213.クモの糸
アルフレッドに強い味方ができた。親指さんたちだ。アルフレッドは今、せっせとルーカス用のぬいぐるみと、ミュリエル用のルーカス人形を作っている。
ルーカス用のぬいぐるみは簡単だ。色んな動物をざくざくと縫って、綿を詰めればいい。なるべく多くの色を使って、鮮やかにする。赤子はまだ目がそれほどよくないので、ハッキリとした色合いがいいとナディアが言っていた。
そして、ルーカスの小さな手でもつかみやすいようにすること。耳やしっぽ、足などをつければよい。アルフレッドは、執務の合間の息抜きに、せっせと作っている。
ミュリエル用の人形は、もう少し手間がかかる。女の子が小さな赤ちゃんを抱っこしていたり、男女が抱き合って真ん中に赤ちゃんがいたり。ミュリエルの片手ぐらいの大きさの人形だ。ざくざくザックリ縫うというわけにはいかない。
ミュリエルの緑の瞳をいかに愛らしく表現するか。輝く笑顔をどう再現するか。張りがあり、なめらかな髪はどの糸を使えばいいのか。アルフレッドは日々、研究に余念がない。
そして、華美ではないが、上品なドレスには、小さな刺繍が必要だ。ルーカス人形の服はさらに小さい。
そこで親指さんたちの登場だ。親指さんたちの最初の役目は、針山に刺さっている針に、色んな糸を通すこと。黒ヒゲが持ってきた、クモの糸のように繊細なそれを、親指さんたちは針に通していく。
「いつもありがとう。僕が通すと時間がかかるから。こうやって糸を通してもらえると、すごく効率がいい」
「お役に立てて嬉しいです」
親指さんたちは誇らしげに胸を張る。親指さんたちにとっては、いたって簡単な仕事なのだ。アルフレッドが寄り目になって、針穴を凝視する必要はなくなった。
そして、次にアルフレッドと親指さんの共同作業だ。親指さんが自分の体長ほどの針をしっかり持って、あるべき場所にブッ刺す。刺さった針を、布から引き抜くのはアルフレッドの仕事だ。ちんまりちんまり、チクチクと、アルフレッドと親指さんは針を動かす。
小さな三体の人形の衣装に、魔牛や白鳥の刺繍まで刺せるようになった。
「売れないのが残念ですなあ」
「相当高値で売れるでしょうが。これはミリー様の大事な宝物ですから」
パッパとヨハンは感嘆の声を漏らす。
ミュリエルは、大事な人形と人形の家は、ルーカスには触らせない。
「これはね、ママの大切な宝物だからね。見るだけだよ」
「あー」
ルーカスは、よこせ、触らせろ、かじらせろと騒ぐが、ミュリエルは絶対に譲らない。
「ルーカスが大きくなったら、ちょっとだけ触らせてあげる」
「うー」
いつかスキを見てかじってやる、そんな顔をしながらルーカスは自分の親指をしゃぶる。
「ルーカス、自分の親指はしゃぶっていいけど。親指さんたちをつかんだり、口に入れたらダメだよ。骨が折れちゃうからね。見るだけだよ」
「ううー」
そんなことするわけありませんよ、そんな無邪気な笑みのルーカス。ミュリエルは油断はしない。親指さんたちをヨダレまみれにするわけにはいかない。
「アル、いつもありがとう。お礼に何か作ろうか? ハンカチにルーカスの顔の刺繍はどう?」
「うーん、それも惹かれるけど。ふたりだけで狩りに行きたいな。ルーカスと三人で散歩もいいけど、たまにはミリーとふたりだけの時間が欲しい」
「分かった。じゃあ、一緒に狩りに行こう。でも、私、大分体がなまってるから、犬と鳥は連れて行こうね。危ないもん」
犬と鳥が心配して見守った結果、獲物がちっとも現れなかったが。アルフレッドは久しぶりに最愛の妻を独り占めできて、とても幸せだった。
「ちょっとー、あんたたち。次はもう少し遠くから見ててよ。森から動物の気配が消えちゃったじゃないの」
ミュリエルは犬や鳥に注意する。
ミュリエルとアルフレッドを守りつつ、獲物は怯えさせない。大変難しい課題が犬と鳥に与えられた。いずれ、ヴェルニュスの犬と鳥の隠密技術が、高まるであろう。
***
アイリーンが久しぶりにデイヴィッドたちの元にやってきた。
「砂漠の都アイリーン・アーイイニクデイジェイは順調に復興しています。家もでき、旅人や行商人が立ち寄るようになりました」
聞いていたクルトとニーナがホッと胸を撫でおろす。
「さらわれていた森の子どもたちも、保護できました。金の卵で寄付も集まっています。ありがとうございます」
「それはよかったです。偽聖母の処分はどうするのですか?」
デイヴィッドの言葉に、アイリーンが困った顔をする。
「難しい問題です。処刑すると、悲劇の聖母と崇められてしまいそうですから。ずっと地下牢に入れていますが、全く更生する気配が見えません。仕方ないとはいえ、更生の余地のない罪人を、ずっと地下牢に入れておくのも税金の無駄です」
「更生の余地があるか、調べてやろうか?」
イシパの言葉に、アイリーンは目を丸くする。
「調べられるのですか?」
「うん。父さんがたまにやってる。空からね、豆のツルを垂らすの。父さんに頼んでおく」
「ありがとうございます」
アイリーンは、なんのことやらサッパリ分からない。でも、イシパの言うことなら間違いないと知っている。急ぎ、帝都に鳥便を送った。
『聖母や聖典の民の末裔などの罪人を、庭に出して散歩させてください。空の巨人が更生の余地を見極めてくださいます』
鳥便を受け取ったヒルダは何度も読んだ。理解はできないが、言う通りにやってみる。
地下牢から、扱いに困っている終身刑の罪人が出された。久しぶりの太陽の光、爽やかな風、新鮮な空気、どっしりとした大地。罪人たちは戸惑いながらも、ゆっくりと歩く。
ブツブツと祈りながら歩いていた聖母は、ふと目の前に細いツルが垂れていることに気づく。
「神が、私をお召しになったのだわ」
聖母の目に力が戻った。聖母はツルにつかまると、ゆっくりゆっくり登り始める。ツルも綱も登ったことはない。なぜかこのツルは、聖母の細腕でも上がっていける。
無心にひたすら上を目指す。半分くらい登ったころ、上ばかり見ていた聖母は、初めて下を見る。
「なっ、なんということでしょう。人がたくさんついてきているわ」
聖母の随分下の方に、人が鈴なりにぶら下がっている。じわじわと上がってくる凡人たち。
「不愉快だわ。このツルは、神がわたくしに与えられたものなのに」
聖母は無礼者を許さない。凛として、下々の者に命じた。
「今すぐ手を離しなさい。このツルは、聖母のみ、登ることが許されているのですよ」
その途端、プッツリとツルが切れ、聖母は真っ逆さまに地面に落ちた。聖母が落ちた穴は深く深くどこまでも続き、二度と地上に出てくることはなかった。
『聖母はツルから落ちて、地面の穴に落ちた。出てこない』
ヒルダからの鳥便を、アイリーンが読み上げる。イシパは重々しく答えた。
「では、更生の余地はないということだ。あとのことは、大地の神に任せればいい。忘れなさい」
「ありがとうございます」
空の巨人に試され、失敗した偽聖母。その後、彼女のことを口にする者は、誰ひとりいなかった。




