228.待つしかない立場
ぬるぬるの三人は、タコ母ちゃんに運ばれた。港の近くで、パッパが乗っていた船が待ち構えている。タコ母ちゃんの手でヒョイっと三人は船に乗せられた。タコ母ちゃんは乗員たちから崇め讃えられ、満足そうに戻っていく。
甲板の上で、パッパの護衛たちは泣き崩れた。
「不甲斐ない護衛で申し訳ございません。じし」
「辞職は許しませんよ。あれはどうしようもなかった。強いて言えば、おいしそうな私が悪かったのです」
パッパはぬるぬるの手をタオルで包んだ上で、護衛の肩に手を置く。
「それによく考えて。もし私が君たちをクビにしたら、ミリー様の護衛たちはどうなるのか」
ミュリエルが、しまったという表情になる。
「あーまた置いてきちゃった。今ごろ落ち込んでるだろうなあ」
「ミリー様は誰にも止められませんし、ついていくのも大変です。助けていただいた身としては、その即断即決はとてもありがたいです。単身で助けに来ていただいたご恩、一生忘れません」
パッパはミュリエルの手をしっかり握る。
「パッパにはずっとお世話になってるもん。当たり前だよ。それに、領民を守るのが領主の務めでしょう」
「普通の領主はここまでしないと思います。護衛の立場に立って考えると、胸がキュウっと痛みます」
パッパは困った表情で胸に手を置いた。
「護衛が一緒に飛べればいいんだよね。シロに仲間を連れて来てもらおう」
シロは何か考えているように、首を何度も傾げている。
「まあいいや。それはあとで考えよう。私、シロと先に戻るね。アルとルーカスが待ってるから」
ミュリエルは簡単に着替えて体を拭くと、さっさとシロに飛び乗った。船員にもらったパンをかじりながらの強行軍だ。途中何度か寝落ちしそうになったが、なんとか目をこじ開けてたどり着いた。
バルコニーにはアルフレッドと、ルーカスを抱っこしたダイヴァが待っている。
ミュリエルはポーンと飛びおり、アルフレッドがガッチリと受け止める。
「ただいま。結構早かったでしょう」
「おかえり。無事に戻ってくれてよかった」
アルフレッドがギュウギュウとミュリエルを抱きしめる。
「よく戻ってくるって分かったね。まさかずっとバルコニーにいたわけじゃないよね?」
ミュリエルは急に心配になってアルフレッドを見上げる。
「親指さんたちが鳥便と一緒に行ってくれててね。情報と共に戻ってくれていたんだ」
海についたと知らせる親指さん。ミュリエルがクジラに飛び込んだと泣きながら帰って来た親指さん。タコ母ちゃんが現れたと震えながら報告する親指さん。ミュリエルとパッパと少年が無事出て来たと、歓喜の報告をした親指さん。
その都度、アルフレッドは身がよじれる思いをしたそうだ。
「わー、アル、ごめんねごめんね。あとで親指さんと鳥たちを労わないと。でもまず、お風呂に入って来てもいい?」
ミュリエルは、まだ色んなところがぬるぬるしているのだ。抗議のうなり声を上げるルーカスを連れて、ミュリエルは大急ぎで温泉に入る。
ダイヴァの手を借り、大至急で体を洗い、タオルでふきながらルーカスを抱えた。
「ごめんね、お待たせ」
ゴクゴク母乳を飲んでるルーカスを見ながら、ミュリエルもパンをどんどん食べる。食べないと出ないのだ。母は大変だ。大忙しだ。
城に戻って、ミュリエルがせっせとスープを飲んでいると、シロが二羽のフクロウを連れて戻って来た。シロより小さなフクロウだ。
「シロ、さっきはありがとうね。その子たちはシロの子どもかな? それとも兄弟かな?」
シロと二羽のフクロウは首を傾げるだけだ。
「護衛が乗るためのフクロウを連れてきてくれたの? ありがとう」
アルフレッドはスッと立ち上がった。シロと二羽のフクロウは、あからさまにイヤそうな顔をしてそっぽを向く。アルフレッドはがっくりとうなだれた。
「フラれたのがハッキリ分かった」
アルフレッドの人生において無縁であった、フラれるという経験。動物はつれなく正直だ。
「シロより小さい子だもん。成人男性は厳しいと思う」
我こそはと細身の男性たちが立候補したが、フクロウたちは冷たい目でそっぽを向く。
「みんなには悪いけど、やっぱり弟たちが適任だと思うよ。狩りもできるし、身が軽いし、私の暴走に慣れてるし」
ですよねー知ってた。知ってたけど役に立ちたかった男たち。少し恨めしい目でウィリアムとダニエルを見てしまう。
「ええーー、読書の時間が減るー」
「仕方ないでしょー。新しい本買ってあげるから」
「百冊」
「分かった。何冊でも買うから、ミリーをよろしく頼む、ダニー」
アルフレッドがダニエルの手を握って懇願する。
「アル兄さんに頼まれたら仕方ないや。いいよ、やるよ。でも、後先考えずに飛び出さないでよ。行った先で読む本をカバンに入れたり、色々することがあるんだからね」
「はーい」
ミュリエルは軽く答えた。弟をこき使うのはミュリエルの得意技だ。産まれたときから一緒に育ち、共に狩りをしてきたのだ。弟になら背中を任せられるし、気にせず暴れられる。
ウィリアムはしばらく考えて、あっさり承諾した。
「僕は欲しいものはないから、別にいいや。あ、でもやっぱり、世界の色んなオモチャが欲しい」
「パッパに頼んでおくね」
「世界中から取り寄せます」
ミランダが熱心に請け合う。大事な夫が知らない間にクジラに飲み込まれ、気づいたときには領主に救われていたのだ。心配する暇もなかったぐらいだ。荷馬車十台分のオモチャだって足りない。
職人たちが、鳥に乗るとき用のカバンを大至急作った。腰にギュッと巻ける小さなカバン。お金と水と携帯食糧を入れて、窓際にかけておくことになった。毎日新しい水皮袋と入れ替える。ダニエルのカバンには、小さくてそこそこ分厚い本も入れられている。
「これでいつでも飛び出せるね」
「それほど頻繁に飛び出さないでほしいけど」
アルフレッドはミュリエルを抱きしめて、髪に顔を埋めた。
「僕が乗れる何かを見つけたら、僕も一緒に行く」
「アルはルーカスのそばにいてほしいな。私とアルが両方いなくなるのは、領地にとってよくないし」
アルフレッドは、小さく「そうだね」と答えた。
「絶対にすぐ帰ってくるから」
「分かった。ルーカスと待ってる」
アルフレッドも、それしかないのは分かっている。
「ルーカスが大きくなったら、僕も行くよ」
「そうだね」
「僕も行くーって、ルーカスが言い張りそうだけど」
「そうだね。ルーカスが大きくなったら話し合おう」
自由で強い妻と、おそらく破天荒に育つであろう息子を持ったアルフレッド。苦労が絶えず、振り回されるに違いない。でも愛があるからきっと大丈夫。領民たちは心の中でアルフレッドに声援を送った。




