195.助け合い
アッテルマン帝国の王宮で、母娘三世代がやっと揃った。フェリハが渋々戻ってきたのだ。
「あー、楽しかったわあー、ヴェルニュス。ルーカスはすっごくかわいいし。もちろん、セファが一番、というより別格、唯一無二でかわいいんだけど」
セファの視線を感じたフェリハは、華麗に方向転換した。
「外交という名の息抜きを楽しんだようで、よかったわ。こちらはやることが山積みなのよ。人手不足な上に、次々と問題が起こるから。本当に、デイヴィッドさんたちに弱者支援をやってもらえてよかったこと」
ヒルダはこめかみを指でグリグリもむ。
「デイヴィッド、いい人だもの。アイリーンの婿にどうかと思ってたけど、イシパさんに先を越されてしまったわあ」
フェリハは冗談まじりで言っているが、割と本気で考えていた。アイリーンは生真面目な表情で、首を横に振る。
「デイヴィッドさんとイシパさんの間には入れません。それに、私には結婚という制度が合っていないと思います」
「そうかな? 好きな人ができたら気が変わるかもしれないわよ」
「今はそれどころではないので」
シャルマーク皇帝に忠誠を誓っていた者は、ごっそりいなくなった。処刑、蟄居、身分剥奪など、犯した罪によって対応は様々だ。政治の中枢にいた、働き盛りの年代がほぼ消えた。
シャルマーク皇帝により追い出された人たちを呼び戻した。隠居していた老齢の者も駆り出した。そして全土から集めた優秀な若手でなんとか国政を回している。
「正直なところ、今どこかの族長にまとまって反旗を翻されたら、終わりよ。隣国と不可侵条約を結べてよかったわ」
ヒルダは今度は眉間を揉み始める。どこもかしこも、カチコチだ。
「反乱は大丈夫だと思うけど。お母様、聖母みたいって尊敬されてるらしいわよ」
フェリハはあっけらかんと言い、アイリーンも同意している。
「例のひどい聖母と比較して、お母様は素晴らしいという風に言われているようです。どうもサイフリッド商会が、うまくウワサを回してくれているようで」
「サイフリッド商会には助けてもらってばかりだわ。何かお礼をしたいところだけれど」
ヒルダは顔を上に向けて、ギュッと目をつぶる。考えてもいいお礼が思いつかない。
「あの人たちは、商売がうまくできればそれでいいみたいですよ」
「欲がないわね。とりあえず、私たちの御用商人ということにはしているけれど。何かお礼を考えなければ」
「ところで、あの聖母と息子はどうしましょう?」
アイリーンが帝都に連行した聖母は地下牢に、息子は王宮内の部屋で軟禁している。
「頭が痛いわ。とりあえず、あの完璧ニセ聖母は、聖典の民の末裔と宗教談義でもやってもらっていましょう。下手に処刑して民から神聖視されても厄介だわ。近い地下牢に入れておけば、お互い潰し合うでしょう」
ヒルダは頭を指で押しながら、うんざりしたように言う。
「おばあさま、僕がマッサージしてあげます。ミランダさんに教わってきました」
セファの言葉に、ヒルダは目を輝かせる。
「まあ、孫にそんな優しい言葉をかけてもらえるなんて。しぶとく生きてきてよかったわ」
セファは、執務の手伝いとマッサージに精を出す。今、自分にできることをやるのだ。ラウルは元気にしているだろうか。セファは遠くにいる友達のことを思う。
***
ラウルたちは、川沿いにいた。誰かの仕掛けた魚取り罠に、イタズラしていた狐をつかまえていたところだ。
ハリソンが指示し、あっという間に犬がキツネを取り押さえた。ちょうどそこに、罠の仕掛け主がやってきた。
「な、なんだこりゃあ」
「あ、おじさん、この罠仕掛けた? 罠にかかってた魚を逃して、ウナギと遊んでいたキツネがいたからねえ。とりあえずつかまえたんだけど」
おじさんは、巨大な犬の足元にいるキツネに目をやった。
「あ、お前。ゴーンじゃないか」
「あれ、知ってるキツネ?」
「イタズラもので困ってるんだ。かわいいけど、このまま悪いことばかりしてると、毛皮にしちまうぞって。そう猟師仲間と言っていたところだ」
そう猟師は言うと、わずかに残っていたウナギを、カゴに入れる。
「俺のおっかあが病気でよう。ウナギでも食べて元気になってもらおうと思ってな。焼いて食うと美味いんだ」
ハリソンのおなかがグウと鳴る。
「そういえば、僕いい薬持ってる。それあげるから、ウナギ食べさせて」
「おう、いいぞ。図々しい坊主だな」
猟師はカラカラと笑う。
「このキツネ、もう逃してもいい?」
「ああ、うん。おい、ゴーン。今度悪さしたら、本当に狩っちまうぞ。猟師を怒らせるな」
ゴーンはうなだれて、しゅんとしている。
犬がそっと足を上げると、ゴーンはシュルッと走って行く。少し離れたところで、何度も頭を下げた。
「ああやってるとかわいいんだけどなあ。罠にかかった獲物にイタズラされると、こっちも暮らしていけないから」
猟師の小さな家に案内される。家の中から、激しく咳き込む声が聞こえた。ハリソンは玉手箱を取り出す。
「これね、亀姫からもらったんだ。きっと効くよ」
ハリソンは海ブドウを猟師の手の上にのせた。猟師は半信半疑の様子で、海ブドウを何度も見る。
「だーいじょうぶだって。試してみてよ。心配なら、僕が少し食べようか?」
ハリソンは小さく切り取って、パクッと口に入れる。
「まあ、僕は元気だから、どうにもならないけど」
「お、おお。そしたら試してくる」
「ウナギー」
おばあさんが、叫びながら出てきた。
「ウナギ、焼いて食べよう」
おばあさんは、大きなまな板を持ってくると、ダンっとウナギの頭に杭をうつ。包丁でささーっと腹をあけて、ワタを取り出す。まだウネウネしているウナギに串を何本も刺す。呆然としている猟師をよそに、ハリソンはさっさと焚き火を起こした。
おばあさんとハリソンの巧みな連携で、あっという間にウナギが焼けていく。香ばしい匂いがあたりに漂った。
「さあ、食べよう食べよう」
おばあさんはウナギを人数分に分けると、ガブリとかぶりつく。負けじとハリソンもかじった。
「うんまーい」
「だろー」
ハリソンとおばあさんの息はピッタリだ。
「え、おっかあ。本当に元気になったのけ?」
「おうよ」
おばあさんはモグモグしながら、拳を振り上げる。
「お、俺、もっとウナギとってくる」
猟師は流れる涙を拭いながら、川に走って行った。
「薬をありがとうね。胸のつかえが、スーッと消えていったのさ。もうそろそろ、永眠だと思っていたのに」
おばあさんは、ハリソンの手を握って、何度もお礼を言う。
ハリソンが名残惜しげに、串をくわえていると、猟師が戻ってきた。
「こいつがウナギとって、持ってきてくれたんだ」
猟師の足元に、ゴーンがまとわりついている。
「ゴーンも一緒に食べな。今ウナギをさばいてやる」
おばあさんはニカっと笑い、ゴーンはコーンと鳴いた。
セファが心配しなくても、ラウルは元気にやっている。ごはんはハリソンがいくらでも調達してくれる。実にのんびりとした旅である。