215.山芋
ラウルたち一行は山の中で、うつろな表情の男を見つけた。風采があがらない、古ぼけた服を着た中年の男。岩の上に座って、ボウッとどこかを見ている。
「おじさん、どうしたの? お腹すいた?」
育ち盛りのハリソン。元気のない人を見ると、お腹が減っているのだろうかと思ってしまう。
「魚釣ってあげようか? それとも、ウサギ狩ってきてあげようか?」
男は焦点の合わない目で、ハリソンの方を見た。
「山芋を。ずっと山芋をたらふく食べたいと思っていたのです。でも、いざ大量の山芋を見ると、食欲がなくなってしまって。これから何を楽しみに生きていけばいいのか」
まったく理解できないハリソンとラウルは、辛抱強く話を聞き出した。
「山芋をアマヅラの汁で煮たスープが大好きだったのだな。滅多に出てこない貴重な山芋とアマヅラか。それを金持ちの同僚がたくさん作ってくれたのか」
「よかったじゃない。なんで悲しいの?」
ハリソンはよく分からない。好きなものがたくさん出されて、なぜ悲しむのか。
「ほんのちょっと、物足りないぐらい食べるのがよかったのですよ。大量の山芋スープを見たら、胸焼けがしてしまって」
「ふーん。来年になったら、また食べたくなるんじゃない? 飽きたってことだよね?」
「そうなんでしょうか。また食べたくなるのでしょうか。もう、なんの楽しみもなくなってしまいました」
「大げさじゃないかな」
ハリソンはちっとも共感できない。
「じゃあ、自分で作ってみるのはどう? 山芋とアマヅラ探そうよ。それで、少しだけ作って食べてみればいいじゃない」
男の目にかすかな希望の光がともった。
「雫をふたつ並べたみたいな葉っぱと、右上に巻き上がっていくツルが山芋だからね。しっかり探して」
ハリソンと犬たちなら、すぐに山芋を見つけられる。でも、ハリソンは男の後ろをただついて行った。
「これですか?」
「違う、よく見て。これはツルが左上に巻き上がってる。掘っても何も出ないよ」
ハリソンはツルを指し示す。男はあっと口をあけ、ラウルは感心する。
「ほう、ハリーは物知りだな」
「食べられるものは、なんでも食べる領地で育ったからね」
ゆっくりと山を歩く。男が嬉しそうに声を上げた。
「ありました。山芋が飛び出ています」
確かに、そこには山芋が少し顔を出している。ハリソンは少しだけ切り取って、近くの木の幹にこすりつけた。
「見て、粘りがないでしょう。これは似てるけど山芋じゃない。これ、食べたら死ぬやつ。毒があるからね、必ず先に確かめて」
男は真っ青になって震え上がった。ガイとイヴァンは興味深そうに、芋を見る。
「毒がある芋か。おもしろい、覚えておこう。特徴はなんだろう。芋がツルッとしてるな。折っても粘りが出ないのか」
ガイは毒の芋を折ったり、皮をむいたり、ひとしきり調べた。
「これはキツネユリだから。赤いユリの花が咲くよ。花が咲いてれば簡単に見分けられるけど。花のない時期は間違いやすい。食べる前に、すりおろして粘るか確かめればいい」
「ありがとう、ハリー」
いつか使うこともあるかもしれない、ガイはこっそりと考える。
ガイが俄然張り切った。色んな毒の植物について、ハリソンを質問攻めにする。
「毒かあ。ヨモギと似てるトリカブト。ニラとそっくりなスイセン。ゴボウみたいなダチュラとか。いっぱいあるよ」
「見つけたら教えてくれ」
ハリソンが毒の植物を見つけ、ガイが注意深く採取しているうちに、ついに山芋が見つかった。
「うん、これだね。少し離れたところから、斜めに掘っていこう。全部取っちゃうと、来年食べられないから。上の方は残してね」
ハリソンは手を出さず、指示だけ出して男に土を掘らせる。男はハリソンに渡されたスコップで、汗だくになりながら、土を掘った。
「気をつけて、ゆっくり。そう、パキッと上を折ってから、ゆっくり引き抜いて」
男の脚の長さほどもある山芋が取れた。
「やった、やりました」
男はぜいぜい言いながら、初めて笑顔を見せる。
「アマヅラはさっき見つけて取っておいたから。水場を探そう」
ハリソンはたくさんの茶色いアマヅラの茎を見せた。
「お腹がすきました」
男は照れくさそうに笑う。
「うん、でもまだまだ食べられないよ。樹液取らなきゃ」
小川を見つけ、そこで火を起こす。ラウルが手袋をした手で山芋の皮をむき、薄く切って鍋の水にさらす。
「ちゃんと手袋してないと、かゆくなるからね。山芋を切るときは、必ず手袋」
ハリソンの言葉に、男は真っ赤な顔をしながら頷いた。男は、アマヅラの茎に息を吹きかけ、茎の下側から樹液をポトリポトリと落としている。
「今日中に食べられる気がしない」
ガイがつぶやいた。もうすっかり夕暮れだけど、樹液はわずかしか出ていない。
男は必死で茎に息を吹き続けた。やっと器にいっぱい分の樹液がたまる。
「これを煮詰めるんだよ。それから山芋を入れて煮ればいい」
とっぷりと日が暮れ、辺りが真っ暗になったところで、やっと山芋スープができあがった。
ほんの少しずつの山芋スープを、分け合って食べる。
「あ、甘くない」
男が膝から崩れ落ちる。
「そうなの、アマヅラは冬しか甘い樹液でないんだ」
「でも、ついこの間、大量に山芋スープを出されたのです」
「きっと、砂糖を使ったんじゃないかな。今度は冬になったら甘いアマヅラで山芋スープ作ればいいんじゃない」
「楽しみです。アマヅラの見分け方も教えてください」
男はキラキラとした目でハリソンを見つめる。
「明日教えてあげる。今日は魚でも食べよう。みんな、お腹ペコペコだよね」
全員が頷いた。小さな器いっぱいの山芋スープでは、ちっとも腹が膨れない。ハリソンは小川で魚を釣り上げ、せっせと焼いた。
翌日から男とガイは、ハリソンに植物について色々と教えてもらう。
「もっと研究して、食べられる山菜と、毒の植物についてまとめます」
「うむ、貴重な資料だから、取り扱いには気をつけるのだぞ」
「はい、いつか殿下とハリソン様に直接お渡しするようにします」
うだつのあがらない小役人だった男は、植物学者になることを決めた。冬になると自ら掘った山芋と、集めたアマヅラの樹液で、ほんの少しの山芋スープを友人にふるまう。
果てのない知識欲と、毎年の山芋スープ作り。男は生きる楽しみと目的を見つけた。うつろな目をした男は、もういない。




