251.嫁の条件
キャリーの面倒は、カトレアとダイヴァが見ることになった。さすがにミュリエルは、将来ルーカスの嫁になるかもしれない女の子の面倒を見るほど、心が広くない。
「姉弟みたいに育ったら、よくないよね。結婚どころじゃないよ」
そういうことにしている。
父親役としては、ジャックがあてがわれた。ただいるだけで、ほとんど何もできていないが。
「女の子の赤ちゃんは初めてです。楽しいですね」
「赤ちゃんのお世話をしたのは、初めてじゃないけど。全然楽しくないです」
ダイヴァとカトレアは真逆の反応を見せている。
「ていうか、原初の魔女だと思うと、手が震えるんですけど」
カトレアは憂鬱な顔をしている。恐怖政治の頂点に立っていた原初の魔女。カトレアは怖くてたまらない。
「大丈夫。多分原初の魔女としての記憶はもうその子にはないから」
キャリーの記憶は全てミュリエルに渡ったのだと思う。そんな気がする。色んな魔女の怨念と怨嗟を一身に受け取っていたキャリーの記憶。長く暗く辛い。ただ恨みを晴らすためだけのキャリーの人生。
ミュリエルはその膨大な記憶を忘れることにした。だって多すぎて覚えられないし。覚えてるとミュリエルも暗くなってしまうではないか。古くてイヤなことは、忘れるに限る。
キャリーはすくすくと育った。ほんの数日で5歳ぐらいの大きさになった。
「小さくて可愛いときをもっと堪能したかった」
ダイヴァが嘆く。
「手間がかからなくていいじゃないですか」
カトレアは淡々としている。
5歳ぐらいの女の子はませているので、あまり手がかからない。ルーカスの面倒も率先して見てくれる。一緒に遊ぶのにもちょうどいい。急にできたお姉さん的存在にルーカスはご機嫌だ。
「ルーカスを取られる気がする」
キャリーとルーカスが遊んでいるのを眺めながら、ミュリエルは珍しく嫉妬をしている。
「大丈夫。ルーカスを取ったりしない、約束」
キャリーはその約束だけはきちんと覚えていた。
キャリーはどうにも人間離れしていて、普段はふわふわと宙に浮いている。地面に立っていると、真っ白な長い髪にネコがまとわりつくのだ。
宙に浮いていると、無事かというとそうでもない。ハチが飛んできたり、蝶々が群がったり。それでも浮いている方がやはりまだマシだ。地面にいると、下手をするとアリが登ってくる。ちょっと不憫かもしれない。
まもなくジェイムズが領地に戻らなければならない。姉弟とアルフレッドとルーカスでしんみりとお茶会だ。
「ウィリーとダニーはいつ帰ってくるの?」
「僕は帰らないよー。だって僕ここでオモチャ職人になるんだもん」
ジェイムズの問いかけに、ウィリアムがシレッと答えた。
「僕は本を読み終わったら帰るよ」
「領地に本をたくさん買ってやるから帰ってこいよ」
「うん」
「父さんと母さんが悲しむぞ」
「うん」
ダニエルのつれない返事に、ジェイムスは苦笑する。
「ジェイはさぁ、領主じゃなかったら何になりたいとかあるの?」
ミュリエルがクルミをゴキッと割って、実をポンと投げた。ジェイムズは器用にクルミを口で受け止め、バリバリ噛み砕きながら考える。
「僕は、獣医か医者になりたかったなぁ」
「ジェイは真面目だねえ」
ミュリエルは頬杖をついてジェイムズを優しい目で見つめる。
「獣医と医者の勉強したらいいんじゃない? 王都で。マリー姉さんの子供が、もしかしたら領主になってくれるかもしれないじゃん。生まれてから餌付けすればいいよ」
「そうだよ。兄さんばっかりいいもの食べてさあ」
ロバートの教育方針だ。領主と次期領主はいいものを食べる。牛肉なら、腰椎に沿ったヒレ肉の中心部分。牛の身体のなかで最も動かすことの少ない部位で、とても柔らかく脂肪が少ない。
鶏肉なら、首の肉。よく動かす部分で身が引き締まり、歯応えがあって旨味も強い。
まだ硬くなっていないパン。芽の出ていないじゃがいも。傷のないりんご。つみたての木イチゴ。
「ジェイ兄さんばっかりずるい」
弟たちはよく抗議の声を上げたものだ。
「領主は大変なんだ。これぐらい、いいことがないとやってられない」
ロバートは取り合わない。
「あれ、もしジェイ兄さんが領主にならないんだったら、おいしいもの食べ得。食べ逃げ」
「ずるい。僕ヒレ肉なんて食べたことないよ。父さんとジェイ兄さんとばあちゃんが食べちゃうから」
ばあちゃんは、「元領主もおいしいものを食べる権利がある。大変だったからな」ウシシと笑って一番良い所をかっさらっていくのだ。
「う。ちゃんと領主になるから」
ジェイムズは困った顔で、宣言した。ハッとした顔でミュリエルが弟たちを見回す。
「あれ、私いいもの食べてないのに、領主になったね。ひどい」
「今いいもの食べてるだろう。毎日ケーキとか」
「そっか。それもそうだね」
姉弟たちの間で、なごやかな笑いが起こった。アルフレッドは静かに聞きながら、もっと妻と義弟たちにヒレ肉を食べさせてあげよう、そう心に誓った。領主になるという重責が、肉の部位でごまかされているとは思わなかった。
「アル兄さんは、どうやって王族の自覚を持ったの?」
「そうだな。たまに父上が、地図上で駒を使った戦略分析をやってくれたよ。僕が駒をどこかに動かすだろう。間違っていたら、今ので2万人の兵士が死んだな、王都が火の海だって淡々と言われるんだ。あれは重かった」
「か、かわいそう」
ミュリエルは思わずアルフレッドの頭を撫でる。アルフレッドは素直に、ミュリエルの肩に頭を乗せた。ルーカスがつかまり立ちして、アルフレッドの頭を撫でる。ふたりに撫でられ、アルフレッドは至福の笑みを見せた。
「王家ってすごいね。僕、肉の取り合いですんでよかった」
弟たちが顔を見合わせる。そんな分析されたら、悪夢を見そうではないか。
「あとは結婚相手だよねー。今はよりどりみどりだけど。ジェイはそろそろ考えないとね」
王弟の義弟という地位のおかげで、ジェイムズのところには見合い話がひっきりなしに来ている。
「父さんは、一番持参金の多い人とか言ってたけど」
「そんなの無視でいいよ。父さん、自分は好きな人と結婚したくせに」
「母さん、持参金はほとんどなかったんだよね」
「そうだよー、駆け落ちだもん。ジェイも、好きな人と結婚しなさい」
「うん。それが問題なんだけどね。誰か好きになるかなあ」
「大丈夫だよ。私も最初はよく分からなかったけど、今はアルが大好きだから」
ドヤ顔で堂々とのろけるミュリエル。
「今日はいい日だなあ」
ミュリエルに甘やかされ、アルフレッドがしみじみと言う。
「ルーカスは産まれてすぐなのに、もう婚約者候補がいるもん。すごいよ」
ジェイムズの言葉に、ミュリエルはクワッと目を見開く。
「あくまでも、候補だから。選ぶのはルーカスだから」
「僕は、医者か獣医の相手がいいかな。領地で病人出ると焦るから」
とても打算的なことを言っているジェイムズ。
医者も獣医も、ハリソンが戻ってくれば必要ないのだが。まだ誰もそれは知らない。ジェイムズとラウル。ハリソンはどちらを選ぶのか。




