185.話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
ラウルは領主といくつか取り決めをした。
「余の冒険譚を、鳥便でそなた宛に送るので、ニコに渡してくれ。渡す前に読んでも構わない」
「そのような名誉ある役目を、私に」
領主は感激した。殿下の旅の全てを知る立場になるのだ。なんという幸運。
「ニコの描いた挿絵は、屋敷の金庫にでも保管しておいてほしい。数年後に、まとめて受け取る」
「は、謹んで承ります」
ニコのことを、是が非でも守らねばならない。領主は固く誓った。殿下に認められたのだ。期待に応えなければならない。
「ニコは、字が読めないのだ。ついでに文字を教えてほしい。引退した文官などに、子供向けの教室でも開いてもらえるとよいのだが」
「お任せくださいませ。領地内の識字率を上げて見せます」
領主は決意みなぎる表情で、ラウルを見つめる。
「ニコだけでなく、他の貧しい者たちのことも、頼んだぞ」
「はい。この領地で暮らせてよかった、そう思ってもらえるように、必ずや」
「うむ、期待しておる」
ラウルの言葉に領主は有頂天だ。認められるというのは、これほど嬉しいものか。領主はしみじみと喜びを噛み締める。
もっと、部下や領民を褒めてやらねばならんな。密かに思った。それからの領主は、今までのように何でも自分で決めるのではなく、周囲の者の意見を聞き、うまく人に任せるようになった。
任せられ、褒められると伸びる者が多い。領主は少しずつ手応えを感じるようになった。任せ上手の褒め上手。領主がそう呼ばれるようになる日も近い。
***
湖と森ができた砂漠の中の楽園に、続々と部族が集まってくる。ひとつずつの部族はそれほど大規模ではない。せいぜい数十人だ。元々は百名を超える部族であったところも、シャルマーク皇帝の圧政で人数を減らした。
「おお、本当に湖がある。助かった。ここなら作物を育てられる」
「奇跡だ。砂漠にこんなに木が生えるなんて」
「イシパさんが、雨を降らせてくれたから」
子どもを連れて出て行った森の娘たちは、親族と共に戻ってきた。その中に、リーンの両親もいた。
「リーン、会いたかった」
「置いて行ってごめんな」
「お母さん、お父さん」
リーンは両親に抱きしめられ、呆然とする。それを見ているニーナの方が、先に号泣した。
「砂漠で行き倒れていたところを、見つけたんだって」
森の娘たちも、もらい泣きをしている。イシパは静かに、感謝の祈りを捧げた。
宴の席で、今後の暮らしについて意見が飛び交う。アイリーンは各部族の長と話し合った。
「税は納めてもらわないといけませんから。優秀な徴税官を常駐させましょう。心配しなくても、暴利を貪るつもりはありません。税率は低くしても、この地を発展させれば、結果的に額面が多くなるはずですから」
族長たちは、やや疑っている表情をしている。誰もが税金は大嫌い。だが、税を払わないと、いざという時に助けてもらえない。なるべく少なく払いつつ、援助はたっぷりともらいたい。どうしたものか。族長たちは、それぞれで考えを巡らせる。
「税のことも決めなければいけませんが。こちらの代表者はどなたにされますか?」
十名ほどの族長が腕を組んでうなった。顔を見合わせながら、他の族長の出方をうかがう。
「難しい問題です。どの部族もたいして人数に違いがない。誰が代表になっても、モメるでしょう」
青いターバンを巻いた族長が、ためらいがちに意見を述べた。
「私としては、どなたでも構わないのですが」
穏便に、代表を決めてほしいな。そんな思いを込めて、アイリーンは族長たちをじっと見つめる。
「酒の飲み比べでもするか」
白いゆったりとした衣装をまとった男性が、大きな声で言う。顔が赤い。既に酔っ払っているようだ。
「酒をたくさん飲めると、いい族長なのですか?」
アイリーンは素朴な疑問を口に出した。途端に男たちは下を向く。
「砂漠の族長だから、ラクダ競争の方がいいんじゃないか」
勇気ある民が声を上げる。
アイリーンには、判断がつかない。困って、イシパとデイヴィッドを見る。ふたりとも、無表情だ。
「ラクダをうまく駆る人は、頼りがいがあるということでしょうか」
「だったら、アタシが代表だね」
長い三つ編みを風に揺らす女性が、仁王立ちになった。
「バッカ、お前みたいなラクダバカに、代表が務まるかよ」
「なんだって」
女と男が睨み合う。アイリーンは慌てた。
「あの、お任せしますので。色んな方法で勝負されてはいかがでしょう」
とりあえず、その場をおさめるために言った意見だったが、砂漠の民たちは本気になった。よさげな案は全部やってみることになった。アイリーンは遠い目で、イシパは楽しそうに勝負の行方を見守る。
「酒飲み勝負ー」
勇ましい掛け声で、始まった醜い争い。我こそはという男女が、小さな盃に酒を入れ、皆で同時に飲む。いっぱい、もういっぱい。飲み進めるにつれて、フラフラと突っ伏す人が増える。最後のひとりは、かっぷくのいい中年女性だった。
がっはっは 最後の一杯を飲み干し、女はゆっくりと後ろに倒れた。
「無茶苦茶だなあ」
イシパは倒れた者たちに、湖の水をかけながら苦笑する。
色んな勝負が何日にもわたって続けられた。とても熾烈で、割としょうもない闘いだった。
イシパが遠くに投げた槍を、誰が一番に取ってくるか。ラクダ乗りの名手たちが、殴り合いながら駆けていった。一番に槍を引き抜いた、勇ましい女。槍の尖ってない持ち手の部分で、競争相手を叩きのめし、堂々と帰ってきた。
「うん、なんでもありなんだな」
イシパは楽しんでいる。
日干しレンガ作り競争。サソリ取りに木登り。湖の遠泳。これは途中で溺れる者が続出したので、アイリーンが中止を命じた。
やればやるほど、もう誰でもいんじゃね、そんな投げやりな空気が満ちてくる。
アイリーンはついに決断した。ダメだこの人たち。遅まきながら、やっと分かった。
「皆さん、こうしましょう。代表はなしで結構です。今の族長、全員で話し合って、物事を決めてください」
「はあ」
ボロボロになった族長たちは、覇気のない声を出す。
「皆で決めたことを、民にきっちり説明してください。反対意見が多い場合は、再検討すればいいと思います」
「ははあ」
アイリーンは白い布と、青い布を二枚持つ。
「例えば、税金の使い道の意見がふたつに分かれた場合。民に意見を聞くのです。井戸と用水路作りなのか。もしくは新しいラクダを買うのが先か。井戸と用水路なら白い布。ラクダなら青い布。どちらかを持って、手を上げてもらいましょう」
「おお、なるほど」
やっと族長たちが、腑に落ちた顔になる。
「ジェイムズさんの領地で、似たようなやり方をしていると聞いています」
「うちはもっと、好き勝手に意見を出し合う感じですけど」
ジェイムズが戸惑いながらも同意する。
「なんか、それならできそうかも」
族長と民たちは、お互いの顔を見ながら頷き合う。
アッテルマン帝国の砂漠の楽園で、直接民主制が始まった。