172.新しい人生
ラウルはグッタリ疲れている。さすがに、三十人もの名づけは骨が折れた。嫁入りや婿入りしてた子どもたちも、ラウルに名前をつけてもらえると聞き、里帰りをしてきた。
ヨンゴロクが里帰り組だ。
「家族を救ってくださって、本当にありがとうございます」
可憐なヨンは、近隣の領地に嫁ぎ、子どもも生まれ、幸せに暮らしていた。だが、故郷でカゴの鳥のように生きている家族のことが、ヨンの幸せに影を落としていた。
「わたくしだけが幸せになっていいのか。のどに刺さった小骨のように、ずっと気になっていました」
ヨンはそっと涙を拭く。
「うむ、皆が嬉しいなら、それが一番だ。では、そなたの名前は、ヨンコボネだ。響きがかわいいと思うが、どうだ?」
「え、あ、はい。ありがとうございます」
「イヤなときは、断ってもいいんですよ」
見かねて、ハリソンがそっと口を挟む。ヨンコボネは、かわいらしく微笑んで、首を振った。
「殿下がつけてくださったのですもの。それに、妖精の名前みたいで愛らしいです」
「へ、へー」
本人がそう言うなら、いいのだろう。ハリソンはスッと引き下がる。
ゴは均整のとれた、スラリとした男性。子宝に恵まれにくい家系らしい、さる領主の長女に婿入りした。無事に務めを果たし、順調に子どもが増えている。妻と領地を治める日に向けて、もっか勉強中だ。
「種馬として行きましたので、無事にできてよかったです」
あっけらかんと自虐的なことを言っている。
「ゴタネウマーはどうであろうか?」
「勘弁してください」
ハハハハとゴは爽やかに笑う。おお、初めて断った。ハリソンは嬉しくなる。
「確か、種馬のことを昔の言葉でスタリオンと言ったはずだ。ゴスタリオンはどうだ?」
ラウル、種馬から離れろよ。ハリソンは心の中で突っ込む。
「かっこいいですね。それでお願いします」
ええんかい。ハリソンは目を閉じた。この家族、変わった人が多いなー。お前が言うな、と多くの人が感じるであろうことを、ハリソンは考えている。
ロクは、この家族がイヤで、さっさと出て行って、女だてらに冒険者をやっている。
「ロックという名前がいいです。強そうですから」
ロクは自己申告してきた。ラウルはしばし目をつぶって熟考する。
「うむ、なるほど。では、ロックセンマンでどうだ」
ロクは無の表情になり、しばらく固まっている。何度か新しい名前を口の中で転がし、不思議そうな顔をして頷いた。
「ありがとうございます。一瞬、ないわーと思いましたが。なかなか語感がいいので、ありですね。これからは、ロックセンマンと名乗ります」
そんな感じで、ラウルは全力で名前をつけた。
「皆、自分の人生は、自分で決めるのだぞ。新しい名前と共に、新しい人生を歩めばよい」
たった十二歳の少年ラウルの、大人びた言葉を、領主一族は真面目な顔で受け止める。
「ありがとうございます、殿下。殿下のためなら、我ら一同、命をかけます」
イチゴが恭しく跪き、一族がそれにならった。
「うむ、ありがとう。命をかけてもらうことのなきよう、精進する。知識や新しい制度の考案など、そちら方面で今後力を貸してくれ」
一族の頭脳派の面々が力強く頷いた。
「ところで、オヴァインはどうするのだ?」
ラウルの問いかけに、イチゴは聖母のような笑みを見せた。
「殺しはしません」
「そうか。まあ、任せるが。夢見が悪くなるようなことはしてはならぬぞ」
「はい」
唯一無二の名前を賜った子どもたちに、涙ながらに見送られ、ラウルたちは領地を後にした。
***
ヴェルニュスでは、妻たちが結婚生活についての話に花を咲かせている。
「結婚してどう?」
ミュリエルが目をキラキラさせながら、皆の顔を見る。新妻たちは、ポッと頬を染めた。
「思ってたより、ずっと楽しいですわ」
ほほほ、と魔牛お姉さんが笑う。
「自分の味方でいてくれるって信じられます。家族になったんだなあって、とても安心できます」
うんうん、分かる分かると頷く女性たち。
「新しい一面をみつけたり。今までは見たことがなかった、少しダラシないところなんかも。かわいいなって思います」
「キャー、のろけすぎですわよ」
魔牛お姉さんたちは大騒ぎ。
「で、ミリーは結婚してどうなの?」
イローナの切り込みに、皆の目がミュリエルに集中した。
「人生がゴロッと変わったよね。ビックリだよ。まさか領主になって、ケーキが毎日食べられるなんて」
う、うーん、なんか思ってたのと違う。魔牛お姉さんたちは、チラチラと視線を交わす。
「激動だったけど。今は心は落ち着いたよ。アルがいて、子どももできて。アルと子どもと、領民のために生きていけばいいんだって。選択肢が多すぎると悩んじゃうけど。今は優先することがはっきりしたからね」
あ、よかった、いい話に着地した。魔牛お姉さんたちは、ほんわかする。
「わたくしたちも、ミリー様に出会って、人生が大きく変わりましたわ。石投げで強くなりましたもの。畑仕事も学びましたし、いよいよ次は狩りですわね。解体を覚えるのですわ。ゾクゾクしますわ」
ヒエっと身をすくませる魔牛お姉さんたち。
「解体は覚えなくてもいいと思うけど。旦那さんたちができるんだし」
ミュリエルの言葉に、魔牛お姉さんたちは真剣な目で答える。
「いつ、何があるかわかりませんもの。解体ができれば、救える命があったのに。そう後悔したくありませんわ。狩りができれば、もし没落しても、生きていけますものね」
前向きなんだか、後ろ向きなんだか、微妙なことを言っている。
「そっかー。アタシも練習しようかなー」
イローナまでもが、そんなことを言い出した。
「ホント? ウィリーとダニーに頼んでおくね」
領民全員、狩猟と戦闘ができる日が来るかもしれない。