235.自分の力で
パッパには親指さんの友だちがいる。親指さんたちの取りまとめ的な役割を果たしている男だ。彼が働いて得た賃金で、買い物をするところを見るのが、パッパは好きだ。
「先週は、妻へ姿見を贈りましたから。今週は自分用のものを買おうかと」
親指さんが買い物をするのは、たいていヨハンの工房だ。人形の家用の様々なものがあるからちょうどいいのだ。
「わざわざ買わなくても、あげるのに」
ヨハンは困った顔をしている。
「買いたいんです。自分の稼いだ金で、自分の選んだものを買いたいんです」
毎回そう言うので、ヨハンは仕方なくお金を受け取っている。
親指さんはゆっくりと時間をかけて工房を見る。何が素敵と思うのか、どんなものに心惹かれるのか。じっくり見るのだ。
「ヴェルニュスに来るまで、買い物なんてしたことありませんからね。ものすごくワクワクします」
親指さんは自分より大きな手帳を、よいしょっと開いた。
「これ、いいですね。これにしようかな。買ったものを書いておきたい。あ、でも何で書けばいいんだろう」
「インクを小さな瓶に入れてあげよう。それに針をつけて、書けばいいんじゃないかい。インクはおまけだ」
親指さんは、顔を綻ばせて、銅貨を一枚ヨハンに渡した。お金はパッパが持っていてくれたのだ。さすがに重すぎて、親指さんには運べない。
親指さんは早速手帳を開くと、テチョウと書いた。
「随分と字が上手になったなあ」
パッパとヨハンは感心する。
「ダニー先生のおかげです」
親指さんたちは、読み書き計算を、ダニエルの教室で学んでいるのだ。
親指さんは、テチョウの隣に、クルミと書いた。
「クルミは、私が初めて取ったものです。カラスが落としたのを、さっと拾ってきたんです。あのときはドキドキしました」
親指さんは生真面目な顔で胸に手を当てる。
「私たち親指族は、たいてい大きな人の家の隙間で暮らしています。生きるのに必要なものは、大きな人の家から借りてきます」
親指さんは暗い顔をしてうつむく。
「私たちは大きな人から借りると言っていました。でも、返すことはほとんどありません。本当は大きな人から盗むと言うべきなんです。今、自分の稼いだお金で、好きなものを買えるのがとても嬉しいんです」
親指さんは恥ずかしそうに胸を張った。
「苦労したんだなあ。ヴェルニュスに来れて本当によかったな」
ヨハンとパッパはニコニコして、親指さんが手帳に文字を綴るのを眺めている。
「私たちは運がよかった。私の弟は、大きな人につかまって、見せ物小屋で働かされています。働くと言っても、ただ見せ物になってるだけで、賃金は出ません」
ヨハンとパッパは息を呑んで顔を見合わせる。
「助けたかったんですけど、どうにもできなくて。今はどこにいるのかも分かりません。サーカスと一緒に色んなところを巡業してるんだと思います。生きていればいいけど」
パッパは悲しい目をして、黙って聞いていた。
***
ローテンハウプト王国の王都から少し離れたところにある街に、サーカスが来ている。サーカス小屋では、綱渡り、空中ブランコなど様々な曲芸が見れるとあって、連日満員だ。
サーカス小屋の隣には小さな納屋があり、そこで世界中の不思議な動物を見ることもできる。
双頭の羊、ニャーと鳴く犬、巨大なヘビなど、様々な動物の檻の隣に、ガラスの箱が置かれている。
「キャッ小人よ」
「うわっ気持ち悪い」
「えーかわいいじゃない。うちで飼いたいわ」
人々は口々に感想を言い合っては、ガラスをコツコツと叩く。
「おいっ動けよ」
「踊ってー」
「歌でもいいかな」
中の小人はボーッとしたまま動かない。
「つまんない。人形じゃないの?」
「あっちのニャーって鳴く犬見に行こうよ。かわいいもん」
子どもたちは駆けていった。そこに身なりのいい男がひとり、近づいてくる。男は悲しそうな目をして、小人を見た。
「今、助けてあげますよ」
小太りの男はそう言って、サーカスの団長と何やら話し始めた。ピカピカ頭の男は、少し笑みを浮かべて近づいてくる。
「さあ、ヴェルニュスに行きましょう。詳しい話は馬車の中でします」
がっしりとした男が、そうっとガラスの箱を持ち上げる。小人は混乱した。何が起こっているのかさっぱり分からない。
「ニャーニャーニャー」
犬が鳴いて檻をガリガリする。金持ち男はそれを見て、「お友だちですか?」と聞いてきた。
小人は少しためらって、小さく頷く。金持ち男は、また団長のところに戻り、重そうな袋を手渡した。
もう一人の強そうな男が、犬の首輪にヒモをつけて連れてくる。
「ニャー」
小人と犬は、ガラス越しに見つめ合った。
ガラスの箱は、荷馬車の大きめの木箱の中にしっかりと入れられた。ガラスの箱が動いて割れないように、木箱にワラが詰められた。ニャーと鳴く犬は、シッポをパタパタ振りながら、木箱の隣に座る。
犬の頭を撫でながら、金持ち男がゆっくり話し始める。
「私はレオナルド・サイフリッドです。パッパと呼ばれています。ヴェルニュスに住んでいましてね」
パッパという男は少しためらってから、口を開いた。
「あなたのような小さな人たちがたくさん住んでいます。私の友だちは、サーカスに捕まった弟をずっと心配していまして。色々探して、あなたにたどり着きました。他にも捕まってる人がいないか、色んなサーカスに問い合わせをしているところです」
パッパは、おもしろおかしく、小人たちの生活を話してくれる。鳥に乗って騎士として訓練する小人。猫に乗って領地内を移動したり。温泉に船を浮かべて遊んだり。裁縫をして金を稼いだり。その金で好きなものを買ったり。
途中から、小人はゴロンと寝転がった。とても本当のこととは思えない。何がなんだかさっぱり分からない。パッパという男は、小人をそっとしていてくれる。
荷馬車から船に乗り換え、運河を進む。小人はゲエゲエと吐いた。
「すみません。船はまずかったですね。運河なら、三日もすればヴェルニュスに着くのですが。もしずっと辛いようなら、荷馬車に変えましょう」
パッパは小人を介抱してくれた。小人の気を紛らすためだろうか、色んな話をしてくれる。
「私の友だちは、初めて取ってきたものがクルミだそうです。カラスが落としたのを取ってきたらしいですよ」
小人はそれを聞いて、またゴロンと寝転ぶ。これ以上は、無理だ。耐えられない。嘘だったとき、心が壊れる。小人はずっと目をつぶって、何も考えないように、心を無にした。
船から降り、また荷馬車に乗り換え進むと、ピィーという音が聞こえる。
小人は思わず立ち上がった。パッパには聞こえていないようだが、あれは小人の指笛だ。小人だけが聞こえる指笛。
「あ、出迎えがいますね。おーい、親指さんたちー。お仲間をひとり連れて来ましたよー」
パッパの叫び声を聞いて、小人たちが駆け寄ってくる。
「木イチゴ」
「クルミ兄さん」
小人は兄としっかり抱き合った。兄は号泣しながらパッパに叫ぶ。
「パッパ。私の名はクルミです。私たち親指族は、初めて自分で取ったものの名を名乗ります。こいつは私の弟、木イチゴです。助けてくれて、本当にありがとう」
兄はパッパの耳元に叫んだ。集まっていた仲間たちは、口々にパッパに名乗る。
「パッパ、私の名前はハネ。鳥のハネを拾ったの」
「俺はボタン」
「私はパン」
パッパはニコニコしながら、うんうんと頷く。
「皆さん、大切な名前を教えてくれてありがとう。覚えきれないから、あとでもう一度教えてくださいね。紙に書いて覚えます」
木イチゴは、パッパの耳に向かって叫んだ。
「パッパ、俺は木イチゴだ。あの犬の名前は、ニャーだ。俺たちを助けてくれてありがとう」
ヴェルニュスに新しい仲間が増えた。親指さんたちは、ヴェルニュスの大きな人たちに名前を告げた。もう誰も、親指さんとは呼ばない。




