233.魔人もいた
各国からこっそりとお礼状が届いている。アルフレッドはジャックとカトレアを褒めて、褒賞を与えた。
「もちろん内容までには触れられていないが、大物のやらかしを止められたそうだ。これからも引き続き情報をと請われている。素晴らしい外交成果だ。ふたりとも、よくやった」
ジャックはもちろん、カトレアは大感激である。ヨアヒム殿下に婚約破棄をしかけなくてよかった、心からそう思う。
「意外と女性が騙されていることも多かったようだ。魔女はほとんどが女性だと思っていたが、男性の魔人もいるのだな。念のため、魔人版の確認書も入れておいてよかった」
カトレアとジャックがうなりながらまとめた確認書、好評だったようだ。
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女性のあなた、いくつ該当するか数えてね。
□ あなたは王族または高位貴族
□ 婚約者とは疎遠
□ 仲のいい従者、馬丁、護衛、商家の息子がいる
□ 彼から、お嬢と呼ばれている
□ 彼とお忍びデートに行った
□ 彼から平民の食べるごはんをご馳走された
□ 彼から野に咲く花、もしくは手作りの贈り物をもらった
□ 危ない目にあったとき、彼に助けてもらった
□ 身分ではなく、そのままの自分を見てほしいと思っている
□ 学園で他国の男子学生と知り合った
□ 彼は身分を隠しているが育ちがよさそうだ
□ 彼とは図書館でよく会う
□ 僕ならあなたに寂しい思いをさせたりしない、などと言われた
□ 舞踏会で、バルコニーまたは裏庭で彼とこっそり踊った
□ 彼から古くて由緒正しそうな装身具をもらった
3以下: 大丈夫。このままがんばりましょう。『婚約破棄に気をつけて』を婚約者と一緒に読みましょう。
4〜6: ちょっと注意。火遊びですめばいいけれど、本気にならないように気をつけて。
7〜8: 危険。新しい彼は詐欺師という可能性もありますよ。平民になっても生きていけますか? 働けますか? 覚悟がないならご両親か外交部に相談を。
9以上: 手遅れかも。国を捨てる覚悟はありますか? ないなら外交部に駆け込んで。
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ジャックとカトレアは達成感と誇らしさで、胸がいっぱいになる。
「各国から、せめてものお礼にと、役に立った対策が送られてきた。これらも他国に共有しようと思う。ジャック、よろしく頼む」
ジャックはうやうやしく紙の束を受け取った。
***
強国に囲まれた小さな国。最近王宮は大忙しだ。遠くの大国、ローテンハウプト王国から届いた密書が、大変な騒ぎを巻き起こしている。
柔軟な国王は、密書を読んですぐさま動いた。信頼できる人員に、王族と高位貴族の若き男女の婚約状況を調べさせた。
「まさかこんな小国にとは思ったが。いたか」
「いました。遠くの国の王子になりすました、見目麗しい魔人が。よりにもよってベルタ第二王女殿下を誘惑し、王女殿下はよろめき寸前でございました」
国王は安堵半分、呆れ半分、長い息を吐く。
「対応はどのように?」
「魔人と取引きしました。王女殿下から手を引き、有用な情報を渡すなら、適した仕事を紹介すると。すぐに応じてくれ、容姿を変え、王都から離れました」
「それはよかった。ベルタには私から話そう」
国王は部下を労うと、王女を呼ぶ。すぐに、憔悴し切ったベルタが現れた。
国王は立ち上がると、ベルタの手を取り部屋を歩く。
「王族とは誘惑にさらされるものだ。私も経験がある。辛いだろうが、乗り越えなくてはならぬ」
「わたくしが浅はかでございました。彼の国に行き、共に国を治める。とても魅力的な提案に思えたのです」
「そなたの兄が王位を継いだとき、支えるというのでは物足りないか? 王族直轄地の領主となって、治めてみるか?」
「よろしいのですか? はい、支えるより、自分で上に立って民のために動きたいのです」
ベルタの目に、少し光が戻った。
「では、そうしよう。婚約を白紙に戻してもよいが」
「それは、考えさせてください。アントンを嫌いになったわけでありませんから。ただ」
「珍しい料理が出てきたから、味見したい。そんな感覚ではないか? 身も蓋もない言い方だが、そんなものだ。王族は不自由だから、自由な空気に惹かれてしまう」
ベルタは下を向いたまま、返事に困っているようだ。
「そなたはまだ若い。ゆっくり考えなさい」
ベルタは部屋を出ると、侍女や護衛と共に外に出た。ゆっくりと騎士団の訓練所に行き、柱の影から訓練を眺める。
少し先で、アントンが剣を打ち合わせている。派手さはなく、地味で型通りの剣筋。嘘だったあの人の、流麗な剣とは違う。
ベルタは辺りが暗くなるまでアントンを見つめた。訓練が終わり、ベルタはそっと踵を返す。
「ベルタ王女殿下」
後ろから声がかかる。ベルタは表情を整えて、ゆっくりと振り返る。
「アントン。久しぶりね」
「俺、待ちますから。ベルタ王女殿下」
アントンはそれだけ言うと、一礼して駆けて行った。
アントンなら待つだろう。ベルタが気持ちを固めるまで。ベルタがアントンを選ぶまで。仮に婚約を解消しても、アントンは何も言わないだろう。黙ってまっすぐベルタを見て、一礼して消えるだろう。そして、誰かかわいい素直な女性と家庭を築くだろう。
少しだけ、ベルタの胸がピリリとした。
アントンの誠実さに甘えて、彼の優しさを搾取してはいけない。ベルタは思った。
「明日、アントンと乗馬したいわ。予定を調整してくれる?」
ベルタの言葉に、侍女が一瞬喜びの表情を浮かべ、すぐに冷静な顔に戻った。
「はい、ベルタ王女殿下」
彼女にも、随分心配をかけていたみたいだわ。ベルタは心持ち頭をそらし気味にし、堂々と歩く。
「もう大丈夫よ」
なんでもない風につぶやくと、侍女の足音が少し乱れた。明日、久しぶりに丘まで駆けてみようかしら。アントンとの乗馬は久しぶりだわ。彼と一緒に見る景色、ドキドキはしないかもしれないけど。きっと心地よい安らぎがあるのだわ。
「わたくしが領主になって、領地をお忍びで見て回るとき。アントンは真っ青になるわね。でも、片時も離れずに守ってくれるはず。そう、お忍び用の服がいるわね」
「町娘の服を調べて購入しておきます」
侍女が静かに答えた。
「ありがとう。楽しみだわ」
本当に楽しみなのだ。不思議だ。一時は捨てようとまで思い詰めていた国なのに。
「異国の料理もたまにはいいけれど。やっぱりわたくしにはこの国の料理が一番だわ」
ベルタはようやく分かった。明日、アントンに求婚しよう。
***
ベルタが明るい気持ちになっているとき、少し離れた別の王国はてんやわんやの大騒ぎ。
「舞踏会、まもなく開催するのに?」
「ええ、そんな。仕込みが間に合うかな」
「なんとかしろー」
舞踏会や晩餐会を取り仕切る儀典官室の面々は、降ってわいた上からの指示に目を回している。最初は冗談かと思ったが、陛下直々の指示とささやかれ、気が遠くなった。
なんとか、土壇場で間に合い、儀典官たちはひと息つく。
「まさか、本当にあると思うか?」
「ないことを祈る」
「王家の威信が粉々になりませんように」
「あのお方が思いとどまりますように」
青い顔をしながら祈りを捧げる。ところがそのとき。
あのお方、まもなく王太子になられるであろうお方が、高らかと。
「そなたとの婚約は破」
ギャー 叫びながら儀典官は楽団に合図を送る。
バイーンドンドコドコピーピロピー 楽団は大音量で華やかな曲を奏で始める。
招待客は不思議な顔をしながらも、ウキウキと踊り始めた。
「ややややヤバかったー」
「あっぶねー」
「今の、間に合ったよな?」
「間に合った。大丈夫、もみ消した」
口々に讃えあう。
「諦めるかな。どうだろう」
「いざとなれば陛下が会を強制終了されるらしい」
「ううう、それは最終手段」
「俺たちクビになっちゃうんじゃ」
儀典官たちは、次の準備に取りかかった。曲が終わり、静かになる。
「そなたとの婚約は破棄する─」
やっぱり諦めてなかったー。儀典官たちは半泣きで、王子の元に駆けつけて─
「喜劇、婚約破棄ー」
「はーい、どうもです。皆さん、最近ちまたでは婚約破棄が流行っておりまして」
「そうなんですのよ、奥様。許せませんわよねえ」
「婚約はー、貴族と貴族の約束ごとー」
「はい、皆さんご一緒に」
「婚約はー、貴族と貴族の約束ごとー」
会場中が唱和した。よしっ、いけるっ。儀典官たちはノッた。
「公衆の面前での婚約破棄、ダメ絶対ー」
「ダメ絶対ー」
今日の招待客はノリが最高だな。すかさず唱和してくれる招待客に、儀典官たちは嬉しくなる。
「婚約を、やめたいならば、家でこっそり、話し合おう」
「話し合おう」
「喜劇、婚約破棄でしたー」
「どうもありがとうございましたー」
儀典官たちは、拍手喝采を受けながら会場を退出した。出て行くとき、さりげなく王子も連れてきた。
「そなたたち、なんのつもりだ」
王子は怒りで口がモゴモゴしている。
「しっお静かに」
「舞踏会での婚約破棄は、廃嫡の危機です」
儀典官たちは王子の口にハンカチを詰め込むと、王宮の奥の部屋まで連れて行った。そこには暗い目をした国王と宰相たち。
「間に合ったか?」
「はっ。喜劇、婚約破棄でごまかしました」
「よくやった。褒賞を与える。会場に戻って後始末をしてくれ」
儀典官たちは王子を王に押しつけると、スキップしながら戻っていく。
「褒賞キターーー」
「ウエェェェーイ」
儀典官たちは、ノリのいい招待客を存分にもてなしたのであった。




