239.桃の子
モモアは静けさを味わっている。何も聞こえない。恐ろしいような無音の世界。
「ずっと心の声が聞こえるって、落ち着かないでしょう。寝れないよね」
ミュリエルがモモアの耳に色んなものを詰めてみた。人形に詰めるワタ、ドングリ、そら豆。パンのカケラは断った。どう考えても、耳の中がカサコソする。
最終的に、ミュリエルのつけていた腕輪のガラス玉が効果があった。
「でも、これは大事なものでしょう?」
誰かが、ミリー様の家宝なのに、と心の中でつぶやいたのが聞こえた。
「大事なものだけど、大丈夫。ゴンザーラ領にまだガラス玉あるからね。父さんに持ってきてもらえばいいし」
ミュリエルが心から言っているのが分かったので、モモアはありがたくもらうことにした。最初は、ガラス玉を耳の穴に詰めていた。耳の穴に詰めなくても、耳につけていれば同じ効果があると分かった。
「かっこいい耳飾りにしてやるからな」
銀細工師がかっこいいのを作ってくれた。それ以来、モモアの世界に静寂が訪れた。
モモアの今のお気に入りは音楽だ。ゲッツの奏でるオルガンに、ピッタリ耳をつけて、その振動と響きを楽しむ。
体の中が音楽でいっぱいになる感じ。ゴウゴウといつも騒音が渦巻いていたモモアが、オルガンの柔らかな音で満たされる。
他の子たちも助けてあげたい。ミリー様ならきっとなんとかしてくれる。モモアは決意した。
***
森の奥の長い洞窟を抜けると桃源郷であった。夜の底が桃色になった。桃の木の上に、シロが止まった。
『よかれと思ってやっているみたいですけれども。里の人は子どもを育てる余力がないそうな。特に、強い力を持つ桃の子は恐れられている』
シロのホッホーを聞いて、桃の木たちはザワザワと枝を揺らした。
ハラハラリ 桃の花びらがシロを桃色に染める。
『子どもができたら、ヴェルニュスによこしてください。森の娘が守ります』
桃の木たちはユラユラ揺れながら考えている。川に流してヴェルニュスまで届ければよいのか。遠すぎないか。途中で産まれちゃったら。海に行っちゃったら。迎えに来てもらえまいか。
ザワザワユラユラしながら桃の木たちは困っている。
『呼んでくれたら迎えにきます。その代わり、食べてもいい桃もください』
シロは折れた。その代わり、ちゃっかり要求も通した。
桃の花びらを盛大に浴びながら、シロは飛び立った。
***
「人の子よ。そなたらの願いは聞き届けられた」
とは言っていないが、桃色の花びらをまとったフクロウは、そんなことを言いそうに見えた。神の使いとしか思えない、派手派手さ。
ハラハラと桃の花びらをまき散らしながら村を一周し、ポーンと手紙を落として飛び立った。
『モモアは無事。ヴェルニュスに住んでいる。会いたければいつでも来てください。桃の子を育ててくれてありがとう。大きな街で、サイフリッド商会に行って、ヴェルニュスに行きたいって伝えてください。そしたら連れて行ってくれます。桃の子って言えば伝わります。ミュリエル・ゴンザーラ』
村人たちは手紙を読んで口々に言い合う。
「ヴェルニュスってどこだよ」
「知らねー」
「オーガの島か?」
「知らねー」
誰もヴェルニュスを知らなかった。でも、誰も困らなかった。モモアのことは、村人の中でなかったことになっていたから。
***
村からしばらく飛んで、海を渡って、シロは小さな島に着いた。桃の花びらがすっかりとれたシロは、白いフクロウに戻っている。
シロは悠々と島を飛ぶと、城壁の中の集落の上でポトリと手紙を落とす。先ほど、人の村に落としたのと同じ内容だ。
オーガがのしのしとやってきて、ギロリとシロを見る。手紙を読み上げると、オーガたちは歓声を上げた。
「モモア、ヴェルニュスで生きてるってよ」
「あいつ、海で泳いで溺れたと思ってたけど」
「潮の流れが速かったから、てっきりもうダメかと思っていた」
「生きてたのか。よかったなあ」
オーガたちは袖でゴシゴシ目をこすった。
「他の桃の子らも、ヴェルニュスに行くか?」
四人の桃の子が顔を見合わせる。
「俺は、ここで暮らしたい。ここに住んで、もう四十年。今さら、人と暮らしたいとは思わない」
一番年上の桃の子が言った。
「俺は、ヴェルニュスに行ってみたい。しばらくしたら、また戻ってくるかもしれないけど」
二番目の桃の子が言う。三番目と四番目が顔を見合わせて頷く。
「じゃあ、三人でヴェルニュスに行って。戻りたくなったら帰ってくるか」
「お土産よろしくな」
「途中でお前らの里に寄って、もう桃の子を捨てるなって言ってやれ」
「いや、それは。行くって言ったのは俺たちだし」
一番若い桃の子がうつむいて唇を噛み締める。
「なんでだ。まだ十歳の子どもをオーガ退治に寄越すのは、つまりそういうことだろう。俺たちはいいオーガだからよかったものの。人食いオーガだったらお前らとっくに食われてたぞ」
「そうだそうだ」
オーガは鼻息荒く、足を踏み鳴らす。ドシンドシンと地面が揺れ、シロが止まっている木もグラグラした。
「モモアが言ってただろう。村人たちは、桃の子の力を恐れてたって。それで、オーガ退治の話を巧みに持ち出したって。桃の子の正義感ってやつを悪用して、お前らを追い出したんだ」
「うん、まあ、そうなんだけどさ。でも勝手に流れ着いた僕たちが悪かったわけだし。貧しい村だから、よそ者を育てる余裕がなかったんじゃないかな」
「分かったよ。そこまで言うなら、村人に文句は言わなくていい。ヴェルニュスのヤツらがイヤな人間だったら、すぐ戻ってこいよ」
三人の桃の子は、オーガに心配されながら旅立った。シロは桃の子到来を告げるために、一目散で飛んでいった。




