227.飲んで飲まれて
パッパはモルタナ島からヴェルニュスに戻る船の上で上機嫌だ。
「モルタナ島の一等地を借りられるとは。金はかかったが、広告宣伝費と考えれば安いもの」
モルタナ島は貿易拠点として有名だ。船の往来が多く、各国の行商人が多数訪れる島だ。幸せの王子の高台は間違いなく話題になる。その場所で、サイフリッド商会の名前と紋章がバーンと展開されているのだ。宣伝効果は抜群だ。
抜け目のないパッパは、ベンチ、屋台、ゴミ箱、花壇、荷馬車などに、サイフリッド商会の名前と紋章を入れた。屋台で売る飲食物を入れる紙袋にも、もちろん告知が入っている。貧しい者に職を与えた美談と、島の一等地を観光名所にした手腕。それらは、各国に伝わるだろう。
投資した金額など、あっという間に回収できるに違いない。パッパはホクホクしながら、甲板の上で祝杯をあげた。
そのとき、船がいやな具合にグラリと揺れた。パッパはなぜかポーンと飛ばされた。
「あーれー、助けてー」
叫び声もむなしく、パッパは、ポカリと開いた大きなクジラの口の中に吸い込まれてしまった。
***
ルーカスをあやしながら、鳥にごはんをまいていたミュリエルはハッとして手を止めた。
「私、行かなきゃ」
ミュリエルは大急ぎでアルフレッドを探しに行く。
「アル、さっきパッパから助けてーって言葉が聞こえた。私、行ってくる」
「どこに?」
「分からないけど、どこかの海だと思う」
アルフレッドは無言でかたまる。
「軍を送るのではダメなのか? なにも、ミリーが行く必要はないと思う」
「そうなんだけど、大急ぎで行かなきゃって気がするの。シロが連れて行ってくれるはず」
バッサバッサと、窓の外でシロが羽ばたきしている。早く早くとでも言っているかのようだ。アルフレッドは苦渋の決断をくだした。
「絶対に無事に戻って」
「約束する。ルーカスをお願いね。なる早で戻ってくる」
ミュリエルはカバンに水の入った皮袋と、燻製肉を放り込むと、魔剣を背中にかける。
「行ってくるね」
ミュリエルはギュッとルーカスを抱きしめ、次にアルフレッドに抱きついた。アルフレッドはルーカスを受けとると、飛び立つミュリエルを黙って見送った。
「ルーカス、大きくなったら、パパと一緒に鳥に乗れるように練習しようか。大きな鳥がいればいいけど。もう置いていかれるのはイヤなんだ」
アルフレッドはグズるルーカスをなだめながら、ミュリエルが飛び去った先をいつまでも見つめた。
***
シロは激怒した。必ず、かの邪智暴虐のクジラを除かなければならぬと決意した。シロには海は分からぬ。シロはフクロウである。獣を狩り、犬をからかいながら暮らして来た。けれども、ごはんをくれる人には、鳥一倍に敏感であった。
パッパはいつも、特別に上等なごはんをくれた。パッパ自体がおいしそうなのもいい。いつか、きっと、つまんで食べたいと思っていたのに。クジラのやつに先を越された。
シロはミュリエルを乗せて、ビュウビュウと飛ぶ。鳥便の鳥たちが必死についてくるが、気にかけている暇はない。早くしないと、パッパが溶けてしまう。
シロは呼ばれるままに滑空する。海が見えた。船も見えた。何やら船の上の人が叫んでいるが、構っている余裕はない。
見えた。黒いクジラだ。しかし、どうする。ご主人が魔剣で切るのだろうか。
そのとき、クジラがぽっかりと口を開けた。
「シロ、行ってくる。どっかで待っててー」
ミュリエルはひょーいと気軽にクジラの口の中に落ちていく。
ご主人様ーーーー。シロと、名もなき鳥たちは恐慌に陥る。
ここにはとまる場所がありませーん。
***
パッパは暗闇の中で途方に暮れている。なんだかブヨブヨぬめぬめしている上に、とてつもなく臭い。
「うむむむ、まさか、クジラに飲み込まれるとは」
パッパはフワフワしているので、よく動物から、お前うまそうだな、という目で見られる。でもまさか、本当に飲み込まれるとは。
「困ったぞ。ウカウカしていると、胃酸でグズグズに溶けてしまう」
パッパはどこかに出口がないものか、慎重に歩く。
「出口。上からか下からか。どちらも気が進まないが」
少し進むと、足元がボウッと光り始めた。
「なんだろう」
じっくり見ると、イカだった。こんなときでもなければ、幻想的で美しい光景なのだが。
「お父ちゃん」
パッパは声が聞こえて飛び上がった。声の出どころを探すと、少し先に小さな男の子が座っている。
「君、大丈夫かい?」
パッパは元気づけようと、いつものニコニコ笑顔を浮かべる。
「お父ちゃんじゃなかった」
「うん、ごめんね。私はパッパだけど、お父ちゃんではないんだ。君はなんて名前だい?」
「ピーノっていうの」
パッパは服でぬるぬるの手をふくと、ポンッとピーノの頭に手を乗せた。
「ピーノ、祈ろうか。こういうとき、私たちにできるのは祈ることぐらいだ。神のご加護にすがろう」
パッパとピーノは、心をこめて祈った。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。助けてー」
ふたりの声がグワングワンと反響する。
パッパとピーノは、端っこの方で座った。ピーノは小刻みに震えている。
「ピーノ、大丈夫。パッパはね、お金持ちなんだ。今までたくさんの教会に寄付してきた。そりゃあ神様はお金はいらないだろうけど。そのお金で教会の人や貧しい人は、少しいいものを食べられたりしたはずだ」
パッパは胸を張る。決して賄賂ではない、正しい投資だ。行く先々で投資してきたのだ。
「これほど寄付したのだから、きっと神様は助けてくれるよ。もし助けてくれなかったとしても」
パッパはうーんと考えた。ピーノは目に涙をためてパッパを見上げている。
「もしダメでも、神様の隣の特等席に座れるよ。だから、大丈夫」
パッパは祈りの力を信じている。金の力も。
そのとき、祈りが聞き届けられた。ぬるぬるの女神が現れた!
「パッパー」
「ミリー様ー」
パッパとミュリエルはぬるぬるのまま抱き合う。
「まさか、ミリー様が助けに来てくださるなんて」
「うん、ほら、腕輪からパッパの声が聞こえたから。シロに乗って飛んできたよー」
ミュリエルはドーンと胸を叩く。ピーノは驚いた顔でミュリエルを見つめる。
「こちら、ピーノです」
「ミリーだよ。さっさと出て、お風呂に入ろうね」
「どうやって出ればいいでしょう?」
「こうやって」
ミュリエルはいきなりビョンビョンと飛び始めた。
「ほら、パッパとピーノも跳ねて跳ねて」
三人はぬるぬるボヨボヨの中で、跳ね回る。ミュリエルは楽しそうに胃壁を走り回り始めた。すさまじい臭気の中、駆け回る少女。懸命に飛び跳ねる中年男性と少年。悪夢のような光景だ。
オ オエー ついにクジラは吐いた。
ジャッボーン 三人は海水の中に吐き出された。
「よっしゃー」
大急ぎでパッパとピーノをつかまえたミュリエルは、高らかに拳をあげる。
「シロー、どこー」
ここー、とは言っていないが、シロと名もなき鳥たちは颯爽と現れた。大きなタコの手の上に乗っかっている。
「出たータコー」
「タコ母ちゃんだね」
パッパは叫び、ミュリエルは初めて間近で見るタコ母ちゃんに釘づけだ。
「大きいね。クジラといい勝負」
海に浮かぶ巨大なタコとクジラ。そして小さな三人。緊迫の瞬間。
ミュリエルはおもむろに魔剣を掲げた。
「クジラよ、去れ。去らないと、食う」
クジラは去って行った。だってミュリエルは本気だ。授乳中はべらぼうにお腹が減る。もうペコペコだ。
うまそうだな、そんな目で見られてはクジラとしても逃げるしかないではないか。




