23.噛み合わない女
「なんですって」
レイチェルは知らせを聞いて耳を疑った。
「もう一度言いなさい」
「はっ。ローテンハウプト王国のアルフレッド王弟殿下が、男爵令嬢と婚約予定とのこと」
「男爵令嬢? あり得ないわ。王族が男爵令嬢と婚約する訳ないじゃない。誤報よ。その報告をもたらした者を即刻クビにしなさい」
「そ、それは……」
「わたくしの命令に従えないなら、お前もクビよ」
「御意」
外交部の男は暗い顔で出ていった。
「アルフレッド殿下……」
何度思い返しても、口惜しい。
あのとき、嫉妬にかられたエルンストに止められなければ、わたくしとアルフレッド殿下は今ごろ、子どものひとりかふたりには恵まれていたであろうに。
わたくしの美貌に我を忘れたとはいえ、エルンストめ。弟の婚約者候補に横恋慕して、婚約を邪魔するなど。許しがたい。
レイチェルは歯をギリギリと食いしばった。
あれから何度もアルフレッド殿下には手紙を送ったのに、毎回エルンストから返事がくる。遠回しに、わたくしのせいでアルフレッド殿下が女嫌いになったと書いてあったわね。
男の人って寸止めされると、すごくモヤモヤが残るって聞いたわ。きっとそのせいね。
待っていてアルフレッド殿下。もうすぐわたくしがスッキリさせてあげますからね。
***
「なんか今悪寒が走った。ミリーに治してもらおう。ミリー」
アルフレッドは背中のゾワゾワがおさまるまで、ミュリエルを抱きしめた。
***
「どういうことですか、お父様。わたくし今すぐにローテンハウプト王国に行かなくてはなりませんの。すぐに許可証を出してくださいな」
ラグザル王国の王宮で、レイチェル第三王女は国王にくってかかった。
「レイチェル、何度言えば分かるのだ。エルンスト陛下から、そなたの入国は禁じられている」
国王はレイチェルのワガママには慣れているので、取り合わない。
「では、妹ルティアンナの名で行きますわ。それならいいでしょう?」
「……そもそも何をしに行くつもりだ」
王はため息まじりに問う。
「アルフレッド殿下に会いに行くに決まっているではありませんか」
「そなた、あれほどきっぱり断られておいて、いつまで世迷い言を申しておる。はっきり言ってやろう。アルフレッド殿下は、そなたのことが嫌いだ。しっかりそこを理解しろ」
王はレイチェルに引導を渡した。
「まあ、ホホホホ。お父様ったらおかしなことをおっしゃいますこと。わたくしとアルフレッド殿下は、お互いが運命の相手ですのに」
「ダメだ、全く噛み合わん。レイチェル、そなたはしばらく外出禁止だ。部屋で結婚相手候補の釣り書きを見ておれ」
「お父様、わたくしはアルフレッド殿下以外の方と結婚するつもりはありません」
「そなた、もう二十歳ではないか。いい加減に目を覚ませ」
部屋に戻ったレイチェルは、手当たり次第に物を投げる。
「キィイイイイ」
ガシャンッ ドシャッ
「レイチェル様、落ち着いてください」
「これが落ち着いていられると思うの、ロゼッタ。そもそも八年前にあんたが渡した媚薬のせいじゃないの。あの媚薬さえ使えば、アルフレッド殿下はわたくしのモノって、あんたが言ったのよねえ」
ロゼッタがうやうやしく跪く。
「レイチェル様、その通りです。どうか、レイチェル様の愛でアルフレッド殿下をお救いください。アルフレッド殿下は男爵令嬢に騙されているのです。レイチェル様が男爵令嬢を手打ちにし、今度こそはアルフレッド殿下との愛を成就されるのです」
「どうすればいいのよ」
「私が手引きいたします。アルフレッド殿下は我が国との国境近くの小さな領地にいらっしゃいます。さあ、行きましょう。そしてアルフレッド殿下を救いましょう」
「分かったわ。さすがロゼッタね」
レイチェルは満足げに笑った。
***
私はロゼッタ、二十年前にラグザル王国に滅ぼされたムーアトリア王国の末裔です。半生を復讐に費やしてきました。
二十年前、ローテンハウプト王国に助けを求めたとき、彼の国は冷酷にも中立を決め込んで、我が国の滅亡をただ見ていたのです。
ラグザル王国、ローテンハウプト王国に復讐する日を待ち望んできたのです。ようやく本懐が遂げられそうで、体の震えが止まりません。
この二十年、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び亡き祖国の怨みを晴らすためだけに生きてきました。
十年間でラグザル王国に反旗をひるがえす同士を集め、見事ラグザル王国の中心部に入り込みました。レイチェル第三王女の侍女になれたことは幸運でした。手がつけられないと有名なワガママ王女は、側近のなり手がなかったのです。
八年前はあと少しのところで失敗しました。あのまま、レイチェル王女がアルフレッド殿下に嫁げば、私の復讐も容易く成し遂げられたものを。
しかし、今度こそ、今度こそは……。
王宮内部にいられては手の届かなかったアルフレッド殿下が、何を血迷ったか男爵令嬢に惚れ、国境近くの領地に来ているだなんて。
レイチェル王女とアルフレッド殿下をふたり同時に手にかける絶好の機会。確実にあの世へ送ってやりましょう。
天国にいる我が一族、そして民よ、これでいよいよお別れです。私はやっと地獄に落ちます。