216.ひと目あったその日から
ラウルとハリソンは、人が恋に落ちる瞬間を初めて見た。
「落ちたな」
「落ちたね」
花の都と呼ばれる美しいそこは、ラグザル王国とアッテルマン帝国のはざまだ。街は、ラグザル王国につくか、アッテルマン帝国につくかで割れている。アッテルマン帝国派のキュルビス家と、ラグザル王国派のモンド家。
ラウルたちは、モンド家の屋敷に泊まっている。
「ラグザル王国とアッテルマン帝国は不可侵条約を結んだ。ヒルダ女王陛下とフェリハ王女殿下、セファ王女殿下とも懇意にしておる。どちらかではなく、どちらとも仲良くすればいいではないか」
ラウルはモンド家の当主に話した。
「しかし、キュルビス家は海の恵みを独り占めしておるのです」
「森の恵みはモンド家が独占しておるのであろう? 分け合えばよいではないか」
ラウルは穏やかに諭す。
「キュルビス家は、モンド家が困窮している時に、塩の値をつり上げたのですよ。許しがたい暴挙とは思いませぬか、殿下」
「なるほど、それはいかんな。他には?」
「モンド家が発案した流行を、あたかも自分たちが始めたかのように振る舞うのです。恥知らずめ」
「そうか。どんな流行だ?」
ラウルは落ち着いて耳を傾ける。
「華やかな模様を考案したのです。市松、ウロコ、水玉、うずまき、しま模様など。それをやつら、ウロコと水玉とうずまきは、海のそばに住む自分たちが始めたと言い張るのですわ。嘘つきめが」
「うむ、それは腹立たしいな。そういう争いはいつ頃から始まったのだ?」
「塩のいさかいは初代ですから、百五十年前ぐらいです。模様は五十年前ほどでしょうか」
「そんな昔のことをまだ根にもっておるのか。てっきり最近の話かと思っていたが」
ラウルは呆れたように首を振る。
「さ、最近もめているのは、キュルビス家の連中が、あられもない格好で泳ぐことです。風紀を乱しておるのです。破廉恥極まりない」
「泳ぐときはある程度、薄着になるのは仕方あるまい」
ラウルは辛抱強く相手をする。
「しかし、そのせいで街の男たちが、次々と海の女たちに夢中になっておるのです。街の女たちが、結婚相手が減ったと憤っております」
「街の女たちは、海の男たちと結婚すればいいではないか。血は混ぜる方がいいと聞く」
モンド家当主は、うっと押し黙った。
「余が来たのだ、それを理由に舞踏会でもひらけばどうだ。キュルビス家を招待し、両家の交流を深めればよい。すぐには無理でも、何度かやれば。わだかまりも解けるであろう」
そういうわけで、モンド家の屋敷で舞踏会が開かれた。薄着で筋肉を見せつけるキュルビス家の男たち。洗練された都会的装いで、無粋な海の男を見下すモンド家の男たち。
そこに爽やかな風が吹き込んだ。
「遅れたかしら」
夜の海のような深みのある黒髪がサラリと揺れる。少し焼けた肌を引き立てる、純白の軽やかな膝丈のドレス。ゴテゴテとした飾りのないスッキリとした衣装は、少女の健康的な魅力がひときわ映える。
少女は会場の視線が自分に集まっているのに気づき、頬を赤らめ、気まずげにかすかな笑みを浮かべた。
ラウルの隣に立っていたモンド家のひとり息子、ルミナスは少女に釘づけになる。さきほどまで、別の女性を口説いていたルミナスは、フラフラと歩き出した。
「お嬢さん、私と踊ってくださいますか」
ルミナスは少女の前に立つと、そっと手を差し出す。
少女のほっそりとした手がルミナスのそれに重なった。
ルミナスの食い入るような瞳を、少女はとまどいながら受け止める。ルミナスが少女の耳に何かささやいた。少女はクスクスと可憐に笑う。
「ああああ、あれはキュルビス家のひとり娘、ユリアではないか。なんということだ。ルミナス、目を覚ませ」
モンド家当主は、初々しいふたりを凝視し、持っていたグラスをパリンと割った。
「あれはもう、好きになってしまったのではないか」
ラウルは無常にも、見たまま、思ったままを口にする。
「いい機会だから、認めてやってはどうだ」
「それはまだ早いです、殿下。ユリアはまだ十四歳。十七歳のルミナスの相手には若すぎます」
「ローテンハウプト王国のアルフレッド王弟殿下は二十五歳で、十五歳のミュリエル女辺境伯と結婚された。問題なかろう」
ぐうっ モンド家当主は喉から妙な音を立てる。
「結婚はまだ先としても、恋人同士になるぐらいはよいではないか。無理に引き離すと、余計に恋心が燃え上がると、ガイが申しておった」
急に振られて、ガイはピンっと背筋を伸ばす。
「古今東西、禁じられた恋ほど甘いものはありません」
ガイはキリッと前を見て、きっぱりと言い切る。
「恋人同士になったら、やっぱり好きじゃなかったと自然と別れるかもしれない」
「そのまま燃え上がって、結婚すると言うかもしれません」
「そのときは、結婚させてやればよい。合わなければ離縁すればよい」
「ラウル殿下は随分と先進的ですな」
モンド家当主は驚いた表情でラウルを見つめる。
「ヴェルニュスの女性たちに教わったのだ。無理な結婚生活は、精神をむしばむと。合わなければ、別れて違う道を歩む方がよい」
「キュルビス家の当主と話し合ってみます」
モンド家当主は、遠くで若いふたりをにらみつけているキュルビス家当主に目をやった。二家の当主の視線がぶつかる。当主たちは吸い寄せられように近づき、会場の真ん中でねめつけ合う。
緊迫した空気の中、ルミナスとユリアは、ただお互いだけを見ながら踊り続けた。
「人が恋に落ちる瞬間を初めて見た。よい経験であった」
「ホントだよね。発情期の鹿みたい」
ハリソンの身も蓋もない発言に、後ろのガイが肩を揺らす。
「208.ヒゲ」の前日譚とその後を少し、書きました。
「黒ヒゲと七番目の妻」
https://ncode.syosetu.com/n4386id/
お読みいただけると嬉しいです。
全7話完結です。




