238.モモア
犬がどこからか、ボロボロの男の子を連れてきた。犬は皆が注目する中、口にくわえた男の子をミュリエルの足元に置く。十歳ぐらいの少年だ。
「え、どうしたの? まさか狩りの獲物じゃないよね」
ミュリエルの言葉に、犬が憤慨した表情になる。
「ああ、どこかで行き倒れてたのを助けてくれたのかな? ありがとう」
犬はフンッと鼻息を吐き、得意そうに頭をそらす。ミュリエルは頭から背中をワシワシと撫でてあげる。
ナディアが呼ばれ、男の子の胸の音を聞いたり、脈をとったりした。
「熱はないし、呼吸も心音も脈も普通です。眠ってるわけではないみたいですけど。動きませんね」
「きっとお腹がすいてるんだよ。スープでも食べさせてあげよう」
ダイヴァがスープを運んできて、男の子を抱き起こし、スプーンを口に運ぶと。
「ああ、飲んでるね。よかったよかった。食べればそのうちよくなるよ」
ミュリエルは食べられれば元気になると信じている。自分がそうだからだ。
その日から、なんとなく男の子は、ミュリエルのそばにいるようになった。
***
「ミリー、お義父さんとお義母さんがもうすぐこちらに来るそうだよ。ルーカスに会いたいのだと思う」
『お義父さんがルーカスを高い高いして、天井にぶつけないだろうか。あの人ならやりかねない。天井を柔らかい何かで覆うか。それともシロを待機させて受け止めてもらうか』
「あ、そうなの。アハルテケで来るのかな。母さんと来るなら安心だね。父さんひとりだと暴走するもん、絶対。ルーカスを天井にぶつけたりね。母さんに気をつけてもらおう」
「ああ、そうだね。それがいい」
『さすがミリー。お義父さんの操り方をよく知っている。でも念のため、天井の梁には布を巻かせるか』
「ミリー聞いてよー。ツワリでオエーッとかはないんだけど。すっごくお腹減るの。アタシ、ずっと食べてる。今朝起きたら、ブラッドが変な目でアタシのこと見ててさ。夜寝ぼけながらクラッカー食べてたって言うのよ。アタシがよ。信じらんない」
『絶望的だわ。ブラッドに嫌われたらどうしよう』
「お腹減るなら食べればいいじゃないの。赤ちゃんがいるんだから、いっぱい食べればいいじゃないの」
「でもさ、朝起きてさ、シーツがクラッカーのくずまみれだとさ。引くよね」
『ブラッド、絶対引いてた。どうしよう』
「じゃあ、枕元にリンゴでも置いておけばいいじゃない。クズは出ないよ」
「汁はでるけどね。朝起きたらベッタベタなの。どうなのそれって」
『クズまみれと、汁でベトベト。どっちがマシかな』
「じゃあさ、料理人たちに頼んで、何か作ってもらおうよ。夜中に食べられて、シーツがぐちゃぐちゃにならない何か」
「そうね、さすがミリー。アタシ、聞きに行ってくるー」
『ミリーってば、頼りになるんだから。さすがアタシの親友』
「ミリー様。領民たちが張り切って鹿を狩ってきました。今日は鹿肉です」
『みんな、冬までに狩りの腕をあげようって必死だから。ミリー様にバカって言われたくないって言ってたけど。バカな人たちねえ。ミリー様はそんなこと絶対言わないのに。誰かが狩り損ねても、シロに飛び乗って狩り尽くして、意気揚々と戻ってこられるわ。素敵』
「やったー鹿肉。そういえば、子ども向けの本ってあるかな。この子とルーカスに何か読んであげたいんだ。私がお話すると、大体狩りの話になっちゃうから」
「いくつかございますよ。お持ちしますね」
『そ、そうね。鹿や熊の解体の話になると、さすがに、血生臭いでしょうし。明るくて楽しい物語をお持ちしましょうか』
「さあ、読むね。ふむふむ。なになに、おばあさんが川で洗濯してると、どんぶらこどんぶらこと大きな桃が流れてきました」
『上流に探しに行かなきゃ。きっとまだまだいっぱいあるよ。一個じゃみんなには行き渡らないもん。おばあさん、急いでー。早く村の人たちを呼んで、桃の木の捜索隊を出すんだー』
「おばあさんは桃を持って帰って、包丁で割りました」
『えっ、一個で満足しちゃうの。みんなで分け合わないの? 独り占めしたら、みんなから白い目で見られない? 大丈夫?』
「中から元気な男の子が飛び出しました。そんなアホな」
『あ、しまった。これは物語。これは物語』
「桃から産まれたので、モーモと名付けられました。モーモはスクスクと大きくなり、村を襲うオーガを成敗しに行くことにしました」
『ほほう、小さいのに感心だ。でも、そういうのは大人に任せないと。子どもにはまだ早いよ』
「モーモは芋だんごを持って出かけました。犬と猿とキジが芋だんごにつられて仲間になりました」
『動物たち、チョロいな。ていうか、大人は何やってんの。まさか少年ひとりで旅させてんの? オーガを少年と犬猿キジで倒すの? 無理無理無理ー』
「モーモは舟をこぎ、島に渡り、オーガをこらしめました。オーガは泣いて謝り、村から奪った金銀財宝を返してくれました。モーモは金銀財宝を、各村に返しながら、おじいさんとおばあさんの元に戻りましたとさ。めでたしめでたし」
『オーガをどうやってこらしめたんだろう。石投げたのかな? でも、オーガって角の生えた巨人だよね。会ったことないけど。少年が石で倒せるかなあ。ていうかさあ、本拠地にひとりで行くのが無謀すぎるよね。オーガが村に来たときに、落とし穴とか仕掛けて倒す方がいいと思うんだけど。大人がやるべきだよね』
「僕もそう思う」
「だよねえ。少年ひとりにオーガ退治押しつけるって、村の大人は何やってるんじゃって感じだよねえ。恥ずかしくないのかしら。まず城壁作って、襲われたら上から石投げるのがいいよ。油まいてもいいけど、油もったいないから、それは最終手段だね」
「僕もそう思う」
「あれ、しゃべったね。名前なんて言うの?」
「モモアです。僕もモモから産まれたの。それに、僕は人の心の声が聞こえるの」
***
「ということで、モモアです。心の声が聞こえるんだってー」
ミュリエルはモモアを領民に紹介する。
「へー」
「そりゃ大変だ。辛かったろう」
「やべっ、変なこと考えないようにしないと」
「大丈夫、みんなあんたがそういうヤツって知ってるから」
「モモアってかわいい名前だね」
領民たちは、あっさりモモアのことを受け入れた。モモアがうっかり、心の声に返事しても、怒らない。普通にそのまま会話が続く。
ミュリエルはモモアに、おじいさんとおばあさんの元に帰るか尋ねた。モモアは、いいえと答えた。
「おじいさんとおばあさん。そして村の人たち。僕のことが怖かったんです。人の心の声が聞こえるから。サトリだサトリだ、怖いよ怖いよ。そう思ってたみたいです」
「へー、そうなんだ」
ミュリエルはサトリが何かは知らないが、聞いたりはしなかった。モモアが辛そうだったから。
「ミリー様は僕のこと、怖くないですか?」
「怖くはないけど。口に出さなくても伝わるから、隠密行動のときとか便利だなって。私が先に行く、モモアは合図を待て。とか、心の中で思えばいいわけでしょう。便利だね」
一体それは、何と戦っている場面なのか。モモアは謎だったが、そのまま流した。
ミュリエルはウキウキして、練習し始める。
「どれぐらい離れても聞こえるか教えてよー。私、食べ物の名前を考えて離れていくからねー」
『肉、パン、ケーキ、クッキー、リンゴ、肉。あ、肉はさっき出たな。うーん、困った。鹿肉、イノシシ肉、熊肉、ウサギ肉、カモ肉、白鳥肉。うっ、白鳥は食べちゃダメ。えーっとなんだっけ。あ、そろそろ戻ろうかな』
ミュリエルは走って戻ってきた。
「どこまで聞こえた?」
「白鳥肉。うっ、白鳥は食べちゃダメ。まで聞こえました」
「え、全部じゃん。かなり離れてたよ。すっごいよ」
ミュリエルは大喜びで跳ね回る。他の人でも試してみた。
「結局、ミリー様が一番遠くまで聞こえるということですね。波長が合うんでしょうか」
ダンがワクワクした様子で、これをどう作戦に使うか考え始める。
「皆さん、一体何と戦うつもりなんですか?」
ついにモモアは聞いてみた。
「うーん、なんだろう。オーガがもし攻めてきたときとか?」
ミュリエルとダンは顔を見合わせて首を傾げる。様子を黙って見守っていたアルフレッドは、ため息を吐いた。
「ミリーとモモアが戦う前提なのがどうかとは思うが。まあ、ミリーは止めても行くと思うが。ふたりとも、無茶はしないように」
「はーい」
アルフレッドはダンを連れて護衛や石投げ部隊と話し合いを始めた。いかにミュリエルを止めるのか。止める間もなく置いて行かれたらどうするのか。モモアを危険にさらさず、その力を最大限に活かすにはどうすべきか。
考えることがいっぱいだ。がんばれアルフレッド。がんばれ、置いていかれてばかりの護衛たちよ。




