189.一寸の虫にも五分の魂
「さあ、話を聞かせてもらおうか」
机の上にお椀入りの親指小僧を置き、ミュリエルは偉そうに言いはなった。
ミュリエルの隣にはアルフレッドが座り、給仕はダンである。ないとは思うが、親指小僧がミュリエルに危害をくわえてはいけないため、アルフレッドがダンに命じた。
「拙者の両親は、小さな村で慎ましく農業を営んでおります。長年、子どもに恵まれず、神に祈り続けてやっとできたのが、この小さな小僧である私です。両親は村の者たちからバカにされました」
村の者からバカにされても、慈しんで育ててくれた親のこと。なんの役にも立たない自分を、いてくれるだけで嬉しいと言ってくれたこと。強くなって、お金を儲けて、親を楽にさせたい。そんなことを、親指小僧は熱心に話した。
グスッ グスッ ミュリエルは泣き、アルフレッドの魔牛刺繍入りハンカチをビシャビシャにした。
「なんて、けなげなの。ううう、辛かったねえ。ここで強くなって、親孝行しなさい。そして、親指姫を妻だと紹介するのよ」
ミュリエルはあっさりとほだされた。
その日から、親指小僧は護衛たちの訓練にまざり、体を鍛えることになった。しかし、いくら鍛えたところで、しょせん親指。つま先ではじかれて、遠くに飛ばされる。
親指小僧はそれでも決して諦めない。誰よりも熱心に訓練する。アルフレッドはこっそりダンに指示をした。
「真正面から戦っても、親指小僧に勝ち目はないだろう。影の戦い方を教えてやってくれ」
ダンは少しずつ、いかに敵の目をかいくぐって戦うか、親指小僧に伝授する。
「体の小ささを活かすことを考えろ。隠れろ、死角から攻めろ。バカだな、正々堂々なんてお前には百年早い。汚く、小ずるく、敵をあざむけ。とにかく死ななきゃいい。生き残る方法を考えろ」
親指小僧は歯を食いしばって、ダンにくらいつく。
「はあ、少しも強くなっている気がしない」
ダンにやられまくって、ズタボロになった親指小僧。夕焼けを見ながら、石垣の上でひとり愚痴をこぼした。
「そんなことないわ。ダンさんが、あなたは見どころがあるって褒めてたわ」
親指小僧がさっと振り返ると、親指姫が水の入った小さな器を持って立っている。親指姫は器を渡し、親指小僧はひと息に飲み干した。
「ありがとう。せめて、親指姫を守れるぐらいには強くなってみせる」
ふたりは寄り添って夕陽の沈むのを黙って眺めた。
そのとき、ツイーっとツバメが飛んできた。何やらピチピチ言っている。
「たいへん。カラスが木の上で動けなくなってるんだって」
「行ってみよう。乗せてくれるかい?」
親指たちは、ツバメの背中に乗って飛んでいく。高い木の上に、カラスの巣がある。確かにカラスがジタバタしているのが見える。
ツバメがカラスの上を旋回し、親指たちはじっとカラスの足元に目を凝らした。
「首飾りの鎖に足がからまってるみたい」
「はずせるか試してみる」
親指小僧は、ヒラリと跳躍し、カラスの上に飛び降りた。
カーッ カラスは怒って大声を出した。
「暴れるな。その鎖がはずせるか、試すだけだ。おとなしくするのだ」
親指小僧はカラスをなだめながら、そっと巣の上に降りる。キラキラした首飾りがいくつもあり、鎖が複雑にからみあっている。カラスの足に、たくさんの鎖がグルグルに巻きついている。
親指小僧にとっては、重く長い鎖。全身の力をこめて、少しずつ動かす。針の剣を輪っかの間に差し込み、徐々にからまりをほどいていく。
親指小僧の腕がガチガチにこわばり、針の剣がボロボロになったとき、やっと鎖がはずれた。
カアー カラスは高らかに鳴くと、そっと身をかがめ、親指小僧を背中に乗せる。
カラスはミュリエルのところまで親指小僧を運ぶ。ミュリエルは大騒ぎしながら親指小僧をそら豆のベッドに寝かせた。ツバメと一緒に飛んできた親指姫が、親指小僧の傷だらけの手と腕に薬草を塗り込む。
カラスはミュリエルにコッテリと怒られた。
「首飾り盗んだの? ダメじゃない。キラキラしたのが好きなのは知ってるけどさあ、盗みはダメだよ。いい、これから親指小僧を助けなさい。しっかり働けば、キラキラしたのをあげるから」
カアー カラスは頭を下げて反省しているようだ。
カラスは親指小僧の言うことを、よく聞くようになった。カラスと共に空高く飛び、隙を見て急降下。カラスの背中からダンの頭に飛び降り、針の剣をダンの目の前につきつける親指小僧。
「参った」
ダンが悔しそうに、しかしわずかに嬉しそうに、そう言うことが多くなる。
「もう立派な兵士だ。カラスと一緒なら、親指姫を守れるだろう」
ダンが厳かに宣言する。親指小僧は誇らしそうに胸を張り、親指姫は手を叩いて飛び上がった。
親指小僧は、親指姫と共に故郷に向かうことにした。ツバメから、親指姫と出会った森のことを聞き、ミュリエルとアルフレッドと地図を調べたのだ。大まかな場所のあたりをつけた。
「まずは拙者の両親の家に行きます。そこで親指姫を紹介します。その後、親指姫の母御の家を探してみます。カラスとツバメが、途中で他の鳥に聞いてくれます」
「気をつけてね。無理だと思ったら、すぐ引き返して来なさい」
「はい」
ミュリエルは親指ふたりを見つめて、優しく続ける。
「親御さんが望めば、一緒にこっちに引っ越してくるのよ」
「はい、ありがとうございます」
「親指姫、できれば戻ってきてね。お母さんと一緒にね」
女の子たちが親指姫を取り囲んで、懇願する。
「お母さんに会えたら、聞いてみるね」
「ああ、ぜひそうしてくれ。親指姫にはまだまだ頼みたい仕事がある」
女の子たちの後ろから、ヨハンが真剣に言った。
「私でもできる仕事があるなんて。お母さんが聞いたら嬉し泣きすると思う」
親指姫は顔をほころばせた。
「行ってらっしゃーい」
「気をつけてねー」
「帰ってきてー、絶対ー」
「新しい服作って待ってるぞー」
皆に盛大に見送られて、親指たちはカラスに乗り、ツバメと共に飛び立った。
ヴェルニュスの領民たちが悲しみにひたる暇もないぐらい、割とすぐ。ふたりは飛んで帰って来た。
「はっや」
「両親も、親指姫の母御も、ヴェルニュスに引っ越してきます」
「おおー、やったねー」
ミュリエルは両手をあげてグルグル回り、アルフレッドに止められる。
女の子たちとヨハンは歓声をあげ、踊り出した。
カラスはミュリエルから、ご褒美のキラキラの腕輪をもらった。
「鎖がついてないほうがいいでしょう」
ミュリエルの言葉に、カラスはカーと嬉しそうに鳴いた。ツバメは腕輪はいらないようなので、ミュリエルはたっぷり褒めた。
ヴェルニュスに個性豊かな住人が増えていく。ヴェルニュスなら、変わり者でも受け入れられるらしい。そんなウワサがじわじわと広まっていくのであった。