211.五本の矢
五人は、ハリソンへの態度を改めた。全く強そうに見えないのに、剣も弓も槍も狩りも、何もかも歯が立たない。なんだか不思議なやり方で負かされるのだ。極めつけは、いとこを治してくれたこと。
落馬の際、打ちどころが悪くて歩けなくなった、ミシェルのひとり娘。我慢強い彼女は、泣きごとも愚痴も言わず、本を読んで過ごしていた。ハリソンの海ブドウで数年ぶりに立ち上がった彼女を見て、ミシェルは静かに泣いた。そして、ハリソンの足元に平伏した。
「やめてください。そんないちいち、ひれ伏さなくてもいいですから。僕の力じゃなくて、亀姫の力だし」
「我が娘、五人をうまく扱うことができます。ラウル殿下が王太子となられるその日までに、私と娘で五人を鍛えておきます。ハリソン様にも絶対服従するようにしつけておきますので」
「ええー、そんなのいいですって」
ハリソンは困惑している。このままなし崩し的にラグザル王国に取り込まれても困るのだ。家族との話し合いもまだなのに。
「ハリソン様、俺と五人の子どもたちは、頭はそこそこですが、武器としてはそれなりです。ぜひこき使ってください。俺の親父が昔言っていました。一本の矢は弱く、すぐ折れる。五本の矢なら折れない」
エドワードはおもむろに五本の矢をつかみ、フンッと力を入れる。
バキバキバキ 五本の矢は粉々になった。
「お前……」
「お兄さま、もう黙っていてください」
イヴァンとミシェルは頭を抱える。
「父上、なんてもったいないことをするのです」
「五人の領民が、今、死んだも同然」
「税金のむだづかい」
子どもたちは口々にエドワードを責める。
「ミシェル、余が王太子になるまでに、よろしく頼むぞ」
「お任せくださいませ」
ミシェルとミシェルの娘は、ラウルとハリソンを真剣な目で見ながら答えた。
ラウルに、頼もしい側近ができるかもしれない。バカとはさみは使いよう。ラウルは彼らをうまく扱う度量を持てるであろうか。
***
ルーカスがついに寝返りを習得した。頭が重いので、まずは足からグニューンと曲げる。腰を曲げ短い腕をジタバタし、なんとかゴロンとするのだ。初めて腹ばいになったとき、ルーカスはしばらくキョトンとし、キャッキャッと笑った。
幸運にもその場に居合わせたミュリエルとアルフレッドとジャックは、泣きながら祈りを捧げた。
尊い瞬間に立ち会えたのは素晴らしいことだったが。それからが大変だった。
コロコロコロコロ 母親譲りだろうか。ルーカスは体を使うのが上手。あっという間に寝返りのコツをつかみ、どこまでも転がっていく。
「ルーカスの口に入りそうなものは、全部高いところへ」
あらゆるものが、上へ上へとあげられていく。棚の一番下は空っぽだ。物をつかめるようになり、ルーカスはなんでもつかんでは口に入れる。
「子ども部屋に硬貨は持ち込み禁止だ」
アルフレッドが強権を発動する。ルーカスが硬貨を拾って、飲み込んだらどうするのだ。この世の終わりではないか。
四六時中、誰かがルーカスを見ている。元からそうだったが、さらに厳重に。子ども部屋に、動物は入れない。
「犬も猫も鳥も、私には絶対服従だけど。ルーカスは小さいからね。動物たちがルーカスを見て、獲物だと思って襲ったら、ルーカスは生き残れないもん」
ミュリエルは動物たちを前に訓戒を垂れる。
「あなたたちのことは、信じてるけど。でもお互いのために、ルーカスには近づかないでね。ルーカスが五歳ぐらいになったら、一緒に遊んでね」
動物たちは、静かにミュリエルを見つめる。遠くから、ルーカスを見守ってくれるだろう。
鳥たちは窓の外からルーカスを見守る。犬や猫は、部屋の外を巡回する。
そんな厳重な囲いを突破して、ある日ネズミがルーカスの部屋に侵入した。ネズミは、小指の先ほどの小さな穴があれば、どこにでも入ってこれる。
あいにく、部屋の中にはルーカスの他には親指さんたちのみ。少し前までふたりの人がいたが、ひとりはルーカスのオムツを持って出て行った。もうひとりは、ルーカスがミルクを吐き戻したので、雑巾を取りに行ってしまった。
親指さんたちは、ざっとルーカスの周りを囲む。
「命にかえても、ルーカス様をお守りするぞ」
「おうっ」
親指さんたちは、残念なことになんの武器も持っていない。ルーカスの部屋に、針の剣を持ち込むことはできないからだ。
ネズミはジリジリと近づいてくる。親指さんは、ピーっと指笛を吹いた。ピー、どこかから返事がくる。
「間もなく大きな人がくる。それまで、持ちこたえるぞ」
親指さんたちはルーカスの周りを幾重にも囲むと、グルグルと走り始めた。ネズミが飛びかかってくると、数人で横からブチ当たる。跳ね飛ばされても決して諦めず、また輪に戻る。
チュッ ネズミはひと声鳴くと、口を大きく開けて向かってきた。
「行くっ」
親指さんたちは、頭を腕で守りながら、ネズミの口の中に飛び込む。ネズミはたくさんの親指さんに口に入られ、オエーッとなっている。なんとかネズミが口を閉じようとしたそのとき。
バターン ミュリエルが入ってきた。
バシーン ルーカスが、持っていた布をネズミの上に振り下ろす。
ネズミはオエッとなり、親指さんたちを吐き出す。ミュリエルはネズミのしっぽをつかむと何度も振り、親指さんが入ってないか確かめる。
ミュリエルは窓を開けると、ネズミを渾身の力で投げた。シロがヒューンと飛んできて、パクッとネズミを飲み込む。
「親指さんたち、大丈夫?」
ミュリエルはネズミの唾液まみれの親指さんたちを、そっと手のひらに乗せる。
「無事です。我ら親指族。小さいながらもルーカス様をお守りできました」
「うん、うん。本当にありがとう。ありがとう。怖かったでしょう」
「ルーカス様をお守りできないかと、それだけが怖かったです」
親指さんたちは、きれいなお湯で洗われ、念入りに手当てをされた。
人族と犬猫鳥は反省し、子ども部屋の守りはさらに厳重になった。
小さな親指さんたちが、力を合わせてヴェルニュスの宝を守った。その武勇伝は、あっという間にローテンハウプト王国を駆け巡る。
一人ひとりなら力のない者も、皆で力を合わせれば強くなる。その例えとして、『親指の輪』の逸話が使われるようになった。




