218.新しい人生
ランタンが夜空を淡く照らす幻想的な雰囲気。ハリソンと亀姫は仲良く並んで、ユラユラと浮かぶランタンを楽しんでいる。
のんびりしているハリソンと打って変わって、周囲をかためる大人は大混乱。
「あの、ハリーという少年は何者だ」
「ラウル殿下の従者だと思いますけれど」
「ルミナスより、あの少年の方が、将来有望なのでは」
「でもあの少年、ユリアに目もくれませんわ」
「ラウル殿下は? 殿下はユリアをお気に召したであろうか?」
両親のヒソヒソ話に、ユリアは顔をしかめる。ついさっきまで、ルミナスとの婚約話をしていたのに。次は亀姫の男、その次は殿下。まるで売り物の魚の話でもしてるみたい。誰も買ってくれなかったらどうなるの。
今まで蝶よ花よと育てられてきたユリア。ようやっと、自分の仕事は何かを思い知った。最も将来性のある男に嫁ぐこと。なんだか急に、なにもかもがどうでもよくなった。
「私、バッカみたい」
ユリアは人混みを離れて浜辺を歩く。
「好きな人と結ばれると思っていたけど。好きな人ができる前に、現実を知ってしまったわ」
「おうおうおう、若いみそらで、世知辛いこと言ってるじゃないか」
「振られたのかい、それとも親より年上のじじいに売られるのかい」
「舞踏会で婚約破棄? 夫に君を愛することはないと言われたかね」
ユリアは突然、ダミ声で呼びかけられて、飛び上がった。見ると、ばあさんが三人、毛布をかぶって砂浜に寝転んでいる。この辺りの住人ではない。ランタン祭りを見に来た旅人だろうか。
「おやおや、これはまた。めんこい娘っ子だ」
「ははあ、手塩にかけて大切に育てられたね」
「そんなお嬢ちゃんが、何を荒ぶってるのさ」
話しやすそうなばあさんに、ユリアはつい愚痴をこぼしてしまった。
「あらまあ、甘ったれたお嬢ちゃんだね」
「いいとこのお嬢ちゃんが、政略結婚するのは当たり前だろうよ」
「それともなにかい。お嬢ちゃん、その辺の漁師と結婚できるのかい」
三人に怒涛のように言われて、ユリアはたじろいだ。
「あんたのその手。働いたことのない手だろう。漁師と結婚しても、何もできないね」
ユリアは、手を広げて見てみる。日に焼けてはいるけど、傷ひとつない。確かに、働いたことはないけれど。
「だって、私、貴族ですもの。貴族は管理する立場で、働く必要はないでしょう?」
三人のばあさんは目配せしながら、肩をすくめた。
「そのラウル殿下とハリーって小僧たちはどうだったい? ルミナスは?」
「ワシらの持論だけどね。手がキレイな男は信用ならねえ」
「口だけの男は、いざってときも、口出しだけ。口を出すなら、手も動かしてもらわないとねえ」
ユリアはルミナスの手は覚えている。柔らかく、爪の先まで整った手だった。自分と同じ、働いたことのない手。
「働かない女は、金持ちの男に嫁ぐしかないよ。でないと生きていけないだろう」
「お嬢ちゃんには政略結婚がオススメさ。実家がしっかりしてれば、旦那にも大切にしてもらえるだろう」
「お嬢ちゃんも、今さら手をボロボロにしてまで働きたくないだろう?」
ユリアは考えこむ。
「私だって、何かできることがあると思うわ」
ユリアは勉強ができる。昔から、才色兼備と讃えられてきた。無能呼ばわりされるのは不本意だ。
「まずはお嬢ちゃんのご両親がやってる仕事を手伝ったらどうだい」
「いきなりお嬢ちゃんが漁に出るわけにはいかないから」
「もし、ご両親がなんの仕事もしていないと困るけど」
三人のばあさんたちは、「貴族ならあり得るぞ」と話し合い始める。
「大丈夫、きっと働いていると思うわ。多分。知らないけど」
ユリアはいまいち自信がない。父は忙しそうだけれど、母はそうでもない気がする。
「私、何かやってみる」
何かが、何かはまだ分からないけれど。三人のばあさんは黙って手を差し出した。
「今は休暇中だから、安くしてやるよ」
「儲かってるからね。旅行までできた」
「でも、タダってわけにはいかないね」
ユリアは慌ててポケットを探る。あいにく、何も持っていない。
「その髪飾りでいいよ」
ユリアはくし形の髪飾りを外す。真珠の飾りがついたお気に入り。でも、いいの。私に人生で大切なことを教えてくれたんだもの。
パラリと顔の周りに垂れてきた髪を、耳にかける。
「ありがとう。次に会う時があれば、働き者のいい手だって、言ってもらえるようにがんばるわ」
三人のばあさんは黙って頷いた。ユリアはきびすを返して、早足で皆の元に向かう。少し息を切らしながら、元の場所に着いた。ちょうど、最後のランタンが飛んでいったところだ。
ユリアはゆっくりと、亀姫様のところに近づく。亀姫様の甲羅の上には、ゴツゴツと荒れた少年の手。働き者のいい手。
ユリアが跪いて首を垂れると、亀姫様が声をかけてくださる。
「美しいものを見せてくれてありがとう。ハリーと共に見れて嬉しい。ユリア、好きな人と結婚すればよい。ただし、ハリーはダメだ」
「はい。ありがとうございます」
ユリアは、頭を砂につけてお礼をし、そろそろと後ろにさがった。両親とルミナスが心配そうに、ユリアを見ている。
ユリアは父の手を取り、次に母の手を握った。今まで気づかなかったけど、母の手はペンだこと針だこで固い。父の手も、分厚く傷だらけ。ルミナスの隣の、ラウル殿下の手を盗み見る。見ただけではっきりと分かる、骨太の尊い手。
「お父様、お母様。ルミナス様と少しお話ししたいのです」
両親の許しを得て、ユリアはルミナスと共に人のいないところに移った。
「ユリア」
「ルミナス様。私、ルミナス様と婚約したいと思います」
「ユリア」
ルミナスは感無量といった表情でユリアの手を両手で包んだ。柔らかく優しい手。
「でも、結婚はもう少し待ってください。私、父と母からたくさん学びたいのです。そして、働き者になりたい。民に負けないぐらい、働きたい」
ルミナスはじっとユリアを見つめた。
「私も、そうしよう。今まで自堕落に暮らしてきた分を取り戻したい。民に恥じずに、胸を張って結婚を報告したい」
「私のこの手を覚えていてください。柔らかい、怠け者の手は、今日で最後です」
「私もだ。私もだぞ、ユリア」
若いふたりは今日、生まれ変わった。




