256.美の伝道者
ヴェルニュスに着いたシルヴィー。商人に頼んで、カトレアに会わせてもらった。サマンサからの手紙を預かっていたのだ。
『カトレアへ。ラの人の側近になれそう。占いでガッポリ。そっちはどう? シルヴィーをよろしくね。サマンサ』
「お、おお。サマンサ、相変わらずだな。みんな無事でよかった。えー、そういうことなら、はい。シルヴィーは何しにヴェルニュスへ?」
「ダミアンていう元婚約者を探しに来たの」
「ダミアン、ああ、あの顔のキレイな」
「それ。あのー彼は元気ですか?」
「あんまり元気じゃなさそうな気がするけど」
カトレアは旅行者の監視をする仕事を担っている。カトレア自身が密入が得意なので、どこをどう気をつければいいか、よく分かるからだ。ラグザル王国からの旅行者は、厳重な監視対象。カトレアはダミアンを知っている。
「シルヴィはダミアンとヨリを戻したいの?」
「あ、はい。そうですね。できれば」
「ふーん。じゃあ、変装方法教えてあげるから、自分で尾行したらいいよ。いつもボケーッとしてるから、追いかけるの簡単だし」
カトレアの指導の元、シルヴィは掃除のおばさんになった。痩せてやつれた、さえないおばさん。儚げではなく、お疲れに見える化粧をすれば、あっという間にできあがり。
「ゴミ拾ったりさ、窓拭いたり、草むしりとか。そんな感じでね。誰かに聞かれたら、カトレアの部下ですって言えば大丈夫」
カトレアは気楽に言って、去って行った。シルヴィーは、バケツにぞうきんを入れて、オドオドしながらヴェルニュスを歩く。
「随分と活気があるんだわ。男はほとんど殺されたって聞いていたけど」
通りには、様々な年齢の男性がいるように見える。忙しそうに歩く職人や、裕福そうな人たち。そして、美しいダミアンと、いけすかないエンリケ。
シルヴィーは慌てて道の端っこに寄った。うつむいたまま、ドキドキしながらダミアンを待つ。
「あのミランダさんにそっくりの、デイヴィッドさんか。会いたいなー」
エンリケが邪なため息を吐いている。彼は男だが、若くて美しい男が大好きなのだ。
「まさか、ダミアンより美しい男性がこの世にいるなんてなあ」
エンリケはウットリとした目で空を眺めている。おおかた、デイヴィッドの顔を、必死で思い描いているのだろう。
シルヴィーは、食い入るようにダミアンを見つめる。ダミアンは浮かない顔をしたまま、何も言わなかった。
その日いっぱい、シルヴィーはダミアンをつけ回したが、ダミアンはシルヴィーに気づくことも、シルヴィーを思い出してるそぶりも見せなかった。
「で、どうだったのよ?」
シルヴィーが疲れた顔で道端の草むしりをしていると、肉を挟んだパンを持って来たカトレアに声をかけられる。シルヴィーはパンを受け取り、もそもそとかじりながら、力なくかぶりを振った。
「ダミアンはとても素敵で、やっぱり好きだなあって思いました。でも、私、ダミアンの美しさを利用してたんだなって。それはエンリケと同じだなって、気づいちゃって」
エンリケは、シルヴィーとダミアンの仲を割いた張本人だ。エンリケは、利用価値の高い若い男を利用し、うまみをすすって生きている寄生虫のような男だ。
エンリケは、どこかでダミアンの肖像画を見て、画家を通して近寄ってきた。
「ヴェルニュスの天才画家に姿絵を描いてもらおう。銅版画ならいくらでも刷れるから、ダミアンの美貌を世に広められる。そうすれば、世界的な舞台俳優への道が近づくぞ」
そう言ってダミアンをそそのかし、まんまとヴェルニュスに連れて行ったのだ。世界的に有名になれるという考えに取りつかれたダミアン。ただのバレリーナのシルヴィーは、自分にふさわしくないと思ったらしい。
「私、孤児だったの。見た目がよかったから、バレエ団に買われてね。小さいときからずっと訓練。それなりのバレリーナになれたわ。舞台で観客から見られるの、好きだった」
訓練と本番しかない日々。そんな中、練習を見学に来たダミアンと恋に落ちた。
「ダミアンと街を歩くとね。みんなが私たちを見るの。なんて美男美女の恋人たちだろうって。踊ってないの、ただ歩いてるだけなのによ。吐くまで練習して、血まみれの足で舞台に立たなくてもね。ただ歩いてるだけで」
だったら、もういいんじゃないか、そう思ってしまった。美男美女として幸せに。舞台俳優の妻としてそれなりに。すっかり練習に身が入らなくなり、シルヴィーはバレエ団をクビになった。そして、結局ダミアンにも捨てられた。
「意地でもダミアンと結婚しなきゃって思って、ここまで来たんだけど」
どうしよう。シルヴィーはダミアンになんと声をかけていいか分からない。
「ふーん、そうなんだ。私は男をだますためだけに生きてきたからさ。そもそも純愛を信じてないんだけど。結婚したいなら、できるようにすればいいんじゃないの。あのエンリケってやつをヤルとかさ」
「ヤル」
「まあ、シルヴィーには無理か。子どもできたって言えばいいじゃん」
「まだそういう関係ではないので」
「あ、そうなんだ。でもさあ、今絶好の機会だと思うよ。だって、ダミアン、落ち込んでるもん。色々聞いてきたんだけどさ、絵描きのユーラに断られたんだって。ユーラ、忙しいから」
シルヴィーは、口の中のパンと肉をのどに詰まらせそうになりながら、カトレアを凝視する。
「エンリケはさ、自信満々だったらしいんだけど。ダミアンの美貌を前にしたら、画家は描かずにいられないだろうって。でもねえ、ユーラはミランダさんを見慣れてるからねえ。普通程度の美形じゃ、心が動かないんだってさ」
「ミランダさんってそんなに美人なの?」
「あ、まだ見たことない? そろそろこの辺り通るから見れるよ。宿泊客への美容教室が終わる時間だわ。ああ、ほら、あの人」
美そのものが、高級宿から出て来た。夕焼を背景にゆったりと歩く姿は、光り輝く女神さながら。通りの人々が一斉に動きを止め、その光景を目に焼きつけようと一心に見つめる。
「ね、すごいでしょ。神々しいもんね」
シルヴィーは言葉が出なかった。何が美男美女の恋人たちだ。自分の口を切り取って、ゴミ箱に捨てたいぐらいだ。
「ダミアン、落ち込んでるだろうな」
シルヴィーにはダミアンの絶望が手に取るように分かった。世界的に有名な俳優になろうとヴェルニュスまで来て、世界最高峰の美を目の当たりにしたのだ。上には上がいる。知ってはいたけど、たった今、心の底から理解した。
「落ち込んでる男は落としやすいよ。ほれ、落として、それから救ってあげなよ」
カトレアに背中を押され、シルヴィーは駆け出した。ミランダをボケーっと見つめているダミアンのところへ。
「ダミアン」
ダミアンは振り返るといぶかしげにシルヴィーを見る。シルヴィーは、ハッと気づいて、頭に巻いていた手拭いを取る。ついでに、顔に描いたシワも手拭いでふく。
「ダミアン、私、シルヴィー。あなたを追いかけて来たの。あのね、あなたを利用しようとして、ごめん。あなたと歩いてると、注目されるから、いい気になってた。結婚すれば、もう苦しい練習をしなくてすむって、それで結婚したかったの」
「シルヴィー」
「私ね、あなたの顔がすごく好きなの。その顔を一番近くで見ていたいの。一生懸命、働くから、ふたりで暮らさない?」
シルヴィーはダミアンに手を伸ばす。ダミアンはためらうことなく、シルヴィーの手を取った。
「俺も、いい気になってた。だから、おあいこだ。一緒に帰ろう、ラグザル王国に」
「ええ、帰りましょう。ここは、私たちには眩しすぎる」
ふたりは固く抱き合った。その姿を、カトレアがうらやましそうに見つめている。
***
エンリケとは別れ、シルヴィーとダミアンはラグザル王国に戻って来た。途中、カトレアからの手紙をサマンサにも渡した。
ふたりは、ダミアンの家の屋根裏部屋に立っている。目の前には、少し老けたダミアンの肖像画。
「俺は、シルヴィーと一緒に老いて行きたい。だから、俺の老いを返してくれ」
その途端、肖像画のダミアンがミランダばりに光り輝いた。ダミアンは肖像画に布をかけると、シルヴィーに向き直る。
「どう? 老けた?」
「落ち着いたのよ。少し成長したの。不足を知り、努力することを覚えたの」
「そうだな。じゃあ、がんばって売ろうか」
「ええ、バリバリ売りましょう」
シルヴィーとダミアンは、カトレアの紹介でミランダとその家族と会った。そして、イローナに任命されたのだ。
「あら、おふたり、並んでると美貌が掛け算になるのね。素敵だわ。ラグザル王国の王都で、もっと販路を広げたかったの。正規販売者になっていただけないかしら?」
見る目があり、商魂たくましいイローナは、シルヴィーとダミアンの才能を見抜いた。
「おふたりがすすめれば、みんな買うわね。よろしくお願いしますね」
そう言って、イローナはミランダの美容冊子を大量にふたりに押しつけた。
「追加分も送りますからねー」
ダミアンとシルヴィーの愛の巣には、美容冊子が入った木箱が大量に置かれている。
「さあ、行きましょうあなた」
「ああ、売ろう。売って売って売りまくろう」
ラグザル王国に、美貌の夫婦によるミランダ旋風が吹き荒れる。




