198.いざ、勝負
でっぷりとした腹をたぷんと揺らし、殿様はダブダブのあごに手をやった。
「これはこれは殿下、ようこそいらっしゃいました。そのー、殿下のご友人というのは」
殿様はハリソンと巨大な犬を見る。ハリソンはそっと首を振り、横によけた。後ろに立っていたスーへと白い馬を見て、殿様は口をあんぐりと開ける。
「おま、お前はあのときの。な、馬が……」
「お父様、どうなされたのです」
鋭い眼差しをした、長い三つ編みをいくつも垂らした少女が奥から出てくる。少女はスーへと雪を見ると、ハッと息をのんだ。
「馬、生きていたのね……よかったわ」
少女はバツが悪そうに下を向いてつぶやいた。
「あなたの馬ね、少し借りたら、返すつもりだったの。でも暴れて逃げ出して。止めるために、遠くに矢を射ったつもりが。その馬が速すぎて、矢が当たってしまって。ごめんなさい」
最後は消え入るような声で、少女は詫びる。スーへは黙ったまま雪を見る。返事はできない。謝られたからといって、許せる気持ちにはなれない。
「今日は私も馬競争に出るの。あなたが勝ったら、お嫁さんに行ってあげる」
スーへは顔を上げて、オズオズと少女と目を合わせる。意を決して正直な思いを口にする。
「いえ、僕はあなたと結婚するつもりはありません。税金を一生無料にしてもらえれば、それでいいです」
「なんですって。私じゃ不満だとでも言うの」
「僕の大事な雪を殺しかけた人を、好きにはなれません」
イヤな空気があたりを包む。少女はギリリと唇を噛んだ。
「あ、謝ったのに。了見の狭い男ね。いいわ、私があなたに勝てばいいのよね。そしたら嫁に行くわ」
「意味が分からない」
スーへは途方に暮れている。ラウルも困っている。どこまで割って入っていいものやら。自分への求婚ならばっさり断れるラウル。人の恋愛については専門外だ。困ってイヴァンとガイを見ると、大人ふたりが笑顔で間に入ってくれる。
「まあ、まずは勝負をしてから決めては?」
「スーヘが勝てば問題ないだろ」
「絶対勝つ」
スーへと少女が同時に答える。
数十頭の様々な馬が、一列に並んだ。弓自慢の巨大な男が、ギリギリと弓を引き絞る。赤い布のついた矢を五本、続け様に射る。
一斉に走り出す馬。先頭は、スーへの雪だ。スーへは雪に鞍も手綱もつけていない。膝でギュッと雪の胴体を挟み、腰は浮かしている。前のめりになり、雪のたてがみを握っている。
「すさまじい乗馬技術だ。鞍なしであそこまで人馬一体となれるとは」
ガイが感心しきっている。
二番手は、殿様の娘。長い三つ編みをなびかせて、黒光りする大きな馬を走らせる。
「あれはまた、いい馬だな」
雪よりひとまわり大きな黒馬。力強い足並みで雪を追い立てる。もう点ぐらいになったとき、ハリソンが叫んだ。
「スーへが一番で矢を取ったよ。次があの子」
ハリソン以外は誰も見えない。
「来る、すごい。白も黒もいい勝負」
軽やかに、飛ぶように走る雪。力強く、大迫力で追う黒馬。黒馬の鬼気迫る形相にひきかえ、雪は気楽に走っているように見える。
ハリソンとラウルは小さな声で、「雪がんばれ、スーへがんばれ」とつぶやく。
ピシリ 少女の鞭がしなる。黒馬がじわりと前に出る。
ピシリ 黒馬が白馬に並ぶ。
ピシリ 黒馬の鼻先がわずかに白馬を抜く。
スーへが上体をかがめ、雪の耳に何かささやいた。雪が応える。
スッ スッ 流れるように首を前に前に。
そのまま雪が一着で逃げ切った。
ワッと観客が叫び、ラウルとハリソンは飛び上がる。雪は疲れを感じさせない優美な走りで、しばらく観客の前をグルグル回ると、殿様とラウルたちの前で止まった。
「勝者、雪とスーへ」
殿様の声にもう一度歓声がわく。
「雪には一年分のかいば。スーへは一生、税金はなし。そして、我が娘を与える」
「よろしくねっ」
黒馬で寄ってきた少女は、身を乗り出してスーへの頬にキスをする。黒馬も白馬に鼻を寄せた。
スーへがワタワタしていると、少女は黒馬から飛び降り、雪の前で頭を下げた。
「雪、矢を射ってごめんなさい。当てるつもりはなかったの。でもあなたを殺すところだった。あなたにどうしても乗ってみたかったの。ごめんなさい」
雪は、許しませんよーという風に、ツーンと顔をそらす。
「私の黒馬が、雪に惚れちゃったみたいなの。スーへと雪が私を許してくれるまで、いっぱい働くからね」
「め、めでたい。のか?」
ラウルはとまどいながらスーへと雪を見つめる。スーへと雪がイヤなら、止めてあげるべきだろう。
スーへは雪の首筋を撫でる。
「雪が許すなら、僕はいいけど」
スーへは困ったように答えた。雪は、仕方がないなあという風に、ぶふーっと鼻をならす。
「め、めでたい。きっと」
ラウルの少し頼りない言葉に、観客はとりあえず大声で叫ぶ。めでたいめでたい。酒だ酒だ。めでたければ、殿様が酒を出してくれるはず。
雪はまだツーンとしているが、黒馬が自分の背を毛づくろいし始めるのを止めはしなかった。
前途多難ではありそうだが、もしかしたらうまく行くのかもしれない。雪の気持ち次第である。
飲んで歌えの大騒ぎの中、ラウルは少しモヤモヤしている。
「やはり止めるべきだっただろうか」
「雪次第ですが。まあ、いいんじゃないですかね。民の話を聞いたところ、どうも忖度した家来が矢を射ったらしいですよ。でも、あの娘も殿様も、ひとことも部下のせいで、とは言わなかった。そんなに、悪い人ではないかもしれません」
ガイがそっと後ろから声をかける。
「そうか。雪とスーへ次第だな」
ラウルは少し元気になった。でも、もし、スーへと雪がイヤがるなら、間に入ってあげよう。そう決めて、ラウルは晴れやかな気持ちで、騒ぐ民と馬を見つめた。