217.女心
キュルビス家のひとり娘、ユリアは困惑している。モンド家の舞踏会で、ルミナスと踊って以来、両親の様子がおかしいのだ。探るように見られたあげく、普段なら聞かないようなことを問いかけてくる。
「ユリアは、ルミナスを好きか?」
「素敵な人だなと思うわ」
それは間違いない。柔らかそうな金髪に、吸い込まれそうな青い瞳。所作は美しいし、踊りも上手。私の目を見つめる瞳に浮かぶ、熱みたいなものには少し戸惑ったけれども。
「でも、好きかと言われると、まだよく分からない」
あの青い瞳をもう一度見てみたい。あの目にまた見つめられたい。そんな気持ちはあるけれど。
「今までずっと、モンド家の悪口を聞かされて育ってきたのだもの」
「そうよね」
母が頷きながら、ユリアを見る。父は重々しく言った。
「もしユリアが望むなら、ルミナスとの婚約を考えてもいい」
今まで散々ルミナスのことを、モンド家のチャラ男とののしっていた父は一体どこにいったのか。手の平の返しっぷりに、ユリアはついていけない。
「ラウル殿下にそう言われたのですか?」
「そうだ。いつまでも、何十年も前のことで、いさかいを続けるのはやめてはどうかと。両家の歩み寄りのためにも、ユリアとルミナスの恋を応援してみてはとな」
モンド家が、色んな模様の染色を流行らせたときは大変だったと、何度も聞いた。川が赤や青に染まり、海も汚れた。魚が死に、キュルビス家とモンド家は、一触即発のところまで関係が悪化したらしい。
あわや戦争かというとき、モンド家が水をきれいにする方法を見つけたのだ。溜池をたくさん作り、そこで水質浄化能力の高い沈水植物を育てた。溜池で染めた布を洗えば、川も海も汚れない。
当時は、街と海の民が何年も口をきかなったそうだ。モンド家は考えなしのチャラいヤツらという評価が定着した。
時を経て、少しずつ関係が改善してきたけれど、海の民にはモンド家への忌避感がまだまだ根強い。
「亀姫様は、お怒りにならないかしら」
ユリアの言葉に、父は苦い顔をする。
「海を汚したモンド家と、海を守るキュルビス家が婚姻して、もし亀姫様がお怒りになられたら? 万病の薬、海ブドウがもういただけなくなります」
海の底の竜宮城にお住まいになる亀姫様。気まぐれに海ブドウを陸に流してくださる。それを大切に干し、粉々にし、爪の先ほどを与えれば、どんな病もたちどころに治るのだ。
「染色のせいで海が汚れたとき、しばらく海ブドウが流れてこなくなったのでしょう? 飢えと病気で苦しむ民が多かったとか」
「む、確かにそれは不安だ。最近は亀姫様がご機嫌でいらっしゃるようで。海ブドウがよく陸に打ち上がっているだけになあ」
父は難しい顔で腕組みをした。
「お祭りをして、亀姫様にお伺いをたててみよう。もしかしたら、なんらかのお告げを授かれるかもしれない」
「それはいいですわね。モンド家の舞踏会のお返しに、お祭りをいたしましょう。ラウル殿下も、きっとご参加くださるわ」
母は、手を打ち合わせた。
***
キュルビス家の海祭りに、モンド家の者たちは、持っている中で最も肌見せが多い衣装を選んだ。
ラウルとハリソンも、燕尾服ではなくゆったりとしたシャツ。ハリソンは気楽でいいと、大喜び。
「海の祭りか。楽しみだ。カザマンダ祭りでは、葦舟を流したな」
「そんなこともあったね。テオとウテ、元気かなあ」
ラウルとハリソンの会話を聞き、ルミナスは目を見開く。
「カザマンダ海といいますと、『人魚と王子』の場所ですね。殿下は本当に各地を巡られているのですね」
十七歳のルミナスは、ラウルを畏敬の念で打たれたかのように、ボウッとした目で見つめる。
「私が女を追いかけ回して、日々を無為に過ごしている間に……。殿下はそのような」
ルミナスは小さな声でつぶやいたあと、黙りこくる。
「余は王族だからだ。巨大な権力を持つ者は、それ相応の責任を負う。それだけだ。引け目を感じることはない。そなたは、そなたができることをすればよい」
「はっ」
ルミナスは、もう女遊びはしまいと、心の中で誓った。ユリアと婚約し、心を入れ替えて民に尽くそう。
そのルミナスの前に、白い衣装をまとったユリアが現れる。ユリアは、ラウルの前に跪き、ランタンを掲げる。
「これは、ランタンだな。どのように使うのだ?」
イヴァンがユリアの手からランタンを受け取り、調べてからラウルに渡す。
「下側についているロウソクに火を灯し、ランタンが浮かび始めたら、願いを込めながら空に放ちます。亀姫様がその光景を楽しまれたら、海ブドウが陸まで流れつくのです」
「へえ、亀姫はこの辺にいるんだ。海ブドウが残り少ないから、ちょうどよかった」
ラウルの隣でハリソンがのほほんと述べる。ユリアは跪いたまま固まった。
「あの、まさかとは思いますが、亀姫様とお会いになられたことが?」
「うむ、竜宮城に招待されたのだ。なかなかの食生活であった。ハリーは亀姫の求婚をあっさり退けてな、ひどい男だろう」
ラウルが笑い、ハリソンはラウルのわき腹を肘で小突く。
「そういう言い方しないでよ。誤解されるでしょう」
「誤解も何も、事実ではないか。亀姫の心をもてあそんでおる」
ユリアがポカーンとハリソンを見つめていると、海がザワザワと泡だった。
「か、亀姫様だー」
「亀姫様がお姿を現されたぞ」
「皆の者、頭を下げろ」
キュルビス家の当主の声で、民はバラバラと砂の上に平伏する。
「ハリー」
「亀姫」
ハリーと亀の姿の亀姫は、砂浜でガシッと抱き合った。
「ほら、そういうところだぞ、ハリー」
ラウルが後ろでつぶやいた。




