193.幸運をもたらすもの
デイヴィッドたちは、アッテルマン帝国を回っている。各都市の領主に会っては、ある提案をしているのだ。
「こちらがヒルダ女王陛下からの委任状です」
デイヴィッドは領主に物々しい羊皮紙を見せる。領主はかしこまって委任状を確認した。
「シャルマーク皇帝が悪しき考えに取り憑かれて、森の子どもを迫害しました。私どもで見つけた森の子どもたちは、アイリーン王女の直轄地に住んでもらっています」
「なるほど」
分かったような顔をして頷いてはいるが、領主にはこの会談の目的が分からない。
「ご提案したいことは二点です。森の子どもを見つけたら、すみやかに保護して、帝都に報告いただきたい。もう一点は、領地の孤児や貧しい者への対応です」
ははあ、慈善事業か。金はどうする気だ。領主はにこやかな笑顔の裏で、費用についての概算を考え始める。
「税収だけで、貧しい者への対応をするのは限度があるでしょう。そこで、これです」
デイヴィッドは領主の前に、キラキラの金のたまごを置いた。領主は目を見開く。
「森の子ども助ける過程で、聖なるガチョウを得まして。その神聖な金のたまごです」
「ははあ」
領主は金のたまごから目が離せない。もし中までぎっしり金が詰まっているなら、とんでもない価値があるぞ。領主はごくりと唾を飲み込む。
「こちらは、正しく神に祈ったあと、少しだけ自分のお願いごとを祈ると、叶うかもしれない金のたまごなのです」
「ほう」
うさんくさいにも程があるな。領主は真面目な顔で聞きながら、この話に乗るかどうか、天秤にかける。めんどくさい上に旨味が少ない慈善事業は、できれば角が立たないように断りたい。でも、金のたまごは欲しい。ううむ。
「いかがでしょう。この金のたまごを教会に置かせていただけませんか。教会で神に祈ったあと、金のたまごに願いごとをできるようにするのです。誰でもです」
「ふむ」
「ただし、金のたまごにお願いごとをするには、寄付が必要とします。寄付金は指定しません。それぞれが、払える分で結構。そして、寄付金は全てその人の目の前で紙に記載して、教会で常に公開してください。横領を防ぐためです」
「ははあ」
まあ、それぐらいなら、たいした手間ではないな。若い神父にでもやらせればいいか。
「その寄付金を元に、孤児や貧しい者への対応をお願いしたいのです。お金の使い道はご領主様に決めていただきたい。毎月誰からいくら寄付があり、それをどのように使ったか、公開する。写しを帝都に送る。いかがでしょう」
「まあ、悪い話ではないですが」
なにせ元手がタダだ。
「効果のあった施策、人道的に広めるべきことなどは、全土に紹介されます。ヒルダ女王陛下が直々に判断されるとのこと」
領主の眉がピクリと動いた。
「既に他の都市でも取り組みが始まっております。ある都市では、孤児に家を提供し、きちんとした服と道具を与えて、靴磨きとして働かせています。衣食住を与えつつ、自力で生きていく仕組みを作ったと、ヒルダ女王陛下がいたく感心されたそうです」
「前向きに検討いたします」
領主はキリッと答えた。
「では、ご連絡をお待ちいたします」
デイヴィッドはさっさと金のたまごを布に包むと、カバンにしまった。
デイヴィッドたちがいなくなったあと、領主はじっと考えている。ヒルダ女王陛下に褒められたい。そうすれば、他の領主に大きな顔ができる。何かあっと驚くいい方法はないだろうか、必死で頭を巡らせる。
領主は頼りになる部下たちを集めた。
「何か画期的な案はないか」
ふんわりとした質問を投げかける。
「炊き出しはどうですか?」
「それを継続してできるなら、いいが。遣いの人の話では、一過性の対策ではなく、継続的にできることが評価されやすいそうだ。金をばらまくのではなく、貧しい者が自立できる仕組みを作るといいらしい」
「孤児院を増やしますか」
「無闇に増やしてもなあ」
「閣下、現場百回という言葉があります。街に行って見回りませんか」
部下のもっともな意見に、領主は渋々ながら同意した。領民と会うと、あれやこれや嘆願されるので、本当は気が進まない。しかし、背に腹はかえられない。
街に出て歩いてみる。普段は馬車であっという間に通り過ぎるのだが。なかなか活気があるな。人通りも多い、ふむ、経済が上向いている証拠だ。これは誇ってもいいのではないか、領主は少し浮ついた気持ちになる。
「ご領主様だ」
「ご領主様だぞ」
領主は遠巻きにヒソヒソしている領民に、鷹揚に頷く。頼むから、誰も陳情してくるなよ。せこい内心はおくびにも出さずに、領主は街を見回る。そのとき、切羽詰まった叫び声が聞こえてきた。
「大変だー、子どもが煙突に挟まったぞー」
「壁を取り壊せー」
通りの向こうの家の周りで、人だかりができている。領主が見ている間に、煙突に穴が開けられ、小さな体が引っ張り出された。
「まずい、息をしていない」
「胸を強く叩け」
男が握り拳を子どもの胸に打ちつける。骨が折れるイヤな音がした。ケホッケホッと小さな咳が聞こえる。
「息を吹き返した。揺らさないように、医者に連れて行こう」
男の腕に抱えられた子どもの細い腕が、ダラリと垂れ下がる。領主は息を呑んだ。
「あのような幼い子どもが、どうやって煙突に入るのだ」
せいぜい六歳ぐらいの子どもに見えた。
「最近、住民が増えて住居が不足しがちです。高層の建物が多くなり、煙突が狭く長く、曲がる回数も多くなっております」
「うん、それは知っているが。それと子どもになんの関係が?」
「大人の体では煙突に入れないので、子どもに煙突掃除をさせている親方がいるとか」
「あのような幼な子に? そんなことを許可した覚えはない」
領主は目の前が暗くなった。それなりに領地を運営していると思っていたのに。聖人君子ではないが、普通にやっているつもりだった。まさか、あんな子どもが過酷な労働をしているだなんて。
「ふし穴か。何が領主だ。こんなことにも気づかないでいたなんて」
ダラリとしていた子どもの腕が、頭から離れない。
「慈善事業などと言っている場合ではない。子どもの労働状況を調べてくれ」
金のたまごどころではない。目の前で、幼い命が消えようとしたのだ。悠長に寄付を待っている場合ではない。
いい領主になるのだと、熱意を持っていた昔のことを思い出した。間に合うだろうか。子どもを救えるだろうか。
領主の焦りは部下に伝わり、すみやかに、くまなく子どもの労働事情が調べあげられる。