253.パッパにも運べないもの
「ああ退屈だなあ」
暇すぎるので、ジーンは今までのことを振り返ってみた。なんの因果かランプの精となって、早数千年。幾多のご主人の願いを叶えてきた。
ジーンはランプをこすったご主人の願いを、三つ叶えることができる。三つ叶えると、ジーンはまたランプに戻ってしまう。そして次のご主人に呼ばれるまで、じっと待つのだ。
ひとりめは、頬が真っ赤なかわいい女の子だった。「病気のお母さんにリンゴを食べさせてあげたい」「隣のおうちのお馬さんが、無事に赤ちゃん産めるといいな」「巣から落ちて死んじゃった小鳥さんを生き返らせて」
「最初のふたつはお安い御用。でも、死んだ命を生き返らせる事はできない」
「じゃあ、この子が神様のもとに行けるように助けてあげて」
ジーンは巣があった木の根元に小鳥を埋め、花を咲かせてあげた。
「あの子はいいご主人だったなぁ。いいご主人ほど長く一緒にはいられないんだよなぁ」
欲のない人は、小さなささやかな願いで、すぐ終わってしまう。ジーンが戻ったランプは、どこかに飛んで行き、しばらく人から離れる。そしてまたどういうわけだか人の手に渡る。
次のご主人は医者を目指す真面目な男だった。ランプを磨いてジーンが出てきた時に、腰を抜かしながら、三つの願いの話を聞き真剣に悩んでいた。
「世界平和とか、すべての人の病を癒すとか、そういう事はできないんだね?」
「そういう大きすぎる願いは叶えられない」
ふむ、医者のご主人は考え込んだ。
「では、これはどうだろう? 僕が誰かを診察した時、一番正しいと思われる治療方法にたどり着ける確率が上がる」
「回りくどいけれどできない事は無いなぁ」
「裕福ではなくていいけれど、食べ物と寝るところに困らないくらいの収入が欲しい。そうすれば、貧しい人の医療費をまけてあげられる」
「それぐらいならできるなぁ」
「好きな人がいるんだけど。その人に告白する時、そばで見ていてくれないか?」
「お安い御用」
あいつはいいご主人だったなあ。ジーンは黒猫に化けて、ご主人の告白を見守った。優しい目をした女性だった。あのふたりなら、きっと幸せに暮らしただろう。
それからはあまりいいご主人に当たらなかった。町中の美人と結婚したいだの、大きな屋敷にぎっしり金貨を入れてほしいだの、商売敵が病気になるようにしてくれだの。
できますよできますけどね。そんなのやりたくないんですなあ。
「あー次はいいご主人に当たりたい」
ふと誰かに持ち上げられた気がして、ジーンは静かになった。
「ほう、これはランプかな?」
「左様でございます。中に油を入れましてですね。この注ぎ口の所に火をつけるんです。あまり明るくは無いですが、雰囲気はいいですよ」
「良さそうだ。いただこう」
とても耳触りの良い若者の声。この声と同じぐらい、心のキレイなご主人だといいなあ。ジーンはランプの中で思った。
やっとのことで、呼び出され、ジーンは張り切って挨拶する。
「呼ばれて飛び出ました。ランプの精のジーンです。ご主人様の願いを三つ叶えるよ」
陽気に言って、バチコーンと片目をつぶったところで、ジーンは固まった。
今まで見たどんな美人よりも美人な男。なんだなんだなんだ。そして、隣には空の娘イシパ。
「どないなっとるん」
美しい男は床に置かれた大きなクッションに、イシパと並んで座っている。色気がダダ漏れの男は、くつろいだ様子でイシパの肩に頭を持たせかけている。
「おお、ランプの精、ジーン。まだランプの中にいたとはな。誰にも自由にしてもらえなかったのか?」
イシパが同情したような表情でジーンを見る。イシパの隣の美しいご主人が、まっすぐにジーンを見た。ジーンはドキマギしてクネクネする。
「君は自由になりたいのか? では願ってあげよう。ジーンがランプから自由になれますように。これでどうだい?」
ジーンはランプから解き放たれたことを知った。
「おおおおおお」
ジーンは雄叫びをあげる。まさかこんなにあっさりと。ランプから自由になれるとは。今まで誰にも願ってもらえなかったのに。
「ありがとうございます。あとふたつ。ふたつの願いを叶えます」
ジーンは喜びで飛び上がりたいのを、必死でこらえる。ご主人の役に立たなくては。
「願いねえ。特にはないんだけどな。愛する妻がいて、念願の旅にも出られている。金にも仕事にも不自由していない。ああそうだ、例えばこんなことはできるかい?」
デイヴィッドの願いは、ジーンにとってはなんてことのない簡単なものだった。
貴重な願いをこんなことに使う奴がいるとはなあ。
ジーンはランプを持ってビューンと飛びながら、理解が追いつかなくて頭を振る。
欲があるのかないのか何なのか。ジーンはでも、ニヤニヤするのを止められない。
ジーンはどんな鳥よりも早く飛んで、あっという間にヴェルニュスに着いた。
「ええっと、ぽっちゃりした多幸感のあるおっさんか、デイヴィッドと同じ顔の女性。おお、いるいる。あのふたりだな」
ジーンはニコニコしながら、腕を組んで散歩している男女の前に降りたった。
「デイヴィッドのご両親ですね。デイヴィッドからの荷物を届けにきました。まずはお手紙をどうぞ」
デイヴィッドの父親が、急いで手紙を開ける。
『父さん母さん元気ですか? こちらはみな元気です。アッテルマン帝国の端っこにいます。イシパと楽しく旅をしています。旅に出るわけにもいかない母さんに、せめてもの旅気分をと思ってね。アッテルマン帝国の美味しいご飯を、ジーンに届けてもらうことにしました。みんなで食べてください。ではまた。デイヴィッドとイシパより』
「まあ、デイヴィッドったら」
「なんといい息子だ」
ふたりは目を潤ませてジーンを見つめる。
「このランプの中に、料理がたくさん入っています。みんなで食べてください。まだ熱々です」
ジーンは自慢げに胸を張った。ランプに入れれば、熱々の料理が、いくらでも運べるのだ。今まで、ランプに料理を入れて運ぼうとしたご主人はいなかった。さすが、新しいご主人。目のつけどころが斬新だ。
「今日は宴会ですね。ジーンも一緒に食べましょうね」
デイヴィッドの母親に優しく微笑まれて、ジーンは危うく宙から落下するところであった。
「私までいいんですか?」
「もちろんですよ。皆で食べる方がおいしいじゃない」
あれよあれよと言う間に領民が集まった。庭に大きな机が出され、そこにジーンがホカホカのごはんを次々と並べる。
「レオに色んなお土産をもらったけれど、できたてのお料理は無理だったものね。そうなの、アッテルマン帝国では、こういうごはんを食べるのね」
デイヴィッドの母親は少しずつ色んな料理を食べながら、ニコニコと微笑む。そこここで、鼻血を噴き出す領民が出たが、ジーンは見なかったことにした。
「懐かしい故郷の味です。持ってきた香辛料がもうなくなっていたので、嬉しいです」
アッテルマン帝国の踊り子たちが、幸せそうにほおばっている。
「ねえ、ジーンさん。次はラグザル王国からごはん持ってきてくださらない?」
ジーンはラグザル王国の踊り子たちに囲まれた。
「ご主人、デイヴィッドが命じてくれれば」
「デイヴィッドに手紙を書いておこう。渡してくれますか?」
デイヴィッドの父親に丁寧に頼まれた。
「ルーカスが大きくなったら、アルと旅行しようと思ってたんだ。ミランダさんとパッパも一緒に行こうよ。一緒においしいもの食べに行こう。私が守ってあげる」
森の娘がドーンと胸を叩いた。
「まあ、ミリー様に守っていただくなんて。そんな厚かましいこと。でも、お願いしますわ」
デイヴィッドの母親が柔らかく笑い、数人の男女が倒れた。
ジーンはこんなに楽しい宴会は初めてだ。こういうお使いなら、いくらでも大歓迎だ。
「数百年ぐらい、デイヴィッドさんに仕えますんで。色んな国から料理を運びますね。たくさん宴会しましょう」
デイヴィッドの許可は得ていないが、ジーンは勝手に決めた。あのご主人なら、きっと許してくれるだろう。まだ願いがひとつ残っているから、ご主人だ。料理を運ぶのは、ジーンの自主的な思いだから、問題あるまい。
仮に、ご主人に三つ目の願いを言われても、「ああ、それ。私がちょうどやりたいなーと思っていたこと。願いに入りませんなあ」って言えばいいだろう。それにランプからは解放された。好きな人に仕えていいはずだ。
出前屋ジーンの始まりであった。




