177.もう止まりません
「マッチは、マッチはいりませんか」
夕闇に少女のかぼそい声が浮かぶ。家路に急ぐ者たちは、誰もその声に気づかない。最近急に増えて来た、子どもの花売りやマッチ売り。目端の効く子は、靴磨きをする。どこにも縄張りがあるので、場所を確保するのにも知恵がいる。
少女には知恵も、靴磨きの道具を買うお金もなかった。花ならそこらへんに生えている。最初はそう思ったけど、おばさんに止められた。
「やめときな。花は冬には咲かないし。それに、イヤな目に遭うかもしれない。花売りはねえ、春も売ることになりかねないからねえ。マッチ売りのがマシだよ」
おばさんは、少女がこっそり住み着いてる空き家の、近所の人だ。たまに、固くなったパンをくれたりする。
おばさんの紹介で、マッチ売りの元締めって人に会った。縦にも横にも大きい、怖い顔の人だった。カゴいっぱいのマッチを売って銀貨一枚ぐらい。その銀貨と空っぽのカゴを持っていけばいい。おじさんは銀貨を取り上げ、銅貨を一枚くれる。そして新しいマッチをカゴに入れてくれる。
マッチが売れなきゃ、何も食べられない。もう三日も食べてない。少女の声はどんどん小さくなる。
もう春だけど、夕方はまだまだ寒い。少女はマッチを一本だけすって、手を温めることにした。
シュッ 温かい暖炉とスープ、それにお父ちゃんが見えた。
「お父ちゃん」
お父ちゃんは消えてしまった。少女は慌ててマッチをもう一本すろうとする。そこにぬっと黒い顔が突き出した。
ヒッ 少女は尻もちをつく。ふんふんふんふん。黒い顔は少女の匂いをかいだ。
クマ、食べられる。少女は全身が冷たくなった。
「こら、クロ。急に走り出すなよ。街の人がビックリするだろう。君、ごめんね。この犬、人は食べないから大丈夫だよ」
そーっと見上げると、優しそうな緑の瞳。
「お父ちゃん?」
「お父ちゃんではないけど」
困ったように笑うその人は、お父ちゃんではなかった。
「お兄ちゃん?」
「お腹が減ってるの? 一緒に何か食べようか」
お兄ちゃんに腕を引っ張られて起き上がる。連れられて行った先には、キレイな人と、強そうな人と、緑の目のお兄ちゃんとお姉ちゃんがいっぱい。
「お兄ちゃん、お姉ちゃん」
少女はポロポロ泣いた。お兄ちゃんとお姉ちゃんは目をまん丸にして首を傾げる。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんじゃないの?」
少女はガッカリする。久しぶりに会えたと思ったのに、よく見ると違う人だった。犬のお兄ちゃんが屋台でスープとパンを買って来てくれた。スープとパンはあっという間に消えた。
「お腹減ってたんだね。どれぐらい食べてなかったの?」
「三日ぐらい」
「急にいっぱい食べると、お腹痛くなるから。スープをもう一杯だけね」
お兄ちゃんは空の器を持って、追加を買いに行ってくれた。少女は今度はゆっくりと、ひとさじずつ味わいながらスープを飲む。ゆっくり食べてもすぐ器が空になってしまった。器の残りを舐めたかったけど、お兄ちゃんの目が気になったのでやめた。
名残惜しそうに器を見ていると、お兄ちゃんはパンをひとかけら入れてくれる。きれいに、ひとしずくも残さないように、パンのかけらで器をグルグルし、パクリと食べた。
「事情を聞かせてくれる?」
お兄ちゃんが目を合わせて、優しく言う。少女は覚えていることを、一気に話した。誰かに、聞いてもらいたかった。お父ちゃんのこと、お兄ちゃんとお姉ちゃんのこと。緑の目をした、大事な家族のこと。
***
「帝都から誰か来るまで待っている方がいいんだろうけど」
デイヴィッドはしばし躊躇するが、頭を軽く振った。
「その数日で誰か飢え死にしたら大変だ。もう一度、町長に会いに行こう」
町長には、人身売買の疑いで男たちを引き渡したときに、既に会った。面会予約をすると、すぐに会ってくれるという。
「たびたび申し訳ございません」
デイヴィッドの言葉に、町長はブンブンと首を振る。初めて会ったときから、デイヴィッドの美貌に魅せられ、夢うつつなのだ。
「とんでもありあり、ありません。いつでも、ええ、いつでもお越しくださいませええ」
町長、落ち着け。ジェイムズは思った。今日は、デイヴィッド、イシパ、ジェイムズ、クロで来ている。クルトや他の大人たちは、子どもたちの面倒を見ているのだ。
「先ほど通りでマッチ売りの少女と出会いまして。三日食べてないと言うので、スープを与えたんです」
「そうですか。それはありがとうございます。最近、どこからともなく子どもが来るんですよ。教会に付属している孤児院があるのですが。既にまんぱいでして。どうしたものかと頭を抱えているところです」
「なるほど。困っているのは、場所ですか? それとも人手か資金?」
「人手と資金です。場所は空き家をなんとかすれば、それなりに」
デイヴィッドはしばらく考えた。
「では、帝都からどなたかが来るまでは、応急措置をしませんか。餓死者が出てからでは遅いですから。家のない子が寝られるように、空き家に毛布などを準備してください」
町長は小刻みに頷き、秘書がせっせと書き留める。
「お金は一旦、サイフリッド商会が立て替えます。今後の資金繰りと合わせて、帝都の誰かと話し合いましょう。大掛かりな話になりそうですので、詳しくはまた改めて。食事は、こちらでなんとかします」
「ありがとうございます。でも、よろしいのですか? サイフリッド商会にはなんの得にもなりませんが」
町長は心配そうにデイヴィッドを見つめる。見つめる時間が少し長すぎるので、イシパがコホンと咳払いした。町長はハッと目を瞬き、指をくねくねさせる。
「大丈夫です。最近、儲けすぎているきらいがありまして。ここらで儲けを吐き出さないと、同業他社の嫉妬を買いそうですから」
デイヴィッドは空き家の位置、広さなどをしばらく話し合ったあと、柔らかく町長に微笑む。
「では、帝都の方がお見えになり次第、打ち合わせいたしましょう」
「はい、それはもう。ありがたき幸せ。私はいつでも大丈夫ですので」
町長は、新婚で色気が増したデイヴィッドの前には、塩を振られたナメクジのようであった。ヘナヘナのクタクタだ。
「デイヴィッドさん、すごいね。男女も年齢も関係なく、手当たり次第なんだね」
部屋を出てから、ジェイムズが感心しきってため息を吐く。
「人聞きの悪いことを言うな」
デイヴィッドは顔をしかめるが、イシパはジェイムズに同意する。
「狙ってやってるんじゃないのがすごい。老若男女、種族も関係なくって感じだな。まあ、好きに笑えばいい。虫はたたき落とすから」イシパが勇ましくキリッと言った。
イシパにたたき落とされたら、人はもう終わりだな。ジェイムズは町長の目が覚めることを祈る。
「森の子どものことは、町長には言わないんだね」
「まずは帝都の人と話して、対応策を決めてからがいいと思う。誰がどこまで信頼できるのか、さっぱり分からないだろう」
「そうだね。一網打尽に叩きのめさないとだね」
ジェイムズが厳しい顔をする。
空き家を準備し、家のない子どもたちを少しずつ保護し、食べさせ、世話をする。怯えて逃げ回っていた子どもたちも、炊き出しにつられて徐々に出てくる。一緒にごはんを食べ、慣れてきた頃合いに、それとなく事情を聞く。
全体像がなんとなく見えてくるにつれ、デイヴィッドは考え込むことが多くなる。イシパは荒れ、クルトとジェイムズは泣いた。ニーナとリーンには、まだ話せていない。
やっと、帝都から人がやってきた。アイリーン第二王女が、護衛を引き連れて颯爽と町に現れる。スラリと背の高いアイリーン。中性的な魅力を放つ第二王女の登場に、町は上へ下への大騒ぎだ。想定以上の大物の登場に、町長は執務室のすみっこで小さくなっている。町長は、呼ばれるまで待機となった。
まずはデイヴィッド、イシパ、クルト、ジェイムズが、アイリーンと話し合う。話を聞いて、いつもは静かで無表情なアイリーンの顔が怒りで真っ赤になった。
「大規模な人身売買組織がアッテルマン帝国周辺にいるということですか。父をそそのかし、森の子どもを迫害し。その裏で、森の子どもを助けるフリをして監禁。そして」
ギリギリとアイリーンが口を噛みしめる。
「そして、子づくりさせたというのですか。人に。森の子どもに。私たちは家畜ではない」
ポタリ アイリーンの口から、血が流れた。
「泣くな、森の娘、アイリーン。私が決して許さん。必ず、森の子どもは全員見つけ出し、助ける。やったヤツらには、報いを受けさせる。約束する」
イシパがアイリーンの唇をハンカチで拭う。
イシパは窓を開けると、ひと握りの真珠を地面に叩きつけた。
シュルシュルシュル 豆のツルが空高く伸びていく。
「父さーん、今から上に行くから。相談ごとー」
「はーい」
空から返事が降ってきた。




