252.天網恢々
昔から人のものを取るのが好きだった。特に人の男を取ると生きてるって感じた。別につき合いたいわけではない。だから婚約者のいる男性がちょうどよかった。
夜会は絶好の狩場だ。夜会にはひとりで行く。壁の花になり、周囲を観察する。長年婚約し、まもなく結婚するふたり。それが狙い目だ。
幸せいっぱいのはずなのに、漂う一抹の不安。あー、ついに。俺の人生決まってしまった。もう他の女の子と遊べない。本当に彼女でいいのかな。もっと他にいい子がいたんじゃ。
人生で最も幸せな日を迎えるに当たって、男の心は千々に乱れる。
彼女が化粧室に行ったら、メイサの出番。さりげなく、そばに行き、男からダンスに誘われるのを待つ。踊り始めればこちらのもの。
「まもなく結婚されるんですってね。おめでとうございます。でも少し残念です」
潤んだ瞳でそうささやくだけ。踊り終わってバルコニーに出ると男は必ず追ってくる。
「君、さっきのどういう意味かな?」
初めて会った可愛い女の子が意味深なことを言う。男にとってたまらない状況だろう。
そこからはメイサの独壇場だ。
「はじめてのお茶会で緊張していた時、あなたが優しく話しかけてくださったの。とても嬉しかった。でも、あなたには婚約者がいたから、ずっと気持ちを押し殺してきたんです」
絶対無かったとは言い切れない、ありふれた出来事。男はたいてい、コロリと信じる。
「最後に気持ちを伝えたくて」
そう言って目を伏せ、肩をふるわせれば、心の揺れない男はいない。健気にずっと自分を思っていてくれた、一途な少女。
それにひきかえ、婚約者ときたらどうだ。結婚式の手配、招待状の準備、新しい家の家具の見立て、召使たちへの差配、子供は何人ほしいか、花嫁衣装はどうするか。そんな話ばかり。忙し過ぎて、ちっとも恋人らしい時間を取れない。
でも、今更結婚はやめられない。
「お二人の邪魔をするつもりはありません。最後の思い出に、抱きしめていただけないでしょうか」
そう言われて、断れる男がいるだろうか。いやいない。
メイサは男の胸の中にまんまとおさまると、注意深く会場の様子を伺う。婚約者の女性が戻ってきて、彼の後ろ姿に目をやれば潮時だ。
「私、もう行きます。どうぞお幸せに」
小走りで駆けて会場から抜け出す。
「あー楽しかった」
これであの男はメイサを一生忘れない。そして女性は疑問を胸に抱いて生きていくことになる。あの時バルコニーで彼は誰かと抱き合っていたの? 彼は他に好きな人がいるの? 最近うわの空のことが多いんだけど、もしかして。
我ながら性格が悪いが仕方がない。何不自由ない暮らしをしているけど、だからこそ退屈だ。誰かと結婚したところで、その男の心しか手に入らない。でもこうやって結婚間近の男の心を惑わせれば、その男の心に一生メイサが残る。
男はずっと考え続けるだろう。あれは誰だったのだ。名乗らなかった可憐な少女。俺のことを一途に愛した少女。思い出は美化され、心の中でメイサは実物以上の美人でいられる。
夜会のたびに、メイサは違うかつらをかぶり、新しい化粧を施す。誰もメイサのイタズラに気づかない。そうやって悪びれることもなく、幾多の男女の心に波乱を巻き起こした。
「バチが当たったのでしょうか? ある日、目覚めたらこんな姿になっていました」
もう開けることのできない目を、まっすぐ前に向ける。メイサの目には映らないが、そこに湖があるのは知っている。黙って身の上話を聞いていた男たちが、かすかに身じろぎをした。
明るい声が、バッサリと、何もためらうことなくメイサをぶった斬る。
「うん、そりゃそうなんじゃない。めちゃくちゃ性格悪いじゃん」
「ですよね」
メイサはうつむいた。頭を動かした拍子に髪がワサワサざわめく。
「ハリソン、言い過ぎだぞ」
優しい声がたしなめる。
「確かに悪いことをしていたが。だからといって、怪物メドゥーサもかくやという姿になるほどだろうか」
「え、それほどの悪いことなんじゃないかなー。だって、幸せな結婚間近のふたりに割って入ったんでしょう。そりゃダメだよね」
許せないよねえ、ハリソンという少年は犬と話し合っているようだ。犬はワウワウと同意している。
「コラーと似ているから、つい同情してしまう。その頭のヘビは、ごはんは食べるのか?」
優しい少年がおかしなことを聞くので、メイサはつい笑ってしまった。
「私の姿を見て、石にならなかった人も、恐れず話しかける人も今までいませんでした。あなたは優しい人ですね」
「うむ、どのようなアホの子でも、余が守るべき民だからな。そなたにも、それなりに幸せになってもらいたいのだ」
優しい王子様は、メイサの頭上でワラワラと揺れているヘビに、魚を与えているようだ。
「やはり生魚がいいようだな。ハリソン、もっと釣ってくれないか」
「いいよー」
ハリソンが釣った魚。焼いた魚をメイサに、生魚を頭のヘビに与える王子様。
「ハリソン、どうだ。メイサはかれこれ百年近く、人里離れて生きている。罰は十分受けたのではないか」
「えーそれは知らないけど。海ブドウ飲んでみる? もしかしたら元に戻るかもしれないよ」
メイサはしばらく考えた。ゆっくりと首を横に振る。
「いえ、結構です。今までたいした償いもせずに、ただ生きてきました。せっかく力を手に入れたのです。これを活かして、盗賊退治でもします。今まで傷つけた人の分だけ、誰かを救えば、もしかしたら元に戻れるかもしれません」
メイサは、目を開けて誰かを見れば、相手を石にできる。普段は厄介なので目は閉じている。閉じていても、ヘビの目で見たものがメイサにも見えるので困ることはない。
「コラーがとてもかわいいので、私もコカトリスと友だちになりたいです」
「それはよいな。とてもよいと思うぞ」
メイサは王子様たちと別れた。初めて前向きに生きる目標ができた気がする。
もし、元の姿に戻れたら。
「王子様に好きですって言ってみよう。絶対断られるけど。でも、いいの」
メイサは誰も足を踏み入れたことのない、未開の地に足を踏み入れる。そのうちコカトリスと出会うだろう。
しばらくして、コカトリスの集団を引き連れたヘビ女が、ラグザル王国で話題にのぼるようになった。
「女に乱暴を働こうとした狼藉者がさ、ヘビ女にあそこを石にされたらしい」
「女が泣いてお礼を言ったら。名乗るほどの者ではござんせんって言って、去っていったらしい」
「えーなにそれ。かっこいいじゃーん」
「夜会の庭園で浮気してる男をぶん殴ったってー」
「人を傷つけると、いずれ自分にも返ってくるぜお前さんって言ったんだってー」
「渋ーい」
メイサ、割と楽しんで生きている。
「ラウルはさー、みんなに優しくしてると、そのうち痛い目にあうよ」
「ハリソン、そなたに言われる筋合いはないぞ」
実に仲の良い、似た者同士であった。




