208.ヒゲ
ヴェルニュスにも随分と商人がやってくるようになった。商人用の、そこそこの宿屋も新たに作られた。
「レオさん、お久しぶりですな」
仏頂面で強面のヒゲもじゃ男が、パッパの手をガッチリ握る。
「黒ヒゲさん、ようこそ。あなたに来ていただけるとは。ヴェルニュスもついに復興を遂げたと言えますね」
黒ヒゲと対照的に、パッパはニコニコ顔。パッパは商談用に買い取った屋敷に案内する。
「レオさん、おめでとうございます。あなたの長年の目標が叶いましたな」
黒ヒゲは、ゆったりとしたソファーに座り、お茶を味わう。
「そうなのですよ。各地に逃げていた職人やその家族もほぼ見つかりました。もちろん亡くなっている人も多いですが……。でも、少しずつ職人とその弟子が増えてます。新たな産業もでき、ヴェルニュスはもっと発展します」
「あのときのレオさんは、亡霊のようでした。すっかり元気になってよかった。しかし、通行税だけで入領できるなんて。ご領主様はあまり欲がないのでしょうか」
「ああ、今は商取引を活性化させる段階ですから。税を取りすぎると商人が来ないでしょう。いずれは市場を開催してもいいとは思いますが。まだまだ先ですね」
「市場を開催すると、出店料を取れますからな。確かに領地は潤う。今はまだ時期尚早でしょうね」
頷き合うふたりの商人。パッパはパンっと手を打ち合わせる。
「では、早速ですが、商談といきましょう。今日は何を持って来ていただけましたか?」
黒ヒゲは部下に命じて、木箱を次々運ばせる。
「まずは酒です。各国の珍しい酒を仕入れました。ヴェルニュスでは、なかなか手に入らないものを中心に。高級宿があるなら、高級酒が必要かと思いまして」
パッパはひとつずつ銘柄を見ながら、満足そうに笑う。
「さすがです。サイフリッド商会の取引があまりない地域の酒ばかりです。全ていただきましょう」
黒ヒゲの部下が酒の一覧表をパッパに渡す。パッパはさっと銘柄と価格に目を通すと、署名をした。
次に黒ヒゲは、クモの糸のような極細の糸の束を、いくつも積み上げる。
「小さな住人が増えたそうですね。アルフレッド殿下はミュリエル様用のお人形を作るのがご趣味とか。糸がご入用ではないかと」
パッパは額の汗をハンカチで拭った。
「いやはやいやはや。相変わらず、恐ろしいほどの早耳です。一体どうやって情報を得られているのやら。極上で極細の糸、まさに今不足しているものです」
黒ヒゲは淡々と品をパッパに披露し、パッパはその度に仰天する。最後に黒ヒゲは数冊の本を積み上げた。
「ミュリエル様の弟君が本をお好きとか。外国の辞書をいくつかお持ちしました。新しい言葉を覚えれば、もっと読める本が増えますから。こちらは、ミュリエル様への贈り物ということで、お渡しください」
「ミュリエル様にご紹介しましょうか?」
「ぜひにと申し上げたいところですが、それはまた今度で結構です。レオさんは人がよすぎますよ。ご領主様と会える機会を、みすみす他の商人に与えるものではありません」
「いやいや、黒ヒゲさんだからこそです。長年のつき合いですから。それでは、今度はこちらがお売りする番ですが。何か欲しいものはございますか?」
パッパの問いかけに、黒ヒゲは少し咳払いした。今までの堂々とした態度が消え、少しそわそわしている。
「実はですな。高級宿の予約をしたいと思っております。いずれ、妻と泊まりたいのです」
「妻……。ええっと今は七番目の奥さまでしたか? ついに、本当に結婚されるおつもりで?」
「ええ、商売を終えて、家に戻って、もしあの小部屋が開けられていなければ。妻に全てを打ち明けて、改めて求婚をしようと思います」
「それはそれは。おめでとうございます。あなたの奇特な人助けが、ついに終わるのですね。どれだけお人よしかと思っていましたが」
黒ヒゲは、モサモサのヒゲに触れる。
「このヒゲも剃ろうかと思っています。妻は、一度もこのカギを使わなかったのですよ」
黒ヒゲは照れくさそうに、小さな金のカギを取り出した。
***
海辺の豪華な屋敷。若い妻、アンヌは今日もせっせと掃除をしている。恐ろしく広い屋敷だが、倹約のために使用人は最低限だ。夫はもっと雇えばいいと言うのだが、そんなもったいない。どうせ暇を持て余しているのだ、自分が掃除をすればいいだけのこと。
使わない部屋は、家具にシーツをかぶせ、カギをかけている。掃除をするのはたまにでいい。今日は天気がいいので、窓を開けて空気を入れ替え、ホコリを払い、またカギをかける。
廊下の奥の小部屋を見て、アンヌはクスリと笑う。ジャラリとポケットの中のカギ束が揺れる。
「おかしな人。どこの部屋でも好きに使いなさい。ただし、あの小部屋には入ってはいけないよ、だなんて。意味が分からないわ」
アンヌは、エプロンのホコリをパタパタとはらった。
「だったら、その小部屋のカギはあなたが持っていればいいじゃないの。そう言って金のカギを返したら、キョトンとしていたわ。変な人。開けてはいけない部屋のカギ、私が持ってても仕方ないでしょうに」
アンヌは、気を取り直して次の部屋に向かった。早く掃除を終えなければ。そろそろ夫が帰ってくる時期だ。
馬車の音が聞こえて、アンヌは窓から外をのぞく。荷馬車から降りた男と目が合った。ツルリとした肌の、やや疲れた様子の中年男性。
「あなたなの?」
アンヌは窓から大声で問いかける。夫は恥ずかしそうに笑った。アンヌは大急ぎで階段を降り、玄関を駆け抜けると、夫に飛びつく。
「どうしたの? おヒゲがないわ」
「もう必要ないかと思って、剃ったんだ。アンヌに見せたい物がある。一緒に来てくれるかい?」
夫はアンヌの手を握ると、ゆっくりと階段を上がる。向かった先はあの小部屋。夫はポケットから小さな金のカギを開ける。扉の先には
「まあ、宝石がいっぱい。それにドレスも。高価そうな装飾品もたくさん。大事な部屋だったのね。もちろん、開けていませんよ」
急に夫が跪いた。
「アンヌ、私と結婚してくれないだろうか?」
私は驚いて口をあんぐり開けた。
「私たちとっくに結婚してるじゃないの」
「本当の意味ではまだだろう。その、いつでも離婚できるように、白い結婚だった」
私は思わず夫から目をそらす。そうなのだ、夫は一度も手を出さない。寝室も別だ。てっきり、私に興味がないのだと思っていた。
「私はね、借金のカタにって若い女性を押しつけられることが多かったのだ。だけど、陰気で中年でこんな顔だから。怯えている女性に手を出す気にもなれなくて。うまく離縁する方法を探していたのだよ」
夫は汗をかきながら、一生懸命話してくれる。私は、夫の言ってることをなんとか理解しようと、耳を傾ける。
「それで、青ヒゲの逸話にならって、小部屋を用意したのだ。小部屋を開けてしまえば、言いつけを破ったことを理由に離縁できる。部屋の中の品は、手切れ金として渡して来た。そうすれば、彼女たちも生きていけるだろう」
「まあ」
確かに、夫のことを青ヒゲになぞらえて、黒ヒゲと呼ぶ人は多い。若い女性たちは怖そうに。本当の夫を知っている人は、親しみをこめて。
「でも、君は何度試しても、決して小部屋を開けない。私のことも怖がらない。もしかして、君となら、本当の夫婦になれるんじゃないか、そう思って」
夫は、すがるように私を見上げる。私はおかしくなった。立派な商人で、街で一番のお金持ち。余ったお金を孤児院や養老院に寄付している。こっそりと野良犬や野良猫も保護している。
彼は私に知られてないと思ってるけど、とっくに知っている。誰が保護した犬と猫の世話をしていると思っているのか。商会の仕事でてんてこ舞いの部下に、犬と猫の世話までさせてはいけないのよ。例え別手当てを出していたとしても。
「バカね。あなた、本当にバカ。私はあなたのこと、ずっと好きだったわ。本当の夫婦になりましょうよ。今すぐ」
私は夫を引っ張り起こすと、強引にキスをした。
「さあ、寝室に行くわよ」
「まだ真っ昼間だぞ」
「どうでもいいわ。私がどれだけ待ったと思っているの」
グイグイ引っ張って寝室に夫を押し込む。
「明日まで、出てこないわ」
「はいっ、奥様。どうぞ、旦那様をよろしくお願いします」
「お飲み物と、軽食を廊下に置いておきます」
夫の部下や使用人たちは、流れる涙を必死で拭きとっている。バカな人ね。みんながどれほどあなたを慕っているか。あなたの良さが分かる女性だって、ちゃんといるのよ。
「今度、ヴェルニュスに一緒に行こう。素敵な宿と、長年の友人がいるのだ。紹介したい」
「楽しみね」
モジモジしている夫を、ドーンとベッドに押し倒した。毎日掃除で鍛えているのだ。力はある。
六人の不幸な女性を助けてきた男は、やっと真の妻を得た。剃った黒ヒゲはあっという間に元通りになった。アンヌは全く気にしない。
「あなたのおヒゲ、好きよ」
黒ヒゲから陰気な影は消えた。彼のことを青ヒゲと恐れる女性は、もういない。
「208.ヒゲ」の前日譚とその後を少し、書きました。
「黒ヒゲと七番目の妻」
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お読みいただけると嬉しいです。
全7話完結です。




