230.耳
急に雨が降ってきて、ラウルたちは大慌てで寂れた一軒家に飛び込んだ。空き家かと思って入ったものの、上の階から何やら音がする。
「お邪魔しまーす。誰かいますかー?」
ものおじしないハリソンは階上に向かって声をかけた。
「どうぞ、上に来てください。まもなく演奏を始めます」
穏やかだが、澄んでよく通る声が聞こえてきた。
ガイと犬が先頭に立って階段を上っていく。大きな広間に、柔和な顔をした男がひとり。椅子に座って、ゆで卵を半分に切ったような弦楽器を構えている。
「どうぞ、空いている場所にお座りください」
部屋にはたくさんの椅子が並んでいる。どこもかしこも空いている。不思議に思いながらも、ラウルたちは端っこの椅子に腰掛けた。
ベベンベンベベン 男が軽快にバチをかきおろす。
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ギデオン・ラグザルの鬨の声
天下統一の響きあり
プロテーアの花の色
勝者総取りのことわりを表す
強き人はおごらず
春の朝の目覚めのごとし
猛き人はひるまず
風の前の城壁におなじ
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ベベンベンベベン 男がバチを走らせる。
ハリソンは、部屋の温度が高くなった気がした。隣のラウルは目を輝かせ、頬を赤らめ、食い入るように男を見つめている。
ギデオン・ラグザル。初代ラグザル王の型破りでハチャメチャな建国史が、力強く歌われる。
ハリソンは、どこまで本当なのかな。おいおい無茶苦茶やってるな。さすがラウルの祖先、などと考えながら聞いていた。
ベベンベンベベン 男がバチを操る。
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春は咲き誇る花に心をとめて
夏は泉に浮かんで心なぐさめ
秋は雲の上の月に心おどらせ
冬は愛しき妻に心をあずける
天上の城も海中の都も
ギデオンの城には遠く及ばず
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ベベンベンベベン 男がバチを止めた。
四人は拍手喝采し、犬は遠吠えをし、コラーはコケーッと鳴いた。
突然、誰のものでもない声が響く。
「素晴らしい。素晴らしいけどもなあ」
「毎回毎回ギデオンではなあ」
「建国から何年たった」
「何百年じゃろ」
「そろそろ新しい英雄はおらんのか」
イヴァンとガイはさっと剣を抜き、あたりを見回す。
歌っていた男は、眉を下げしょんぼりとする。
「残念ながら、ラグザル王国で一番人気はギデオン王ですから。他に語るべき英雄もおりませんし」
ビョオオオオー 突風が吹き、窓がバターンと開いた。
イヤな緊張感が部屋を覆う。その空気をラウルの明るい声が変えた。
「おるぞ。おるおる。余が新しい英雄王、ラウル・ラグザルだ。初代王に負けず劣らずの、無茶苦茶な旅をしておるところだ」
「確かに」
ハリソンとイヴァンとガイが頷いた。
「聞かせてくれーい」
見えない誰かが大声を張り上げる。
「お安い御用だ。見えない人々よ。余の世直し珍道中を話してやろう。そして、そなた。名をなんと申す」
歌い手はラウルの方に顔を向けた。
「ヒューイと申します。ラウル第一王子殿下とは存じませんで。ご無礼をいたしました」
「よいのだ。余の冒険を、そなたが歌にして、これから広めてくれ」
目がほとんど見えなかったヒューイは、ハリソンの海ブドウで少し見えるようになった。
ラウルの冒険譚を、見えない聴衆と共に、ああでもないこうでもないと練り上げる。
ヒューイは、初めて見る様々なもの、ラウルとハリソンの溌剌さ、渋い護衛、巨大な犬とおかしなニワトリ、そして見えない人々にすっかり心を奪われた。
きっと、素晴らしいラウル王子物語ができあがるだろう。
***
ジェイムズ、クルト、ニーナが去り、デイヴィッドとイシパは少しばかり寂しい。護衛や商会の者たちはいるけれど、友達とはいえない間柄だから。
「急に静かになったな」
「前はクルトがずっと歌を口ずさんでいたから」
デイヴィッドは荷馬車の中で、イシパの肩を抱く。
「でも、新婚旅行は本来こういう感じなんだと思う」
「そうだな」
イシパは元気になった。色んな場所のおいしい料理を、腹いっぱい食べればいいんだった。
イシパとデイヴィッドは、着いた街でお腹いっぱい食べ、そのあと久しぶりに散髪をすることにする。腕利きと評判の床屋は、オドオドと実に落ち着かない。
「なんだ、いったいどうした。なぜそんなに怯えている」
イシパが聞くと、床屋はヒイッと悲鳴をあげた。
「りりりり領主様の」
「領主様の?」
「言えません。言えませーん」
床屋はオイオイ泣いた。
「これはダメだ」
イシパが首を振る。
「領主様とやらに会ってくる。そのあと、髪を切ってくれ」
泣きっぱなしの床屋をおいて、イシパとデイヴィッドは領主のところに行った。
突然訪れたにも関わらず、領主は会ってくれることになった。
「アイリーン王女殿下の覚えめでたい、サイフリッド商会のデイヴィッドさんですな。ようこそいらっしゃいました」
領主は愛想良く笑う。イシパは不思議そうに領主の頭を見た。室内なのに、大きな帽子を深くかぶっているのだ。イシパは目に力をこめた。
「その耳、ロバだな。治してやろうか? 呪いかなにかだろう?」
イシパはためらうことなく、単刀直入に切り出した。イシパは駆け引きは苦手だ。常に、まっすぐドーンだ。それで相手を傷つけてしまったら、謝るしかないと覚悟している。
領主は帽子をグッと両手でもつと、ブルブル震える。
「なななななぜ」
「見えるから。すまない、傷つけてしまっただろうか。その耳、どうした?」
デイヴィッドはポカンとしているが、イシパは話を進める。
「あのその、実は。神に祈ったのです。民の声をきちんと聞ける、いい領主になれますようにって」
「そしたらロバの耳になったのか? 神様もいい加減だなあ」
領主はうつむき、イシパは呆れた顔でため息を吐く。
「ちょいちょいとすれば、元に戻せそうな気がするけど」
「いえ、でも、結構です」
領主は涙目でキリッと言った。
「この耳のおかげで、確かに民の苦しんでいる声がよく聞こえます。床屋の声も。彼には気の毒なことをしました。もう、髪は切りません」
「あんた、いい領主だな。床屋にはそう伝えておくよ」
帽子はかぶったままだが、領主はどこか吹っ切れた顔をしていた。
イシパとデイヴィッドは床屋のところまで戻り、一部始終を説明する。
「そんな理由があったんですね。なんて素晴らしいご領主様でしょうか」
床屋の目が輝いた。
「俺、髪の毛でロバの耳をうまくごまかせるように、工夫してみます」
「ああ、それはいいな」
「帽子屋に相談して、もう少しオシャレな帽子を作ってもらいます」
「素晴らしい」
ロバの耳の領主は、斬新な髪型と、最新流行の帽子をかぶり、民の羨望の眼差しを受けるようになった。そして、オシャレで民の話を聞いてくれる領主として、名を馳せて行った。




