207.どこかでは一番
「鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しいのはだあれ?」
こう問うと、「それは、あなたです」そう答えが返ってくることも、昔は確かにあったのだ。今ではそんなことは、とんとない。世界は広い、美しい人は山ほどいる、私は老いた。
いつだったか、私は鏡に頼んだ。
「鏡よ、一番美しいのが私でないときは、沈黙を返しなさい」
代々、母から娘に引き継がれたこの魔法の鏡は、私にも優しかった。
世界から大陸へ、大陸から国へ、国から領地へ。私が一番美しくいられる範囲は、せばまっていった。
「鏡よ鏡よ鏡さん、この領地で一番美しいのはだあれ?」
鏡は何も答えない。私は鏡のふちをつかみ、問い詰める。
「どうしたのよ、この前は、あなたですって言ったじゃないの。私以外に、一体誰が美しいというの」
「白雪姫が生き返りました」
「なんですって。忌々しい、あの小娘。うかつでスキだらけ、かわいいだけの女。許せない。葬り去ってやる」
どうやって、あのしぶとい小娘をやろうかしら。そう考えていると、家令がとんでもないことを告げにくる。
「なんですって、ラウル第一王子が? なんてこと。今すぐ着替えなくては」
私は、一番高価で豪華なドレスに着替えた。侍女にギュッと髪を頭の上で結わせる。こうすると、目尻のシワが伸びて、私の瞳の美しさが引き立つのよ。ふふふ。
男性の理性をぐらつかせる香水も少しだけ。首につけてなじませる。
確か、ラウル殿下は十二歳ぐらいだったかしら。思春期の少年なんて、大人の色香の前にはなすすべもないはず。クックック。
この領地はもう飽きた。どうせなら、王妃に。
しずしずと、優雅に挨拶をする。ラウル殿下は、なかなか見目のよい少年だ。スラリとした体躯は、これから背が伸びることを容易に想像できる。艶やかでゆるやかに波打つ黒髪。青年になったら、さぞかし女性の心をかき乱すであろう、整った顔立ち。
高貴で雅な少年は、私の美貌になにも感銘を受けていないようだった。道端の石ころでも見るかのよう。何の感情もうかがえない、燃える炎のような瞳。チクショウ。なめやがって。
ラウル殿下は、なかなか話上手だ。随分と話を盛る癖があるようだが、彼らの冒険譚はとても興をそそられる。
「空の上まで登るのは骨が折れたが、おかげで不思議な真珠をもらえた。これで雨を降らせられるのだ」
空の上の巨人、聞いたことがあるわ。あの真珠、なんとか手に入れられないかしら。
「この領地も、最近雨不足で困っているのです。できればひとついただくわけには」
役立たずの夫が、久しぶりにいいことを言った。固唾を飲んで、殿下の答えを待つ。
「実は真珠が残り少ないのだ。残りは王都に持っていこうと思っている」
「そうですか」
夫はしおれている。ちっ、使えない。一回断られたぐらいで諦めるなんて。
「実は、私も魔法の道具を持っておりますの。それをお見せしたら、真珠をいただけないでしょうか」
「そういうことなら」
殿下は典雅な笑みを浮かべ、初めて私と目を合わせる。もっと殿下の気をひかなければ。本当は適当な魔道具を見せるつもりだったけれど。
「こちらが我が家に代々伝わる魔法の鏡なのです」
「ほう。普通の鏡にしか見えないが」
殿下は興が削がれたように、笑みを消す。私は慌てた。
「この鏡、世界の美しい人を映すことができるのです」
「それは、何の役に立つのだ?」
殿下は首をかしげ、私は唇を噛む。確かに、何の役にも立ちはしない。ただ、私が嫉妬でイライラするだけ。
昔の女たちはもっと魔力が強く、有益な情報を鏡から得られたらしい。例えば、鉱山の場所、砂漠の水場、効能の高い薬草のありかなど。私は、力が弱く、自分の美しさの順位や、他の綺麗な人を見るぐらいしかできない。
私がうなだれていると、殿下が気を取り直したように声を上げる。
「美しい人といえば、デイヴィッドは元気にしているだろうか。余が知っている中で、最も美しい男性なのだが」
それは見てみたい。私は張り切って、鏡に呼びかける。
「鏡よ鏡よ鏡さん。デイヴィッドという美しい男性を映しておくれ」
ほわんほわんほわん 鏡面が揺れ、尋常ではない美貌の男がこちらを見る。
ヒウッ 胸をわしづかみされたかのように、ギュウっと痛くなる。
「デイヴィッド、元気か? ラウルだ。ハリーもイヴァンもガイもおるぞ」
殿下が朗らかに鏡に向かって語りかけ、伴の者たちも鏡に向かって手を振る。途端に鏡の向こうの美神が笑った。
バッターン 気づくと天井を見上げていた。ハッ、私、倒れたのかしら。
「ラウル様、ハリー、イヴァンさんにガイさんも。元気そうで何よりだ。しかし、これは一体どういうことです? 宿の鏡が急に光って驚きましたよ」
「うむ、魔法の鏡なのだぞ。便利だな」
「ラウル、ハリー。元気なようで安心したぞ」
よろめきながら立ち上がると、美貌の男性の隣に強そうな女性が見える。
グフッ 聖なる力が辺りに立ち込め、息ができなくなる。
「その鏡、あまり使わない方がいい。使いすぎると心が病む」
「そうなのか。イシパがそう言うなら、二度と使わぬ」
「そうしなさい。ラウルには必要ないモノだ。清めてやろうか?」
「なっ」
止める間もなく、鏡が光り輝く。
「間もなく鏡が使えなくなるだろう。またどこかで会おうな」
「ああ、待って待って。ハリー、元気か? 僕も旅に出てるんだ」
「ええージェイ。そうなの? よかったね。元気でね。どこかで会おう」
少年たちは手を振り合ってる。呆然としている間に、鏡面が真っ黒になった。
「あああーー」
鏡に呼びかけるが、鏡は何も答えない。
「うむ。イシパの力はすごいな」
「なんということを。我が家の宝を」
殿下につかみかかろうとしたら、護衛に殴られた。
「白雪姫から話は聞いた。そなた、領主の娘を何度も暗殺しようとしたそうだな。なぜだ」
「なぜ、なぜって。私より美しい女はいらないからよー」
絶叫する私を、殿下は冷たい目で見る。
「うむ、なるほど。よく分かった。そなたに永遠の美を授けてやると言ったら、どうする?」
「そんなの、欲しいに決まってるでしょうっ」
「では、与えてやる。コラー」
ピシピシピシピシ 足の先から石に変わっていく。
「な、何、なんなのこれ?」
「そなたは石になる。ひどい顔をするな。その顔のまま石になりたいのか」
「キエーーーッ」
世にも醜悪な、叫ぶ女像ができあがった。領主は、ラウルによって、蟄居を命じられた。王都から代官が来るまで、今まで領政を取り仕切っていた家令が、引き続き政務を執ることになる。
「余が王都に行くまで、まだ数年あるからな。しっかりやるのだ。そのとき、うまくいっていれば、そなたがそのまま領主になればよい。励むのだぞ」
疲れきった顔をした家令は、ラウルの前で跪く。
「お嬢さまは、白雪姫様はいずこへ」
「白雪姫はドワーフと仲良くやっておる。困ったらここに来るだろう。それまでは放っておいてやれ」
「はっ」
叫ぶ女像は、城門の隣に設置された。魔物避けに最適だと評判である。




