178.最速で
ダンッ イシパが机を叩き、ガッシャンと器が揺れる。イシパの父はビクッとした。
「父さん、うだうだ言ってないで。早く神様に聞いてきてよ」
「いやいや、イシパ。だからさっきから何度も言っているだろう。神は人間界のもめ事には不干渉だから」
「そんなこと言ってる場合じゃないから。森の子どもがひどい目に合ってるから」
ダンッ イシパがもう一度机を叩いた。
「ほらー、ちょっと前に、神が見かねて御使いを出して戦争やめさせたんでしょう。それぐらいの事態だから」
「あれ、人間の世界だと随分前の話だからな。神はあれで、ちょっとヤッベと思われたそうな」
巨人の父は大きな手を頬に当てた。イシパは目を大きく開く。
「なんで」
「やっぱり自然に祈られたいわけです。神様もね。ところが、あの事件以来、人間の祈りにコビが入るようになった。それが神様的には気に入らない」
「はあ」
何を言っているんだか。イシパは思った。
「裏のない、好きが聞きたいだろ、お前だって。『好き』(って言っておけば、イシパはしばらく機嫌がいいな)ってデイヴィッドが思っていたらイヤだろう。」
「まあねえ」
イシパは頬杖をつく。まあ、イヤかもなあ。
「だから、人間のもめごとは人間同士で解決。そう決められたわけであります」
「だーーー、もうー。分かった。じゃあ、私が手を出すのは見逃してよね」
イシパはビシッと両人差し指を父の顔に向ける。
「うん、それはほら。うまいことゴニョゴニョやっておくから。イシパ、がんばって、穏便にね」
「最速で解決してくるから。困ったら呼ぶから、うまいこと助けてよ」
「はーい」
ツルを伝って、バビューンと下界に戻ったイシパ。その衝撃で下界は少し風が強かったそうな。
「てなことがあってさあ」
イシパの臨場感あふれる一人二役の実演で、空の上での父娘の会話が手に取るように分かった。地上で待っていたデイヴィッドたちは、大変納得した。
神様が意外と人の祈りの質にこだわりがあることが分かり、興味深い。ジェイムズは、下手なことを知ってしまい、これから祈るとき不自然になりそうだなと、少し不安になる。
イシパは真珠がたくさん入ったバケツを机の上に置く。
「たくさんもらってきたから。これを投げれば、場所がどこか分かるって。さあ、行こうか」
目を白黒させているアイリーンも連れて、デイヴィッドたちは出発する。ニーナとリーン以外の子どもたちは、危ないので町に置いていく。町長がうまいことやってくれるだろう。
***
聖母と呼ばれる女の民は祈りを欠かさない。雨の降らない砂漠の地に、緑が生い茂る奇跡の地。水が無ければ生きられない。ここは砂漠の中の楽園だ。神に祈らずとして、なんとする。
楽園の朝は早い。ラクダや家畜の世話をし、畑の手入れ、住居を整える。わずかな水で身を清めると、朝日に祈る。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。今日の糧に感謝します。水の恵みが永遠にあらんことを。聖母様の教えに従い、正しく生きると誓います」
そのあと、朝食だ。固くなったパンを、ヤギの乳に浸して食べる。
大人たちは畑仕事の続きをし、子どもたちは勉強だ。読み書き、計算、そして道徳を学ぶ。道徳の時間は特別だ。聖母様が直接、子どもたちの疑問に答えてくれるのだ。
「聖母さま。この前、逃げて来た人たちとは、いつ遊べますか?」
聖母は穏やかに微笑んで、静かに答える。
「そうですね。あの方々は、まだケガレが払えていません。もう少し、お清めが必要ですね」
「はい、ありがとうございます」
「聖母さま。次はいつお肉が食べられますか」
少年の問いかけに、聖母は真面目な顔で答えた。
「お肉は不浄のものです。普段は食べられませんよ」
少年はうつむく。
「でも、次に雨が降ったら、特別に食べましょう。神様が、食べてもいいですよ、と仰ってくださったと思いましょう」
「はい」
子どもたちの表情がぱあっと明るくなる。
「はい、それでは質問はもうおしまい。今日は、パンの分け方についてお話しましょうか」
「はーい」
小さな部屋に子どもたちのハツラツとした声が響く。
「ふう」
授業を終えた聖母は、一瞬ため息を吐く。すぐに切り替えて、いつも通りの穏やかな表情に戻ると、地下へと続く扉のカギを開ける。
薄暗い階段を降りていくと、ひんやりとした地下の部屋につく。明かり取りの穴がいくつか上についているので、昼間はランプがなくても大丈夫。小さなすすり泣きがかすかに聞こえる。聖母はゆったりと歩いて行った。
「さあ、誰が次の母親になるか、決まりましたか?」
怯えた目が、一斉に聖母を見る。聖母と同じ、緑色。
「あ、ああ、あなたが母になればいいじゃない」
ブルブル震えながら、ひとりの少女が必死で叫ぶ。
「まあ、こんなおばあちゃんになんて無体なことを。私は全ての民の母ですから。子どもを産むわけにはいきません」
聖母はフルフルと髪をゆする。柔らかな白髪が、ハラリと顔にかかった。
「ここから出して。お母さんに会いたい」
聖母は聞き分けのない少女を見て、眉をひそめる。
「困った子だこと。どうして分からないのかしら。森の娘は、森の子どもを産むのが義務なのですよ。そして、祈りの力で大地を肥沃にし、楽園を維持するのです」
「そんなの、ここの女の人たちが産めばいいじゃない。私たちには関係ない」
「まあ、なんて恩知らずなのかしら。シャルマーク皇帝から助けてあげたのに、その態度。感心しませんね。では、次の母親には、あなたになってもらいましょう。子どもを持てば、もう少し責任感というものが身につくでしょう」
聖母は騒ぐ少女の顔に布を当てた。少女はしばらく暴れていたが、やがてクタリと床に倒れる。
少女たちのすすり泣きが、悲鳴に変わる。聖母は、少女の手足についていた鎖のカギをはずした。ほっそりとした体には似合わぬ力で、ズルズルと少女を部屋から引きずり出す。少し離れたところにある、小さな部屋の中に少女を押し込む。扉を閉め、厳重にカギをかけた。
「はあ、物分かりの悪い子のせいで、汗をかいてしまったわ。まったく」
聖母はハンカチで優雅に汗を拭くと、晴れやかな顔で別の部屋に向かった。