お湯を沸かすのも、人手と労力がいるのだから。
「ゴンザーラ領にも温泉出ればいいねえ。モモメに探してもらいなよ」
「そうね、それはとてもいい考えだわ。戻ったらお願いしてみましょう。お義母さんが最近、腰が痛いって言ってるのよ。温泉につかれば治ると思うわ」
シャルロッテは、仰向けに浮かんでいるミュリエルに、お湯をパシャリとかけた。
「ミリー、何か聞きたいことがあるんじゃないの?」
ミュリエルはジャボリと沈み浮き上がった。照れ笑いを浮かべながらシャルロッテの隣に座る。
「えへへ、さすが母さん。よく分かるね。あのさあ、子育てってさあ。何が正しいか迷うことばっかりじゃない。母さんはどうやって決めた?」
「例えば何に迷ってるの?」
シャルロッテは穏やかに聞き返す。
「うーん、今はねえ。ルーカスがずっと親指吸ってるのね。それを無理にでもやめさせる方がいいのか。ルーカスが自然にやめるまで放っておくか」
「ミリーも吸ってたわよ。四歳ぐらいまで吸ってて、いつの間にかやめたわね」
「じゃあ、いっかな。前歯が出ちゃうから、無理にでもやめさせる方がいいんじゃって言う人もいるんだよね」
「そういえば、マリーナは、ミリーが産まれてから爪を噛むようになったわね。なるべくマリーナと過ごす時間を増やすようにしたら、噛まなくなったわ。色々あるのよね、子育てって」
ミュリエルは驚いた目をして、シャルロッテを見つめる。
「マリーナ姉さん、そんなことあったんだ。姉さん、私が産まれて辛かったのかな」
「それまでひとりっ子だったところに、妹が産まれるとそうなるわよ。みんな色んなことを飲み込んで、大きくなるのよ。いっぱい悩めばいいわ。答えなんて分からないんだから。正しい答えなんて、ないかもしれないし」
「それは困るね」
ミュリエルはブクブクとお湯の中に沈んだ。ミュリエルが浮いてくるのを待って、シャルロッテはゆっくり話す。
「アルとよく話し合って、そのとき一番正しいと思えることをすればいいのよ。ダメならやり直してもいいんだし。ルーカスの親指吸いは、もう少し様子を見たらどう?」
「うん、そうするね。母乳はいつまで飲ませるんだろうとか。離乳食そろそろかなとか。ずっと悩んじゃう」
「そうね。ひとり目はどうしてもね、分からないことだらけだもの。ふたり目からは、楽になるわよ。適当でもちゃんと育つなーって分かるから」
「そうだよね。私たち六人、立派にいい子に育ったもんね」
ミュリエルは堂々と言ってのけた。シャルロッテは何度も頷いて、同意する。
「本当よ。その通り、みんな立派に育ってくれたわ。元気に大きくなってくれれば、それで十分なのに。まさか王弟と結婚して、領主になるなんて」
「母さんと父さんの育て方がよかったんだね、きっと」
「領地のみんなで育てたのよ。私とロバートだけではとても手が回らなかったわ。ミリーも、色んな人に助けてもらうのよ。抱え込んだらダメよ」
「はーい」
ミュリエルの心の中のモヤモヤが、少し晴れた。母は偉大である。父も偉大だが、今ロバートは遊びに夢中で、親父の威厳は横に置いているのだ。父にも気晴らしは必要なのだ。




