203.ダンの副職
ことの発端は、とある令嬢の相談だった。
「私、どうしても素直になれなくて。心にもないことを言ってしまうんです」
ミランダはおっとりと首を傾げる。女神を崇める会の女性たちは、先を促すように令嬢を見つめた。
「私の婚約者、男爵家の三男なのです。私は子爵家の次女です。身分的にはそれほど問題ありません。彼は真面目でいい方です。私はこの婚約になんの不満もありません」
ミランダは、何が問題か分からず、曖昧に頷く。
「私、自分に自信がなくて。姉も妹もとってもかわいらしいんです。でも。私はすごく平凡で、それがずっと苦しくて。私なんかが幸せになれる訳がないって思ってしまうんです」
「まあ」
ミランダは長いまつ毛を震わせながら、瞬きをした。隣の席のご婦人は、その優美なまつ毛の動きをしっかりと心に焼きつける。あの動き、あとで練習しなければ、とても色っぽいわ。ご夫人はそんなことを考えながら、真っ赤な顔で話している令嬢に視線を戻した。
「今、とっても素直に、ご自分の気になる点を話されてると思いますけれど」
ミランダはほっそりとした指を頬に当てた。ミランダには、彼女が何を相談したいのか、まだよく分からない。
「女性には大丈夫なんです。でも婚約者にはひねくれたことばっかり言ってしまって」
「例えば?」
少し離れた席の女性が問いかける。
「例えば、本当は妹が好きなんでしょう、妹を紹介してあげてもよろしくてよ。この間、そのように言ってしまって」
「あらら」
「彼は、あなたの妹さんがお好きなの?」
ミランダは目を丸くして口に手を当てる。
「いえ、そんなことはないと思うのですけれど……。つい不安で」
「まあ」
「彼はなんと返事を?」
ご夫人方が質問を投げかける。
「彼は、そんなことはありません、と私をまっすぐ見て言ってくれました」
「あら、それならよかったですわね。解決ですわね」
ミランダは両手を打ち合わせる。令嬢はガックリとうなだれた。
「そのときはそれで安心しました。ですが、またついうっかり。貴族同士の政略結婚ですから、別に無理して好きになっていただく必要はなくってよ。愛人を持っても目をつぶるわ、と言ってしまって」
「まあ。愛人を持ってもいいのね? 貴族の方は、心が広いのですわねえ。私、レオが愛人を持ったら、愛人に火をつけると思うわ」
ミランダは少し眉をひそめた。憂い顔のミランダ様、いただきました。崇める会の女性たちは、そっと心の中で祈りを捧げる。ぜひ、燃やしているミランダ様を見てみたい。でも、レオさんが愛人持つ訳がないわね。各々、静かに結論づける。
「あの、愛人なんて持ってほしくありません。できれば、私だけを見てほしいです」
令嬢はハンカチをクシャクシャに握りしめる。
「あら、だったらそんなこと言わなければいいのに」
「その通りです」
部屋が静かになる。そうですよねー、ですよねですよねー。困ったわ、どうしましょうか、ご夫人方は視線を交わし合う。
コホン ひとりの貴婦人が、姿勢を正す。
「つまり、自信がないから、彼の愛を試したくなる。そういうことですわね」
「はい。虚しいし、彼にも悪いのでやめたいのです。でもつい」
「分からないでもないですわ。若いときってそういうことありますわね」
貴婦人の言葉に、ミランダは口をすぼめる。すごく愛くるしくて、女性たちは胸を抑える。
「私、ちっとも分かりませんわ。商品を売るとき、レオは誠心誠意、その商品を良いと思ってオススメしますわ。他の商品の方がお好きですよねー、とか、他の商会をご紹介しますとは言わないわ。だって売れなくなってしまうもの」
うっ 誰かがのどを詰まらせた。ミランダはハッとして皆を見回す。
「それとも、それが貴族の駆け引きというアレですかしら。私、思ったことを言ってしまいますから。あまり駆け引きは得意ではなくて。いざというときは、笑うぐらいですわ」
み、見たい。笑顔をぜひとも。部屋の空気が緊迫する。
「そうだわ。やっぱり男性の意見を聞く方がいいのではないかしら。女性と男性は違いますもの。男性からすると、どうなのか、聞いてみてもよいのでは?」
ミランダが、いいことを思いついたと言わんばかりに、口角を上げる。割れんばかりの拍手が巻き起こる。
「待ってました」
「いただきました」
「生きててよかったですわ」
ミランダは皆の絶賛に満足そうに頷く。
「ヴェルニュスで女性経験が豊富なのは……」
「それで俺ですか」
ダンはとても、すごく気が乗らない風にミランダを見る。
「未亡人とお楽しみと聞きました」
ミランダはいたって真面目に答える。はあー、ダンは長いため息を吐いた。
「厳しいことを言ってもいいなら、引き受けますけど」
「お願いします」
そういうことで、後日、ダンを囲む会が催された。
「いや、ダメでしょう」
ダンはしょっぱなから、バッサリ切った。令嬢はハンカチを噛み締める。
「やっぱり」
「めんどくさい。ものすごい美人か、肉体的魅力にあふれまくってる妖艶美女か、金持ちならまだしも」
ダンは遠慮なく令嬢を見る。
「まあ、あなたまだ十代ですよね。婚約者が四十代とかなら許されるんじゃないですか。若いってだけで受け入れられますよ」
「彼は二十歳です」
「じゃあ、ダメでしょう。最初の頃は、そういうとこもかわいいなと思うかもしれませんけど。何度も続くと、疲れますね。あなただって、卑屈で後ろ向きな男、好きじゃないでしょう?」
令嬢は何度も頷いて、ハンカチを目に当てる。
「私、私どうしたら治せるでしょうか」
「あなたが子爵で彼が男爵でしたか? あなたの方が身分が高い。それなら、しばらく許されるでしょう。彼に正直に言って、練習したらどうですか?」
「ど、どのように?」
「手紙にでも書いたらいいですよ。あなたのことは、大好きだけど、緊張するとつい真逆のことを言ってしまう。治すよう努力するから時間をくださいって。で、思ってもないことを言ってしまったら、またやってしまいました、ごめんなさいって言えばいい」
「そんなこと言えません」
「言えなきゃ、いずれ浮気されるでしょうな。世の中、素直でかわいい女性はいくらでもいるから」
グウッ 誰かが変な声を出して咳き込んだ。
「そうだわ、私にお手紙くださればいいわ。こんなことを言ってしまいました。その後、謝りました。もしくは、謝れませんでしたって。それで、私がダンに対策を聞いてみますわ。ダンと直接文通するのは、外聞が悪いでしょう?」
「やりますっ」
令嬢はいきなりキリッとした。
「絶対に謝ります。そしてそのことをミランダ様にご報告します」
令嬢は、憧れのミランダとの文通の権利を得た。張り切った。王都に戻って、婚約者に今までのことを謝り、洗いざらいをぶちまけた。婚約者は面食らったものの、温かく受け止めてくれた。
ひねくれたことを口にすると、ミランダの顔が思い浮かび、すぐさま撤回できた。そして、せっせと手紙を出す。意外とかわいらしいミランダの筆跡を見て、令嬢はグフグフする。
それ以来、ミランダを崇める会では、恋愛相談が増えた。そして、ダンの出番も増えた。皆の思惑などお見通しのダンは、生暖かく対応している。




