187.恋の季節
亀たちは、せっせと鹿やウサギを運んでくる。獲物が川に水を飲みに来たところを、水の中に引きずりこむらしい。解体し、焼いたり煮たりするのは、ハリソンとガイの役目だ。
ハリソンはなんだかんだで、竜宮城を満喫している。どういうことかは分からないが、水の中でも息ができる。亀や魚たちと一緒に、いつまでもどこまでも泳げる。ラウルはそれほど泳ぎは達者ではないので、小さな魚たちと竜宮城付近でパチャパチャと泳いでいる。
全体的に、まったりとのどかな雰囲気だ。亀の姫を除いては。亀の姫はとても積極的。王都で男女の悲喜こもごもを見てきたイヴァンがドン引きするほどである。
亀姫は毎日、朝昼晩と、採れ立てプチプチの海ブドウをハリソンに献上する。
「わたくしのように、ピチピチの海ブドウですわ。どうぞご賞味くださいな。わたくしのこともぜひ」
ウフフー 姫はしなをつくり、上目づかいで目をパチパチする。
ハリソンはなるべく目を合わさない。
それは、ハリソンだって、思春期の男の子。かわいい女の子に言い寄られて、悪い気はしない。だけど、亀の姿を見ていたハリソン、姫のことを女子とは全く思えない。亀は好きだけど、恋愛対象ではないのだ。
毎日、海の水ほどしょっぱい、塩対応である。
「海ブドウ、もう飽きちゃったなあ」
ミュリエルに聞かれたら、ぶっ飛ばされそうな、贅沢な発言をしている。
「ではでは、今日はワカメとひじきにいたしましょう」
「う、うん」
「何かご希望があれば、教えてくださいね」
「パンが食べたいなあ」
つい、ハリソンの口から本音が漏れてしまった。
「パンといいますと、小麦粉で作る物体ですわね。どうしましょう、陸に上がって、小麦を刈ってきましょうか」
「小麦粉を買ってくるならいいけど。勝手に畑から取ってくるのはダメだよ。それは泥棒だから。いいよ、陸に上がったら食べるから、気にしないで」
「川沿いに、野良の小麦が生えてないですかしらねえ」
亀姫はブツブツ言いながら、魚たちに聞きに行く。
「姫さま、ハリーさまの胃袋はつかめそうですか?」
「ダメよ。ダメダメ、全然ダメー。だって、お肉とってくるのはわたくしたちだけれど、解体するのも、焼くのもハリー様ですもの。それってちっともオモテナシになっていないわ」
亀姫はしょんぼりしながら、肩を震わせる。
「ハリー様は海藻はもう飽きたみたいですわ。パンが食べたいそうなのです」
「パンですか。粉に水を加えてコネコネして焼く丸いものですわね。そうですわねえ、海藻を干して粉にしたものを焼いてみますか?」
早速、やってみた。亀や魚の赤ちゃんが食べる、海藻の粉に海水をまぜてグルグル。緑色のドロリとした何かが出来上がる。焼いてもちっともまとまらない。
「あ、そうですわ。ツナギがいるのですわ、きっと。コラーの卵を分けてもらいましょう」
緑色の何かが焼けた。おいしそうには見えないが、人にはどうなのだろう。こっそりとイヴァンに見てもらう。
「海藻の粉と、コラーの卵でパンを焼いてみました」
「パン……」
パンには見えないが。イヴァンはじっくりと、緑色のお焼きを眺める。
「味見してもよろしいですか?」
どちらかというと毒味に近いが、礼儀正しいイヴァンはそんなことは言わない。ひと口分を口に運ぶ。イヴァンは魚や亀たちの視線を浴びながら、ゆっくりと咀嚼した。
「これは、人の口には合いませんね」
こういうことは、はっきりと、誤解なきように言う方がいい。胃の強いハリソンはともかく、殿下には決して出せない。
魚や亀はガックリ頭を垂れた。
「やっぱりそうですか。私たちの口にも合いませんが」
「亀さんたちは、なんでも食べられるでしょう。後はよろしくね」
魚たちは亀に緑色のお焼きを押しつけると、ヒラヒラと行ってしまった。亀たちは悲壮な顔つきで、お焼きを平らげる。
「ハリー様の胃袋をつかむ作戦は諦めましょう。では寝取りで」
「ええ、寝取りで」
何やら不穏なことを言い合いながら、亀たちは去って行く。残されたイヴァンは深々とため息を吐いた。
その夜、泳ぎ疲れてぐっする寝ているハリソンのしとねに、忍びよるひとつの影。
「まあ、かわいらしい寝顔」
グフフ スケスケの夜着をまとった亀姫は、そっとハリソンの隣に忍びこむ。
モフー ハリソンの隣に大きなフサフサ。
ギャッ 亀姫は飛び上がった。
「犬め、何をしておる。人の恋路の邪魔をするヤツは、馬に蹴られるのだぞ」
犬はのっそり起き上がると、亀姫をパクリとくわえ、扉から出て、外にペッと吐き出した。そしてまた、ゆったりとハリソンのそばに戻ると丸くなる。
キイィィィィィ 亀姫と亀たちは奇声を発しながら、泳いでいく。
翌日、イヴァンから事情を聞いたハリソンはあっさり言った。
「じゃあ、もう僕たち陸に戻ろっか。亀姫とは結婚できないしね」
イヴァンも青ざめるほどの、ぶった切り。亀姫の乙女心は粉々に。
「帰しませんわああああああ」
亀姫は巨大な亀になり、ハリソンたちの前に立ち塞がる。
「そんな、無理に引き留めたって、僕は亀姫のことは好きになれないよ。亀としてはかわいいと思うけど、人としては見れないし」
ハリソンは淡々と言った。
しゅるしゅるしゅる 亀姫は小さくなって、つぶらな瞳でハリソンを見つめる。
「かわいい?」
「うん、かわいい」
ハリソンは動物が大好き。亀ももちろん好きだ。
「では、陸までお送りします。またいつか、遊びに来てくださいね」
「うん、また来る。次はずっと亀の姿でいなよ」
亀姫はコクリと頷いた。亀殺しのハリソンであった。
元の川沿いまで送っていき、亀姫は玉手箱をハリソンに渡した。
「お土産です。中に海ブドウがたくさん入っています。病気やケガによく効きます。足りなくなったら、また遊びに来てくださいね」
ハリソンは玉手箱を開け、中の海ブドウを見て笑顔を浮かべる。
「亀姫、ありがとう。また会おうね」
「はい」
亀姫は、ハリソンたちが川沿いを歩いて行くのを、いつまでも見送った。
「ハリー、そなた女心をもてあそぶのではないぞ」
ラウルが重々しく注意する。
「ええっ、ラウルには言われたくないよねー」
うんうん。イヴァンとガイが同意する。
まだ少年のふたり。いつか恋をすることもあるのだろうか。