183.弱者をこそ
ラウルたちは、大きな街道を避け、荷馬車が通れるギリギリの小道を使っている。大通りだと、すぐに王子のお忍び旅行と知られて、領主の元に直行する羽目になるからだ。
「それでは、民の本当の暮らしを見ることができないではないか」
領主のところに連れて行かれると、領地の良い面しか知ることができない。それでは、問題を見つけられない。意味がないのだ。
そういうわけで、人通りが少ない森の小道をガタガタと進む。
「原っぱで女の子が花を摘んでる」
ハリソンがいち早く見つけた。荷馬車がゴトゴト近づくと、女の子が振り向いた。
「そなた、親はどこにおる。ひとりでは危ないぞ」
赤いずきんをかぶった、かわいらしい少女は少しバツが悪そうな顔をしている。
「母さんは家で寝てるの。森の奥に住んでるおばあさんに、お届け物をするところなのよ。血は繋がってないけど、仲良しなの。お花があったら喜んでもらえるかと思って」
「我らは善人だからいいが。悪い人さらいであれば、ひどい目に合わされるところであるぞ。女の子はひとりで森をうろついてはならぬぞ」
ラウルは、自分と同じ年頃の少女が心配になった。ハリソンが手を引っ張り、少女を荷馬車に乗せる。
「僕たちはいい人だから大丈夫だけど。本当は、知らない男の荷馬車に乗ったらダメだからね」
ハリソンは、危機感のかけらもない少女に呆れ気味だ。森の奥の家の前に着くと、優しそうな老婆が扉を開ける。
突然、黒く大きなものが、走ってくる。
「オオカミ」
ハリソンが叫び、石を投げた。イヴァンとガイが剣を抜き、荷馬車を止める。
デーン オオカミよりも小さな犬が二匹、両側から体当たりする。
ピシピシピシ 巨大なオオカミが、石化した。
「ああ、うん。そんなことだと思った」
またしても剣を使うスキも無かったガイ。犬とコラーの誇らしげな顔を横目に、さっさと剣をしまう。
赤ずきんはギャーと叫び、老婆はフラフラと座り込んだ。
老婆の家の中で、赤ずきんの持ってきたパンと果物を食べる。
「あのようなオオカミがいる森の中で、なぜひとりで住んでいるのだ。もう少し、家が密集した場所の方が安全だろうに」
ラウルが早速、疑問を口にする。
「オオカミが出る場所だから、税金がほとんどかからないのです。ですから、赤ずきんのような母子家庭や、私のような身寄りのない老人が、この辺りに住んでいます。街は家賃が高いですから」
「なんということだ。弱者を危ない場所に追いやるだなんて」
「仕方ないのです。領主様は悪い人ではないのですが。役に立たない者には、税金をかけないという主義のようで。その考え方に賛同する者も多いのです」
「それは、十分に悪い人のような気がするが」
ラウルは軽く息を吐く。
「もう少し情報を集めてから、領主に会ってみるか」
イヴァンが心得たという風に、頷く。ラウルたちは、赤ずきんを家に送り届けると、街に向かう。街に着いた途端、空が真っ暗になり、大きな氷が降ってきた。
「ヒョウです。頭に当たると危ない、避難しましょう」
イヴァンの指示で一行は大慌てで、近くにある教会の敷地に入っていく。
教会の中に逃げ込むと、ホッとひと息ついた。外では拳大のヒョウがガラガラ降っている。
「危ないところであった。ケガをする者が出ないといいが」
ラウルは心配そうに空を見る。ウウウウ 犬がうなり声を上げる。
「誰かいるね」
ハリソンが小さな声を出して、指をさした。指の先には、少年と犬が倒れている。
イヴァンとガイが、警戒しながら近づき、少年と犬を調べる。
「脈が随分弱いです。毒などではなさそうですが」
「痩せているから、しばらく食べていないのかもしれない」
イヴァンは教会の奥に入っていき、しばらくすると神父を連れて戻ってきた。
「これは、ニコとパティではないですか。絵が好きなのでよく絵を見にくるのです。祖父が亡くなって以来、来なくなったので、心配しておりました」
イヴァンとガイは、教会の奥の部屋に、ニコとパティを運んだ。暖炉に火を入れ、暖かいベッドにニコを入れる。犬のパティは、暖炉の前の敷物の上に寝かせた。
衰弱していたニコとパティは、温まり、水とスープを適宜与えられると、少しずつ回復した。ラウルたちも、教会に泊まらせてもらっている。
牧師の立ち合いの元、ラウルはニコと話をする。
「風車に火をつけたと疑われ、牛乳運びの仕事をクビになり。家賃を支払えなくなって、家を追い出されたのか」
ニコは弱々しくシーツを握りしめる。
「おじいさんがいなくなってから、何もかもが悪い方向に行きました。絵描きになるため、絵の大会に応募したのですが、それも落選し。なんだかどうでもよくなって、教会に来て大好きな絵を見ていたんです」
「うむ。牧師の見立てだと、栄養失調だろう。嵐で寒くなり、体が急激に冷えて危なかったのだと。温かくして、しっかり食べるのだぞ」
「はい」
ニコは小さく答える。心配そうに、パティがニコの手をなめる。
「身寄りのない者や、生活力のない者でも、生きていける仕組みを作らねばならない。この度、強くそう思った。ニコや、森のおばあさん、赤ずきんと母親。弱い者から倒れていくのだ。そんな国はイヤだ」
ラウルはニコと自分の小さな手を見て、苦しい。この手で、どこまで助けられるだろうか。
「ご領主様は、とても頭のいいお方なのです。効率を重視し、税金を有効に使いたい。そういうお考えなのです。伸びる分野や人材に税金を投入されています。ですが、弱者はつい後回しになっているようです」
牧師が静かな口調で話した。ラウルは手を見たまま、黙っていた。
イヴァンが情報を集める間、ラウルは考え込んでいる。大きな犬を撫でながら、憂いを帯びた目で遠くを見つめているラウル。ニコは紙をつかむと、ラウルの姿を夢中で紙に描いた。
姿勢が崩れても、どこか品の良い物憂げな少年。整った横顔と悩ましい瞳。自信に満ち溢れ、威厳たっぷりな王族の姿絵しか見たことのなかったニコ。等身大の、人間らしい王子の姿を、残したいと思った。
ふとニコが気がつくと、先ほどと打って変わって、明るい様子のラウルが、絵を覗きこんでいる。
「かっこいいな、余は。ははは」
ラウルは朗らかに笑う。
「は、はい。殿下はとても美しいです」
「そうか。ありがとう。余はな、初代ラグザル王の伝記が好きなのだ。いずれ、余の世直し珍道中も伝記にしようと目論んでおる。その本の挿絵を、ニコに頼みたい。どうだ?」
「はい、私でよければぜひともお願いします」
「では、早速描いてくれ。色んな冒険をしたのだぞ」
ラウルは嬉しそうに、今までの冒険を詳しく話し始める。とても現実とは思えない、神話のような出来事の数々。ニコは頭に思い浮かぶ景色を、必死で描いた。
「ふたりとも、そろそろごはんの時間だよ」
呆れた口調のハリソンに止められた。ラウルとニコの周りには、たくさんの絵が散らばっている。
「そういえば、こんなこともあったねえ」
ハリソンは一枚の紙を拾った。湖のそばにたたずむ、釣り竿拾いの精。
「パッパに頼めば、たくさん本を売ってくれるよ」
「うむ、しかし今ではない。余が正式に王太子になってからだ」
「楽しみだね」
ハリソンには、晴れがましい顔をして民を見渡しているラウルの姿が目に浮かんだ。ニコにも同じものが見えたようだ。ニコは新しい紙に、王冠をかぶり、長いマントをまとったラウルの姿を描く。
「こうなれるように、努める。それにはまず、この領地の問題をなんとかしなければ」
ラウルは決意を込めて、ギュッと拳を握った。