205.強く図太くたくましく
バレエ団の少女がひとり、足をくじいた。少女は何でもないように、つとめて明るく言う。
「こんなの、包帯をガッチリ巻けば大丈夫。踊れる」
「無理したら、二度と踊れなくなるよ。今は休みなさい」
監督は譲らない。怪我を隠して踊って、足の筋がおかしくなった者、変なクセがついて美しく踊れなくなった者。監督は、色んな才能が、そうして消えていったのを知っている。
「まず冷やす、そしてしっかり固定。足は使わないこと。松葉杖、倉庫にあるの持って来てやってくれ」
冷たい水で冷やし、包帯をグルグル巻きにしている間に、松葉杖が届く。
少女は真っ青な顔で、松葉杖をつきながら部屋から出て行った。少女が外の階段に座って泣いていると、ルーカスを抱っこして散歩していたミュリエルが立ち止まる。
「どうして泣いてるの?」
「足をくじいて、しばらく踊れなくなりました」
少女はうつむいて、悔しそうに唇を噛む。ミュリエルはそっと少女の隣に腰掛けた。ルーカスを太ももに乗せ、膝を小刻みに動かす。ルーカスはキャッキャッと笑い声を上げた。
「治ったらまた踊れるんでしょう?」
「はい。でも、一日踊らないと、体がかたくなって。元に戻すのに時間がかかります」
「そうだよね。分かる。私も、すっかり石投げが下手になってるもん」
ミュリエルたちの前を、馬に乗った貴婦人たちが通る。皆、にこやかにミュリエルに挨拶していく。ミュリエルもルーカスの手を持って、振りながら挨拶を返した。
「故郷では農耕馬しかいなかったんだ。ああいう、走るための馬ってキレイだよね。もちろん農耕馬もかわいくて好きだけど」
ミュリエルはルーカスを太ももの上で立たせ、馬を見せる。ルーカスは親指をしゃぶりながら、あうあう言ってご機嫌だ。
「馬ってさ、足を怪我したら、もう生きていけないんだ。立てなきゃいずれ死ぬ。そういう生き物。バレエの人も、踊れなきゃ死にたいぐらいの気持ちになるよね、きっと」
少女は少し肩を震わせる。ミュリエルはルーカスを足の上に座らせると、しっかり片手で抱きしめる。もう片方の腕で、少女を抱き寄せた。
「きっと治るよ。ゆっくり治そうよ。くじいた足でもやっていい体操とか、監督さんに聞いてみたらどうかな。それとも、じーっと座ってなきゃダメなのかな?」
少女は自信なさげに瞬きを繰り返した。
「分かりません。足は使うなと言われました」
「そっかあ。みんなに聞いてみよう。軍医とか、ね」
少女をあまり動かしたくないので、バレエ団用の屋敷の一室で、話し合いをすることにした。都合のつく者から、順番に来てくれる。
「くじいた方の足は固定し、痛みが出ない程度に動く方がいいです。動かないと、体がガチガチになりますし、筋肉が衰えます」と軍医が言う。
それに真っ向から意を唱えたのは、バレエ団の監督だ。
「少なくとも一週間は歩かない方がいいんです。松葉杖なしでも歩けるようになったら、体全体の柔軟性をあげます。そして筋肉を鍛えます」
「兵士が使う筋肉と、踊り子が使う筋肉は違いますから。焦らずゆっくり治してから、歪みを正します。どうしても、痛い方の足をかばって、体全体がゆがみますから」
アッテルマン帝国の振付師も、バレエ団の監督にほぼ同意した。
少女はワッと泣き出した。
「二週間ぐらい踊れないってことですか? お願いします。なんでもしますから、故郷に追い返さないでください。私の稼ぎで家族が暮らしてるんです」
ミュリエルは慌てて少女の背中をさする。
「もちろん、追い返したりしないよ。大丈夫大丈夫」
ミュリエルはゆっくり優しく安心させるように、何度も大丈夫と繰り返した。
「私も筋肉が落ちてるから、足首が痛くなくなったら一緒に体操とかしようよ」
少女はやっと泣き止んで、ギュッと唇を閉じて、熱心に頷く。
「せっかくですから、使いやすい松葉杖を開発しましょう。松葉杖は、昔からこの形で、ほとんど変わってないのです。脇と手が痛くなりますよね」
パッパが身を乗り出した。ミュリエルは松葉杖を使ったことがないので、試してみる。
「ああー確かにこれ、脇が痛くなる。手も痛いね。両手がふさがってると、魔物に襲われても、石も投げられない。危ないよー」
ミュリエルは青くなる。なんてスキだらけの医療具であろうか。これでは馬と一緒だ。歩けないと死。なんということだ。
ミュリエルはカッと目を見開いてパッパを見つめる。
「パッパ、両手が使えるようにできないかな」
「やりましょう」
少女は、あれよあれよという間に決まって行く話に目を回している。おかげで、涙は乾いたようだ。
その日から、パッパと職人たちが、少女にべったり張りついた。
「なんでも言ってくださいよ。違和感や痛み、重さ、不安定。なんでもです」
「あ、はい。これは重すぎて、腰と足が痛いです」
「軽すぎると安定できずに転んでしまう。重いと、いい方の足まで痛くなる。難しいな」
職人たちは少しずつ重さを変え、試して行く。
「重さはちょうどいいです。でもスネが痛い」
今試しているのは、くじいた足を後ろに直角に曲げ、膝から足首までを乗せる型だ。一本足の細長い椅子を、足に装着している感じ。
「足を乗せる台のクッションを、もっと厚くするか」
「太ももを固定しているベルトを、もう少し強めに締めれば安定するんじゃないか」
「膝から地面までの支えに、少しだけしなりを加えてもいい」
新しい手放し松葉杖ができた頃には、足の痛みはすっかり消えていた。少女は、悲しんだり、自分を憐れむ時間なんて、これっぽっちもなかった。
「皆さん、本当にありがとうございます。これで、今後足を怪我しても、安心して暮らせます」
少女はパッパと職人に、深々とお辞儀をする。
「なんのなんの。こちらこそ新商品ができて嬉しいです。まだまだ改善の余地がありますから。引き続き試してくださいね」
それからは、ミランダと共に体を柔らかくしつつ、筋肉も鍛える体操を試して行く。ミュリエルも、ルーカスと一緒に参加する。
「よく伸ばして。ゆっくり。無理は絶対ダメよ」
ガチガチの体を少しずつ、柔らかく伸ばす。どこの筋肉が、どう繋がっているのか。ナディアや軍医にも聞きながら、全身を調べる。
「足を痛めたからって、足だけ鍛えてもいけません。上半身も下半身も、まんべんなく」
元通りに踊れるようになるまで、数週間が必要だった。軽やかに飛び、ごくわずかな音と共に降りる。少女はクルクルと周りながらミュリエルとミランダに近づくと、ピタッと止まった。
「私、踊り子も続けますが。怪我をした踊り子を助けることを、主な仕事にしたいと思います。自分がキレイに踊れなくなっても、他の人を助けられれば、ずっと舞台を見ていられるもの」
「いいと思う。そういう人がいるって、すごく大事」
少女は、ミュリエルとミランダの手を握った。
「何もかも、皆さんのおかげです。これからも、よろしくお願いします」
踊り子の引退までの期間を、もっと延ばす試みが始まった。踊れなくなったら、故郷にしおしおと帰るか、結婚するしかなかった踊り子たち。あまりにも短かった花の命。長く踊れ、引退後も働き口があるなら、安心して踊り子になれる。
刹那ではなく、図太く長く踊ればいい。ミュリエルはそう思う。




