197.白い馬
ラウルたちは、草原で誰かの泣き声を耳にした。聞いているだけで、胸が張り裂けそうな声。ラウルたちは大急ぎで声の出どころを探した。
犬たちに連れて行かれた先は、小さな小屋。そっと中をのぞくと、少年が赤馬にかじりついて泣いている。否、赤馬と思われたそれは、血に染まった白馬であった。
「どうしたの、馬が血まみれじゃない」
動物好きのハリソンが、止める間もなく扉を開けて入って行く。少年は滂沱の涙を流しながら、切れ切れに話す。
「と、とのさまの家来に弓を射られて」
「ちょっと見せて。治せるかもしれない」
ハリソンは急いで玉手箱を開けると、海ブドウをプチプチつぶし、傷口にすり込む。海ブドウを馬の口の中に押し込んだ。
「いい子だから、飲み込むんだ。きっとよくなるから」
弱々しく不規則だった白馬の息が、少しずつゆっくりと穏やかになっていく。ハリソンは注意深く白馬の全身を調べ、矢傷に海ブドウの汁を塗っていく。少しずつ傷口が盛り上がり、ふさがった。
少年は涙を流したまま、呆然とハリソンと白馬を見つめる。
「多分、もう大丈夫だと思うよ。ゆっくり休ませてあげよう。今は眠ってるから、たまに様子見にこよう」
少年はものも言えず、ハリソンの手にすがりつき、嗚咽した。
小屋の隣にある、質素な家に入ると、中におばあさんが寝ていた。おばあさんは物音に目を覚まし、ガタガタ震えてガイとイヴァンを見る。
「ゆ、許してくだせえ。必ず税金は払いますから。この子は、スーへの命だけは」
少年は慌てておばあさんに抱きつく。
「違うよ違うよ。殿様の家来じゃないよ。僕の大事な馬を、雪を助けてくれたんだよ」
ハリソンはすかさず、おばあさんにも海ブドウを食べさせる。ピンシャンと起き上がったおばあさんと少年を囲み、話を聞くことにした。
話を聞くにつれ、ハリソンはワナワナと震え、ラウルは悲しい顔をする。
「殿様とやらが、馬競争の勝者に娘を嫁にあげるか、税金を数年免除すると言ったのだな。それなのに、勝ったスーへの馬を取り上げて、税金も免除しなかった。なんという恥ずべき嘘つきか」
「ぼ、僕がただの貧乏人だから」
「貧乏人だからといって、馬を取り上げ、その馬に矢を射るなど。到底許せることではない」
「石投げてやる」
「石にするか」
ハリソンとラウルが顔を見合わせる。イヴァンがそっと口を挟む。
「情報を集めてきますので、冷静になってお待ちください」
雪の看病をしたり、パンを焼いて食べたりしてるうちに、イヴァンが戻ってきた。
「来週、また馬競争をするそうです」
「何、性懲りも無く。また民から搾り取ろうとしておるのか」
ラウルがクワっと目をむいた。
「いかがでしょう。来週のその時間に、その殿様とやらに殿下が面会されては。そうすれば、殿下も馬競争を一緒にご覧になれます」
「うむ、そうするか。よもや、余の前で民を騙くらかすことはしまい」
「では明日、面会の約束を取りつけて参ります」
「うむ、頼むぞ」
翌朝、雪はすっかり元気になっていた。そして、なぜか脱皮していた。
「馬って、脱皮するんだ」
「聞いたことありません」
傷ひとつない、ツルリと光り輝く白馬の足元に、血濡れの馬の皮。ハリソンとスーへは雪をたっぷり撫でた後、足元の皮を広げてみる。
ところどころに矢傷の跡が残る、雪の皮だ。スーへはハッとする。
「そういえば、昨日おかしな夢を見たんです。雪が、私の皮で馬頭琴を作ってくださいって言ってました。これのことだったのか」
「馬頭琴とは、先端が馬の形をした弦楽器であったか。そうか馬の皮で作るとは知らなんだ」
ラウルが複雑そうな顔をしている。ちょっとかわいそうな気がする。
「四角い共鳴箱は松の木です。そこに馬や羊の皮を張ります。弓と弦は馬の尻尾で作ります」
なぜか尻尾もたてがみも生え変わったらしく、ゴッソリ落ちている。
「立派な馬頭琴が作れそうだな」
「はい」
スーへは馬の皮を洗い、真っ白な馬頭琴を作った。スーへがゆっくりとした素朴な音を奏でる。馬と走っているときの風を感じられるようだ。スーへの音に合わせて、おばあさんが不思議な声で歌い始める。
大地を這うような低い声と、空高く舞う小鳥のさえずりのような声。同時に聞こえてくる。ラウルは、スーへが一緒に歌っているのかと思った。でもスーへは歌っていない。
おばあさんがひとりで、ふたつの声を出しているのだ。スーへの馬琴頭とおばあさんの歌声。馬を愛する気持ちが伝わってくる。
ラウルたちは、拍手喝采した。
「素晴らしい、馬頭琴は初めて聞いたが。素朴であたたかな音だな。そして、おばあさんの歌声がピッタリであった。なんとも不思議な歌声だ、あれはどのように出すのだ?」
「舌を口の上にギリギリつけないぐらいで、喉を震わせるのです。練習すればできるようになりますよ」
「うむ、では教えてくれるか」
ラウルとハリソンは、おばあさんから歌い方を。スーへから馬琴頭の弾き方を教わった。
そうこうするうちに、殿様との面会日になった。おばあさんは家に残し、スーへと雪を連れて、屋敷に向かう。
「ラウル・ラグザル第一王子である。苦しゅうない。余の友人のスーへが、今日の馬競走に出たいと言っておるのでの。見学に来たのだ。勝者は、そなたの娘がもらえ、税金が一生無料になるのだそうだな」
ラウルは王子らしく、雅な笑顔で、開口一番に言い放った。
誰が、否と言えようか。