182.焼かれて食べられて
ミュリエルは今、難題に直面している。イローナに「ゴンザーラ領とヴェルニュスのおいしいものは、何載せようか」と聞かれたからだ。
「ゴンザーラ領ねー。魔牛棒かなあ」
ミュリエルは他には思いつかなかった。イローナのやや引きつった笑顔が気になったが、まあそれはいい。ゴンザーラ領のおいしいものは、父と母が考えればいいことだ。そんなことより、ヴェルニュスである。
まず、ダイヴァに聞きに行った。
「ヴェルニュスのおいしいものですか。以前は、黒ソーセージが名物でしたけれど。今は誰も作り方を知りません」
「黒ソーセージってどんな味?」
ダイヴァは少し、うっという顔をする。
「私は、正直に申し上げると、あまり好きではありません。豚の血液を煮詰めて、ひき肉や内臓などと混ぜて腸詰めにするのです。臭い消しの香辛料をたくさん入れても、独特の血の臭みがあって」
「ああー、血のソーセージか。聞いたことある。故郷では、豚の血は神に捧げてたから、作らなかったなー。確かに、女性は苦手かもしれない。クセが強そう」
ダイヴァが懇願するようにミュリエルを見つめる。
「ミリー様、新しいヴェルニュスです。黒ソーセージは忘れて、違うものにしましょう。ミリー様の好きな甘いお菓子とか」
「そうだね。じゃあ、料理人たちに相談に行ってくるね」
ヴェルニュスの名物となる、おいしいお菓子を作ってもらおう。これは仕事だ。味見も仕事だ。ミュリエルは足取り軽く台所に向かった。
ミュリエルの訪れを、料理人はニコニコして迎えてくれる。ミュリエルは一生懸命、説明した。素敵な本ができそうなこと。そこに色んな領地のおいしいものが載ること。
「それは、重大任務ですね。他の領地にひけをとらない、おいしい料理とお菓子を考えましょう。まずは、お菓子ですよね」
料理人たちは、ミュリエルがお菓子を食べたいことをよく分かっている。
「ミリー様のご要望があれば教えてください。それに合わせて考えますよ」
ミュリエルはうーんと考え込んだ。お菓子を食べられるようになったのは、王都に行ってからだ。あまりに経験値が低い。ミュリエルは考え、考え、ゆっくり話す。
「うーん、そうだなあ。そんなに難しくない方がいいな。材料も安い方がいい。できれば、貧しい平民の子でも、たまになら食べられるぐらい。なんなら家庭でも作れるぐらい」
料理人たちは、紙に書き留めながら、必死で考える。
「ほら、私はお菓子なんて食べたことなかったのよ。砂糖って高いし。卵いっぱい使うのも難しいし。誕生日にカエデ砂糖をひとさじ舐めるのが、最高の贅沢だったから」
料理人たちは、上を向いて目をギュッとつぶった。もう少しで涙が流れるところだった。
「そういう子どもたちでも、年に一回、誕生日とかなら食べられるお菓子があるといいなあと思って」
今度は料理人は下を向く。わざとらしく咳払いをしながら、こそっと袖で目を拭いた。
「でもねえ、そういう節約お菓子だと、名物になりにくいよねえ」
「そうですね。その本を読んで、領地を訪れる可能性がある方は、お金持ちの貴族ですよね。貧相なお菓子だと、見向きもされないと思います」
うーん、皆がうなり始めた。
「もう少し、検討させてください。方向性は分かりました。平民と貴族、両方が楽しめるお菓子を考えます。料理はお菓子の後にしましょう」
ミュリエルはワクワクしながら台所を出た。楽しみだなー、味見。
数日後、できる料理人たちが試作品を持ってきた。ミュリエル、アルフレッド、イローナ、ダイヴァで試食することにする。
緊張した面持ちで、料理人たちがいくつもお皿を運んでくる。
「色々考えまして。簡単で、手に入れやすい材料で作れるクッキーにしました。そして、平民用と貴族用は、やはり分ける方がいいのではないかと。順番にお出しいたします。まずは平民用です」
お皿がそっと机の上に置かれた。スカートを履いた女の子の形のクッキー。
「砂糖を極限まで減らしました。あの、ミリー様を模してみました」
ミュリエルはクッキーを手に取って、まじまじと見つめる。
「これ、私?」
「ミリー焼き」
イローナがぶっと吹き出す。
「私、焼かれちゃうんだ」
ミュリエルは複雑な表情で、スカート部分からかじる。
「うん。砂糖少なくても、十分おいしいよ。平民ならこれで大丈夫」
ミュリエルはバリバリ食べ、最後に顔部分を口に放り込んだ。
「あれ、みんな食べないの?」
クッキーを持ったまま、ミュリエルを見つめている三人。
「いやあ、ミリー焼き。どこから食べようかと思って。スカートから食べて、最後に頭か。頭から行くのか。ちょっと悩むよねえ」
「え、ええ」
イローナの言葉にダイヴァがこわばった顔で同意する。アルフレッドは固まったままだ。
「気にしないで、好きなところから食べなよ。ほら、アルも」
イローナとダイヴァは、遠慮がちにスカート側から少しずつ口にする。アルフレッドは、まだためらっている。
「ミリー焼きと言われると、どうにも食欲が」
「アルは繊細だなあ。じゃあ、私が手伝ってあげる」
ミュリエルはアルフレッドの手からクッキーを取ると、バキッと頭をとった。パクッと頭を自分の口に入れると、首なし部分をアルフレッドの口に入れる。
モソモソとクッキーを咀嚼するアルフレッドをチラチラ見る料理人。もう、このクッキーは封印だろうか。
「さあ、次の貴族用を試食しようよ」
ミュリエルは食べる気まんまんだ。料理人は次のお皿を並べる。
「貴族用は、砂糖もバターもたっぷりと使いました。形は平民用と同じです。平民用と同じ見た目で、味が格段にいいクッキー。クッキーでクリームやジャムを挟んだもの。クッキーに色んな飾りをつけたもの」
料理人は次々とお皿を並べる。机の上が華やかになった。ミュリエルはクッキーを手に取ると、今度は上下ではなく、左右半分に割る。アルフレッドも頭を食べたいかも、ミュリエルの優しさである。左半身をアルフレッドに渡し、右半身はモリモリ食べた。
「おお、見た目は平民用と同じだけど、高級な味がするね」
ミュリエルはあっという間に食べ切り、次のクリームがはさまったクッキーを割った。アルフレッドの空いてる手に半身を押しつける。
「クリーム入ってると、ケーキみたいでいいね。すごくおいしい」
ミュリエルはどんどん半身を食べていく。
「あーおいしかった。ミリー焼き、いいね。みんなはどう思う?」
イローナはじっくり食べ比べ、紅茶を飲み、口を開いた。
「いいと思う。工夫次第で見た目も味も変えれるって、素敵。季節によって色々変えてもいいし。値段も幅をもたせられるから、お客様も予算に合わせて買えるもの」
平民用のクッキーをひとつ手に取る。
「この平民用も、貴族に受け入れられるかもしれない」
料理人は驚いた様子でイローナを見た。
「本当ですか? 貴族の方には、素朴すぎませんか?」
「貴族でも、例えばお茶会が連日続いてたら、甘いものは食べたくない日もあると思うの。あと、痩せたい女性とか。そういう人に、甘すぎないお菓子は喜ばれると思う」
「妊娠中でお菓子を制限されてる女性とか」
ハッとしてミュリエルがイローナを見る。
「そういうこと」
「おおー」
料理人たちから、感嘆の声が上がった。
「ミリー焼きというのを、アル様がよしとされるのかが、重要ですね」
イローナが気づかわしげにアルフレッドに視線をやる。部屋が静かになった。皆の目が、アルフレッドの左手に積み上がった、ミリー焼きの左半身に集中した。見るからに食が進んでいない。
アルフレッドは王族らしい高貴な笑みを浮かべる。
「ミリーがいいなら、僕は大丈夫」
「私はすごくいいと思うよ」
ミュリエルは元気いっぱいに答え、アルフレッドに笑いかける。アルフレッドも穏やかな笑顔になった。
「であれば、ヴェルニュスの名物は、ミリー焼きにしよう」
アルフレッドは厳かに宣言した。
今まで生きてきて、あれほど恐ろしい瞬間はなかった。料理人たちは、後ほど台所でこっそり言い合った。
「やっぱり無謀だったか」
「アル様、ちょっとご機嫌斜めだったかも」
「俺たち、えらいことやってしまったか」
「でももう決まってしまった」
「ミリー様が嬉しそうだったから、いいってことで」
「いいってことで」
いいってことでー。そう言い合って、自分を納得させた料理人たち。きっと人気が出ると思うよ、ミリー焼き。イローナが言ったから間違いない。