22.森の娘
ミュリエルは森の娘だ。茶色の髪と緑の瞳、ロバートと同じ森の色を持つ。森の色を持つ者のみ、代々受け継がれる魔剣を正しく使える。
ミュリエルが産まれたとき、領民は沸いた。長女マリーナは、母シャルロッテと同じ金の髪と青い瞳を持っていたからだ。
双子の弟ジェイムズとハリソンが産まれるまで、ミュリエルは正統なる後継ぎであった。双子のかたわれ、ジェイムズが森の色を持っていたため、後継者はジェイムズに決まった。領主は女よりは男、それが狩りを生業とする領地の鉄則だ。
魔牛襲来の日から、アルフレッドの過保護ぶりが顕著になった。片時も離れようとしない。卵からかえったヒナが親鳥について回るように、アルフレッドはミュリエルにピッタリ張りつく。
あのあと、ロバートはシャルロッテにガッツリと怒られた。
「嫁入り前の娘に魔牛を仕留めさせるとは何事ですか」
「いや、だって、それはあの。領地の伝統で……。ほら、森の娘は魔剣で倒した初の獲物を好きな人に捧げるって」
「それは婚約が決まっていない娘の話でしょう。アルはミリーに夢中なんですから、今さら獲物を捧げる必要はありません」
アルフレッドが全力で同意している。
「ミリーもミリーです。あれが最初で最後です。魔剣はジェイに任せなさい」
「ええーー」
「口答えは許しません。顔に傷でもついたらどうするつもりだったの。魔剣は触らない、いいですね」
「…………」
「返事は、はいか、分かりましたです」
「はーい」
「返事は短く」
「はいっ」
アルフレッドはシャルロッテを尊敬の眼差しで見ている。アルフレッドは領内の力関係をようやく理解した。これからは、何か困ったら義母に相談しよう。アルフレッドのざわついていた心が少し落ち着いた。
アルフレッドにとって、ここでの暮らしは驚きで満ちている。
魔牛との戦いも度肝を抜かれた。まさか本当にほぼ石だけで魔牛を狩るとは思わなかった。あの後、ケヴィンとダンとでこっそり話し合った。
「お前たちは石で魔牛を仕留められるか?」
「仕留められません」
ふたりはきっぱり答える。ケヴィンが考えながらゆっくり話す。
「急所に当てたとしても、槍や矢尻とは違います。石の衝撃はかなりのものなのでしょうが、槍で心臓を貫くのに比べると弱いかと」
「しかし、飛距離はかなりのものだったぞ。矢を上回る距離を飛んでいたように見えた」
アルフレッドは疑問を投げかける。
「確かに、あの石投げスリングは素晴らしい。片手であれだけ離れた獲物を倒せるなら、防御面で随分楽になります」
ダンはぜひ自分も取り入れたいと思った。
「補充の観点からも優れています。弓矢は威力が強いが、矢がつきればおしまいです。矢を作るにも時間と費用がかかる。その点、石はそこらじゅうにありますから」
ケヴィンは、石投げを習得しようと決意する。
「王都の騎士団に石投げ部隊を作るか。近衛はイヤがるであろうが、騎士団の下級騎士なら大丈夫であろう。兄上に提案してみる」
「そうですね。金がかからないのです。やらない理由がありません。近衛は無駄に誇り高いのでバカにしそうですが。何度か威力を見せつければ黙るでしょう」
ケヴィンがアルフレッドを後押しする。
「それでは、まずは我々がここで身につけようではないか」
アルフレッドはロバートとミュリエルに、石投げを教えてくれる人をつけてくれるよう頼んだ。
「うーん、急にやると肩を壊すからねえ。徐々に慣らしていかないと。子どもたちと一緒にやってもらうのがいいと思うけど……。イヤじゃなければ」
ミュリエルは大丈夫かな、と不安そうな様子で聞く。
「ここに連れて来ているのは、柔軟な思考ができる者ばかりだ。問題ないよ」
アルフレッドはそう言ったものの、ミュリエルに連れて行かれた先にいる、ばあさんと幼児たちを見て目を丸くした。
ヨボヨボがヨチヨチに教えている。
「まさか、こんな幼い頃から学ぶのか?」
「うん。子どもは投げるの大好きだから。あ、でも当たると危ないから、この子たちは石は投げないよ。まずは柔らかい布で投げる下準備をするの。みんなもそこからだね」
ミュリエルは皆に柔らかい布を渡す。
「やってみせるから、真似してね」
ミュリエルは足を肩幅に広げる。まずは右手で布を握り、顔の前から上に持ち上げ頭の上で布をグルグル回す。
一方の手で三十回グルグル回したら、次は逆の手で回す。
「利き腕だけだとバランスが悪くなるからね。なるべくどちらでも投げられるようにしないと。狩りの最中に利き腕怪我したら、下手したら死んでしまうから」
グルグルに慣れたら、今度は布を持ってない側の足を前に出す。布を頭の上に持ち上げ、回さず前に振り下ろす。
「肘はまっすぐ頭の上まで持ち上げる。耳に沿うようにね。手の向きはね、こうだ」
ミュリエルは、ドーンと手のひらでアルフレッドの胸を押す。
「目の前の人を平手で押したり、頭を叩いたりする感じね。指全部をまっすぐ前に」
「なるほど」
「これを両手で違和感なくできるようになったら、石を投げよう。来週ぐらいかな」
見栄えのいい王都の男たちが石投げを練習していることは、あっという間に領地に広まった。少し離れたところから、熱い視線を送る女たち。あまり近づきすぎるとばあさんに怒られるのだ。
「ミリーさま、こっちこっち」
若い女たちに手招きされる。
「ミリー様はどうやってアル様を落としたの? ばあさんの秘技ってそんなにすごいの?」
女たちは目をキラキラさせてミュリエルを見る。
「え? あーいやー、どうだろう。そういえば、アルには秘技は使ってないや」
「ええっ、そうなの? じゃ、じゃあどうやって?」
「猪に襲われかけてるところを守ったんだよね。きっかけはそれだと思うんだけど、なんでだろう?」
「そうなのっ! そしたら私たちも、もっと狩りがんばんなきゃ。最近怠けてたから」
女たちは目を爛々とさせて狩りに出ていった。
「姫さま、ちょっとちょっと」
五人のばあさんが手招きしている。
「なあに?」
「ちょっとちょっと、こっちへ」
ばあさんたちにグイグイ押され、いつぞや猛特訓を受けた家に押し込まれる。
「ささっ、お座りくだされ、姫さま」
「はあ」
前回同様、ばあさんにグルリと囲まれる。
「姫さま、こたびは誠におめでとうございます。あのような大物を捕獲されるとは、さすが石の民の最上位、森の娘でありますな。我ら感服いたしましたぞ」
へへーと頭を下げられ、ミュリエルは頬をぽりぽりかく。
「いやー、ははは。なんでか分かんないんだけどねー」
「なんの、姫さまは少し見ぬ間にすっかり娘らしくなられた。やはり愛を得ると女は美しくなりますな」
「えーホントにー? はははは」
「それで、先ほどのは誠ですか? 秘技を使わず落とされたと」
「うん」
「媚薬は?」
「使ってないけど」
「ハチミツも?」
「ハチミツなんてあったっけ?」
「いえ、使ってないならそれに越したことはございませんぞ。姫さま、あっぱれなり」
「媚薬、返そうか?」
「そうですな、姫さまにはもう必要ありませんな。では返していただけるとありがたい。別の娘に使わせることもあるやも」
「分かった。あとで持っていくね。ハチミツは食べちゃってもいい?」
「いや、あれは食べるものでは……」
「食べないでどうするの?」
ばあさんたちが珍しくモジモジして顔を見合わせている。
「それは、そのー、あれじゃ。もしも、万一、姫さまがたいして好きでもない男を無理に落とさねばならぬ事態になったときに……」
「はあ」
「えー、あれは、あー。……閨で使います」
「ねや……。ああ、閨ね。なるほど」
「もう姫さまには必要ないでしょう。ぜひアレも返してくだされ。不幸な娘に渡してやることがあるかもしれん」
「ああ、そうね。分かった」
「あのアル様であれば、つつがなく姫さまを溶かすでしょう。それはもうトロトロに」
ばあさんたちがニヘヘと笑う。
「ギャーーーやめてよ。何言っちゃってんの。まだ早いから」
まったくもう、プンプンしながらミュリエルは出ていった。
残されたばあさんたちは、いつまでもニヤニヤしていた。
森の娘には、せっせと森の子どもを産んでもらわなければならない。その日が来るのが楽しみだ。