186.まだ子どもですから
代表は作らないということが決まったところで、次にこの場所の名前をつけることになった。
「楽園とか聖地とか、そういうのはやめよう」
うん、皆が同意する。そういう押し付けがましいのは、もうコリゴリ。
「カッコイイ名前がいいよね」
「覚えやすいのがいい」
「珍しい方がいいかな」
好き勝手、口々に自分が思う素敵な名前を叫ぶ酔っぱらいたち。らちがあかないので、幸運を引き当てた人が、好きな名前をつけられることにする。
大きなカゴの中に、白いはぎれ布がたくさん。青い布が一枚だけ入れられる。青の布を取った人が名づけ親だ。カゴにしっかり覆いがかけられ、ひとりずつ順番に手を入れて布を取る。
白い布ばかりが続き、皆が悪態をつき始めたところ、ついに青い布を引き当てた者が。
「え、あたし?」
手の中の青い布を見つめて、固まるリーン。リーンは困った。文字はまだ書けない。少しずつ、みんなの名前を書けるように練習しているところだ。リーンの知っている文字。アイリーン、ニーナ、イシパ、クルト、デイヴィッド、ジェイムズだ。
リーンは、知っている文字を少しずつ使うことにする。
「アーイイニクデイジェイ」
リーンが絞り出した名前に、民は目をぱちぱちさせる。
「えーっと、それって何か意味あるの?」
「あたしを助けてくれた人の名前」
「ああ」
幼い子どもが一生懸命考えた名前。イヤとは言いにくい。微妙な空気を感じ、うつむくリーン。ニーナがこそこそっとリーンの耳にささやく。リーンはニーナを見て、目を輝かせた。
「さっきのは苗字。名前はアイリーン王女様からもらってもいいですか?」
リーンはアイリーンを見上げながら小さな声で聞いた。アイリーンは目を丸くしたあと、優しく微笑んだ。
「アイリーン・アーイイニクデイジェイっていう名前の土地にするってことかしら? いいわよ。アイリーンに、リーンの名前も入っているし、ちょうどいいじゃない」
リーンはホッと安堵のため息を吐いた。
な、長い。長い上に覚えにくい。そう思ったが、誰も口には出さなかった。
「私の名のついた場所は初めてです。ここを私の直轄領とできるか、母に聞いてみましょう。そうすれば、税金を安くできるかもしれない」
アイリーンの言葉に、民はわっと歓声を上げる。
「いい名前だ」
「リーン、よくやった」
とても調子のいい人たちである。
***
ラウルたちは、大きな川沿いを歩いている。
「この川をくだると、海に行くのだが。そっちはラグザル王国の領土ではないから、やめておこう」
「そっかー残念。またタコ食べたかったなー」
ハリソンはがっかりしている。
「あれ、あそこに大きな亀がいるね」
ハリソンが巨大な亀を見つけた。裏返ってジタバタしている。
「間抜けな亀だなあ。助けてあげるよ」
ハリソンは大きな木の棒を拾い、亀をゴロンとひっくり返す。亀は川まで這って行くと、ジャボンと水につかった。亀は水の中から顔を出し、ハリソンとラウルを見つめる。
「もし、そこの旅のお方」
甲高い声が聞こえる。ハリソンとラウルはキョロキョロ辺りを見回した。
「わたくしです。たった今、助けていただいた、亀です」
亀はつぶらな瞳を向けている。ガイとイヴァンが剣を抜いた。
「魔物か」
ガイに剣を突きつけられ、亀は慌てて首を甲羅の中に引っ込めた。
「魔物ではありません。竜宮城の姫でございます。お礼をしたいので、背中に乗って、一緒に竜宮城に行ってくださいませんか」
「いや、怪しすぎる。ちょっと助けただけだし。さよならー」
ハリソンはあっさり手を振って、歩き出そうとする。
「あああ、お待ちください。お礼に真珠を差し上げますから」
「真珠ならたくさん持ってるから、いいです」
ハリソンはつれない。
「ぐぬぬ。では、タコ。タコを差し上げます」
「行こっか」
ハリソンの気が変わった。ガイとイヴァンは、行きたくなさそうだ。
「何をされるか分かりません。やめておく方が無難では」
「犬たちがうなってないから、大丈夫じゃない」
ハリソンの言葉に、ガイとイヴァンはラウルの反応を待つ。
「ひどいことをしないと約束してくれるか」
ラウルは亀をまっすぐ見て問いかける。
「約束します」
「うむ、では行くか」
たくさん現れた亀に乗って、川をくだり、海の底の竜宮城までおでかけだ。海の底のお城に着くと、亀たちは美しい乙女に変わった。
「ほほう。人の姿になれるとは、なんと面妖な」
ラウルは眉間に少しシワを寄せた。ラウルたちは、大きな宴会場に案内される。サンゴでできたきらびやかな器に、ズラリと並ぶ海藻類。
一行は海藻類をモサモサと食べながら、タイやヒラメの踊りを見学する。
海藻類は、うっすら塩味で、とても体に良さそうな味がした。犬たちは見向きもしないが、コラーは嬉しそうに飲み込んでいる。
ヒラヒラとゆらめく衣装をまとった、乙女たちがタコツボをたくさん持ってくる。
「どうぞ。お礼のタコツボでございます。どうか、召し上がるのは地上に戻ってからにしてください」
亀のお姫様は悲壮な表情で言う。ハリソンは気まずそうに頬をポリポリとかいた。
「ああ、なんだかごめんなさい。タコはやっぱりいいです。あなたたちの仲間なんですよね? さすがにもらうのは悪いから」
亀のお姫様はポッと顔を赤らめる。
「なんと、お優しいお方。どうかわたくしの夫になってくださいませ」
姫は潤む瞳でハリソンを見つめ、求婚した。
「いや、僕まだ十三歳だから。結婚は早くて十五歳かなあ。ごめんなさい」
ラウルはハリソンと姫を驚きの目で見比べる。イヴァンとガイは警戒心を強めた。姫はさらにウットリする。
「まあ、なんて誠実なお方でしょう。以前、夫になると言ってここに滞在した人がおりましたの」
姫がハンカチをねじりながら、ヨヨヨと泣き崩れる。
「三年間、仲睦まじくすごしましたの。ところが、故郷の妻が恋しいと言って、地上に戻ってしまったのです。ひどいわ」
「へー、それはひどい男だね」
「ですので、彼の時間を少しいじりましてね。ホホホ。地上に戻ったら、三百年たってるようにしてやりましたわ」
イヴァンとガイがギョッとして姫を凝視する。
「僕たちの時間はいじらないでよ」
「ええ、もちろんですわ。誠意には誠意をお返しします」
イヴァンとガイは体の力を抜いた。
「わたくし学びましたの。結婚している男はダメだって。妻とは別れるつもりだ。お前が一番だ。そんなの嘘っぱちなのですわ」
「はあ」
ハリソンは急にドロドロの不倫話を聞かされ、戸惑った。どう反応していいのか分からないので、ブドウのような海藻を食べる。
「あ、これ、プチプチしておいしい」
「それはようございました。お土産にお持ちくださいませね」
ハリソンは、その後も姫の熱烈な口説き言葉を、右に左に交わしながら、宴を楽しむ。
「じゃあ、そろそろ僕たち帰ります。領地漫遊の旅の途中なので」
「そんな、せめて一週間。それぐらいはいてくださいな」
「うーん。一週間、海藻だけだとなー」
ハリソンは身も蓋もないことを言う。
「地上のごはんを持って来ますので」
「それならいいけど。僕たちの時間はいじらないでよ」
「はい、神に誓います」
そういうことで、竜宮城でしばらく滞在することになった。ラウルは珍しく結婚相手にと狙われていないので、のびのびしている。
ハリソンは、ちょっとしつこい亀だなーぐらいにしか思っていない。イヴァンとガイはハリソンが食われないよう、気を引き締めた。
ハリソンは、グイグイ来る系の亀から、逃れられるだろうか。