184.正論と正道
やっとラウルは領主と対面した。領主は、生真面目な感じの中年男性だ。
「第一王子のラウル・ラグザルである。お忍び旅行中なのだ。挨拶が遅くなってすまぬな」
「とんでもございません。このような辺境の地に殿下がいらしてくださるなんて。この領地始まって以来の僥倖でございます」
ラウルが席につき、いつも通りハリソンも隣に座る。イヴァンとガイは後ろで護衛だ。
可憐な少女がお茶の乗った台車を押して、部屋に入ってきた。イヴァンがさっと、台車を少女の手から受け取り、お茶を準備する。
領主は誇らしげに、愛らしい少女をラウルの方に近寄らせた。
「娘のアロイーズです。殿下と同じ十二歳です」
「うむ、よろしくな」
ラウルはあっさりと流した。これまで色んな少女を、手を替え品を替え、紹介されてきた。いちいち取り合っていると大変だ。さらっと流す。それがこの旅で会得した、ラウルの技である。
領主はやや肩を落とし、アロイーズは少しガッカリした様子で部屋を出る。
「活気のある市場、清潔な街並み、活発な領民。いい領地のようであるな。感心したぞ」
ラウルの言葉に、領主は感激のあまり言葉につまる。
「あ、ありがたきお言葉にございます」
紅潮した顔で、両手を胸の前で組んだ。
「秘訣はなんであろうか」
領主はコホンと咳払いする。
「僭越ながら申し上げます。税金を大胆に分配しております。前例は踏襲しつつも、見込みのある商家や事業には、思い切った投資をします。それが今のところ、好結果となり。景気も上々でございます」
領主はわずかに胸を張って答える。ラウルは感心した様子で何度も頷く。
「なるほど、今までのやり方に固執せず、新しいことに取り組んでいるのだな。保守的な領主が多いというのに。革新的なのはよいことだ」
ラウルの褒め言葉に、領主は天にも昇る心地である。ラウルは笑顔のまま尋ねる。
「ところで、税収が増えたとはいえ、どこかは絞らねば赤字になるであろう。見込みのない事業は、資金を引き上げるのか?」
「残念ながら、そういう場合もございます。ない袖は触れません。自助努力の見えない者は、見切りをつけることもございますね。税金は無駄にできませんから」
「うむ。分かった。税金を大切に使ってくれてありがとう。その、な。ひとつだけ気になっておるのだ。森の中で、身寄りのない老婆がひとりで住んでおる。オオカミが出る場所と聞いた。心配なのだ」
領主は虚をつかれたようで、顔から笑顔が消える。
「貧しい者に税金を使っても、戻ってくるお金が少ないかもしれぬが」
ラウルが続けた言葉に、領主が大きく頷く。
「そうなのです。その通りです。私に言わせると、自助努力が足りないのです。自己責任です。働き口はどこにでもある。毎日きちんと働いて、蓄えておけば、街中に住めるはずなのです。家賃が払えないなど、怠け者の言うことです」
領主は、鼻息荒く一気に言った。
「そうかもしれないな。しかし、年を取ったり、病気だと働けない。幼い子がいて、夫が亡くなったら、母親はどうしようもないであろう。子どもの面倒を見ながら、働くのは難しい」
「それは、そうですね」
領主は渋々答え、イヤそうに言葉を続ける。
「では、そういう、致し方のない理由がある者には、もう少し援助をしましょうか。それに味を占めて、働かない領民が増えないといいのですが」
「そなたは、昔から頭が良かったのであろう?」
ふいにラウルが領主に問いかける。領主はけげんな顔をしながらも、「ええ、まあ」と悪びれず肯定した。
「そなたは努力家なのだろうな。民のことを考え、領地を豊かにしようと試行錯誤しておる」
その通りだ。清廉潔白、努力、有言実行が領主の目指す生き方だ。領主はまっすぐにラウルを見つめる。
「私は私利私欲のために税金を使ったことなど、一度もありません。全て領地のために投資しております」
「うむ、そうだと思う。ありがとう。ぜひそのまま、続けてほしい。ただな、そこに一点だけ追加してほしい。世の中には、頭がそれほどよくなく、努力し続けることが難しい者もおるのだ」
領主は眉をひそめた。
「それは、そなたから見ると、怠け者かもしれない。だが、その者なりにがんばっているかもしれぬ。領地に余白を、余裕を持たせてくれないか。できない者、弱い者、役に立たない者。そういう者たちを、見捨てないでほしい。そなたは、それだけの器があると思う」
領主は黙ったまま何やら考えている。ラウルはニコニコ笑って、急に話を変えた。
「ニコという少年を、余の専属絵師にしようと思う」
「ニコ、といいますと。もしや牛乳運びの? 絵は確かにうまかったですが」
「そうだ。証拠もないのに、風車火付けの犯人にされたニコだ。余にはニコが火付けをするとは思えぬ。今一度、きちんと調べてほしい」
「御意」
話の急転換についていけず、領主は必死で紙につづった。
「ニコにはきちんと給料を支払うのだが、ちとそなたに頼みがあっての。ニコの給料三年分を渡すので、毎月、ひと月分だけニコに渡してはくれないか。あのような少年が、三年分の大金を一度に手に入れると、ロクなことがないであろう」
領主はパタリとペンを取り落とす。
「殿下は、私を信用してくださるのですか?」
「無論。そなたは不正を働くような領主ではないであろう。それに、まさか少年の給料を横取りするような、こすい人間ではないはずだ」
「もちろんでございます。きっちり管理して、ニコに渡します。帳簿もいつでもお見せできるようにしておきます」
「うむ、頼むぞ。それでだ、ニコは今、宿無しでな。教会に身を寄せておる。とはいえ、いつまでも教会に居候するわけにはいかぬであろう」
領主は、ニコが宿無しとは知らなかったようだ。目を丸くして、驚いている。
「オオカミが出るので、税金も家賃もほとんどかからない例の土地。そこにニコを住まわそうと思う。絵だけ描いているのは、不健康なので、牛乳運びに復帰させたいのだ。口をきいてくれぬか」
「あの場所は、危険ではありませんか」
「なに、老婆がひとりで暮らせておる。母と娘のふたり暮らしもおったな。大丈夫であろう。ニコにはパティという強い犬もおるし」
領主はすみやかに街から森への道を整備し、森から少し離れたところに集落を作ることに決めた。ニコもおばあさんも、赤ずきんたちも、そこに固まって住めることになった。税金は据え置きだ。
片親や孤児、身寄りのない貧しい者たちが集まり、助け合いながら暮らしていく場所と定められた。衛兵が定期的に見回りをすることも決まった。
ラウルたちがのんびり滞在しているうちに、簡素な家が次々と完成していく。集落の周りには石垣も作られ、門には巨大なオオカミの石像が置かれた。
「余の仲間が倒してくれたのだ。これを門に置いておれば、弱いオオカミや盗賊などは近づかないであろう」
子どもが怯えて泣き出す石像である。なにせ、本物のオオカミだったのだから。
引き取り手のいない犬が集落によこされ、赤ずきんが群れを餌付けしながらシツケした。
「赤ずきん、もうひとりで森をうろついてはならぬぞ」
「はい、必ず犬を連れて行きます。それに、ニコの牛乳運びのときに、一緒におばあさんのところに行けばいいですし。今はすぐ近くに住んでるので、ひとりでも大丈夫ですけど」
ニコは、領主の娘より、赤ずきんの絵を描くことが多くなっているようだ。領主は複雑な思いでそれを受け止めた。
貧乏で将来性のない、ただの少年。領主の娘とは到底釣り合わない。そう思って、ニコとアロイーズの、友だちとしてのつきあいにも、いい顔をしてこなかった。それがどうだ。今やニコは、次期皇帝との評判を徐々に固めつつある、ラウル殿下の専属絵師。身分差は完全にひっくり返った。
あのとき、自分がひどい対応をしなければ、娘は皇帝の側近の妻になれたかもしれない。
「人の可能性を、勝手に品定めしてはいけない、そういうことであろうか」
間違ったことなどない、常に正しいと思っていた。領主は、自分の判断力に、少しだけ疑念を持った。
自分に絶対の自信を持っていたが、ようやっと、領主に謙虚さが芽生える。
役に立たないと見下し、ほとんど目にとめていなかった貧しい者たち。もう少し、同じ目線に立って、彼らの立場で領地を見てみようか。
ほんの少しだけ、領主の心が変わった。時間はかかりそうだが、まず一歩。小さいが、確実な変化のきざしが現れてきたようだ。
ラウルは急がない。人は急には変われないと知っている。少しずつ、ゆっくりと。ラウルは領主の優しさを信じている。