181.おいしいものが大好きです
『砂漠で森の子どもたちを助けた。湖ができて森ができた。毎日狩りして、子どもたちから超人気。初のモテ期。子どもばかりだけど』
「ジェイ、いったい何を言ってるんだ。意味が分からない」
ミュリエルはジェイムズから届いた鳥便を読んで、頭を抱える。
「ジェイとは、ジェイムズ様のことですかしら?」
ミュリエルは、スッと背筋を伸ばした。今は、高級宿の庭園で、お上品な奥さま方とお茶会中だった。鳥が旋回していたので、うっかり立ち上がって鳥便を受け取ってしまった。
ミュリエルは鳥に持っていたクッキーをあげて、ささやく。
「ありがとね。疲れたでしょう、ゆっくり休みなさい」
優雅な仕草で席に戻ると、ご婦人に微笑みかける。
「はい、ジェイムズです。ゴンザーラ領の次期領主です」
「確か十三歳でいらっしゃいますわよね。もう、婚約者の候補はお決まりでいらして?」
「いえ、まだです。十五歳になったら王都の学園で、活きのいい女性をつかまえてくると思います」
「まあ、ほほほほほほ」ご婦人たちは品よく笑い合う。
「わたくしの孫娘が十二歳なのですわ。一緒にこちらに来ましたの。遊技場にすっかり夢中になってしまって。ほほほ。乗馬服で駆け回っております」
「わたくしの孫娘もそうですわ」
「うちのは踊りに夢中になってしまって。ラグザル王国かヴェルニュスに留学したいと申しておりますの」
奥さまたちは、少し困惑した表情で言い合う。
「あら、そうなのですね。踊り子の道は狭く厳しく、毎日が自分との戦いだそうです。甘いものは食べられず、朝から晩までずっと練習。お孫さん、大丈夫でしょうか」
ミュリエルは心配になった。甘いものを食べられないなんて。苦行ではないか。
「ええ、はい。踊りは趣味程度でやるつもりだと思いますのよ。おそらく。どうなのかしら」
ご婦人は最後の方は自信なげに声が小さくなる。
「本気でやるなら、すぐにでも始めないと一流にはなれないと思います。ぜひお孫さんに聞いてみてくださいね」
ミュリエルは念を押した。だって、足を上にピッて伸ばして、ビターって頭にひっつけるんだよ。立ってるのにだよ。あんなの、小さいときから毎日やらないと、無理だよ。ミュリエルは踊り子たちを尊敬しまくっている。自分を律するというのは、こういうことか。彼女たちを見るとよく分かる。
「ええ、聞いてみますわ。本音を申し上げますと、ミリー様の弟君の婚約者にいかがかしらと思って、連れてきましたの。ところがすっかり踊りに心を奪われたみたいですわ」
「あら、まあ。弟たちは、自分で結婚相手を見つけると思いますので」
ミュリエルは、ここ最近、弟の婚約打診を頻繁に受けている。めんどくさいから、ピシャッと断ることにしている。どうせあれでしょう。アルと縁続きになりたいからに決まってる。そんな不純な動機、弟たちがかわいそう。
弟たちには、自分で好きな人を見つけてほしい。そして、自分とアルのように、幸せになってほしい。弟思いのミュリエルであった。
婚約話になると、ミュリエルはすぐに話を切り替えることにしている。ミュリエルの好きな話題といったら、それはもう。
「ところで、皆さんの領地でおいしいものといったら、何ですか?」
心の底から興味がある。
ご婦人たちは目を瞬かせて、しばらく無言になった。
「そうですわね。我が領地特有のおいしいもの。ザウアーブラーテンかしら。酸っぱくなった赤ワインに、リンゴや玉ねぎを加えて鹿肉を数日漬け込むのです。それを蒸し焼きにして、漬け汁に蜂蜜を加えて煮詰めたソースをかけるのです」
「お肉は酸っぱくて、ソースは甘いってことですか?」
「そうですわ。やや酸味のある鹿肉を、甘酸っぱいソースにからめて食べますの。少しクセがあるので、領地外の方のお口には合わないかもしれませんけれど」
「食べてみたいです」
ミュリエルがとろけるような目をして、ウットリしている。
「まあ、ほほほ。では、ぜひ我が領地にいらしてくださいな。お子様が産まれて、落ち着かれたらぜひ」
「はい」
ミュリエルは元気よく答える。
他のご婦人方も、負けじと売り込みにかかった。
「わたくしの領地では、マウルタッシェが有名ですわ。大きな平たいパスタ生地に、ひき肉や野菜を入れますの。それをスープの具として食べますのよ」
「あれ、そういう料理って他にもありますよね?」
「ええ、いわゆる、ダンプリングですわね。パスタ生地に具を入れる料理は色んな土地であると聞きますわ。確かラビオリとかトルッテリーニとか」
「それはもう、おいしいに決まってますよね」
ミュリエルは力強く両手を握りしめた。
「ええ、温まりますし、栄養もたっぷり。妊娠中のミリー様にはおすすめですわよ」
「料理人に聞いてみます」
「はい、そうしてくださいな。でも、ぜひ我が領地にもいらしてくださいませね」
「はい」
このご婦人、やりおる。残りのご婦人の闘志に火がついた。
「ミリー様はケーキがお好きですわよね。わたくしの領地で人気のケーキがございますのよ。ビーネンシュティッヒ、ハチのひと刺しというケーキですの。甘い香りに誘われて、ハチが飛んでくるぐらいですのよ」
ミュリエルの目が輝く。
「どんな味ですか?」
「パン生地のようなスポンジで、バタークリームを挟むのです。上面にはびっしりとキャラメリゼさせたアーモンドをしきつめますの。パリッとした上部、しっとりしたスポンジ、ふんわり甘いクリーム。ひと口で色んな歯触りと味わいが楽しめますわ」
「わー」
それまで大人しく話を聞いていたイローナが、どこからともなくペンと紙を出してきた。
「いかがでしょう。各領地のおいしい料理やケーキなどをまとめて、『ローテンハウプト王国〜美味しいもの巡り』といった本を作りませんか」
「いいね」
詳細を聞かないうちに、ミュリエルは賛成する。イローナの商魂たくましさに、まだ馴染みがないご婦人たち。よく事態がのみこめず、イローナとミュリエルの間で視線をウロウロさせる。
意外と絵心のあるイローナ。さらさらっと文章と絵を紙に書く。
「上に大きく領地名。おすすめ料理の絵と、読んで楽しい説明文を書くのです。きっと観光客が増えますわ。日持ちがきく食べ物なら、流通させてもいいですし。なんなら、レシピを売ってもいいですわ」
「まあ、なんだか楽しそうですわね」
ご婦人たちは乗り気になった。
「せっかくだから、全領地のおいしいものを載せてほしい」
ミュリエルがイローナに懇願する。
「皆様にお力をお借りできるのであれば。父も、全領地のご領主様と面識はございませんので」
「もちろんですわ。わたくしたちが声をかけますわ。もし、よければ、わたくしの絵も使っていただけないかしら」
ご婦人は少女のように頬を染めてモジモジする。
「わたくし、絵が趣味ですのよ」
すかさずイローナが紙とペンを渡す。ご婦人は優雅な手つきで、スープに浮かんだマウルタッシェを描いた。
「うわーおいしそう」
「素敵ですわね。せっかくですから、各領地の絵がお上手な方に描いていただいても、おもしろいかもしれませんわ。ユーラに全体感は監修してもらう必要があると思いますけれど」
「いいですわね。才能のある者に機会を与えたいですわ。これで名を売れば、絵で食べていける可能性も高まりますもの」
地位と権力と伝手があり、割と暇なご婦人方。あっという間に話がまとまっていく。
「よしっ」
遠くの方で、パッパの歓声が上がったようだ。