171.森の子どもと、ささやかな天罰
リーンは六歳。一年ほど前に、例の村に来たらしい。
「おうちは、どこか分からない」
どうも両親と、色んなところを転々としていたようだ。両親とひっそりと隠れるように生きてきて、親戚も友だちもいなかったのだろう。お父さんとお母さんが、リーンの中にある大事なもののほとんどを占めていた。それなのに、ある日突然、いなくなった。
村に来てからは、ずっと親を求めて泣いて、閉じこもって。こんな小さな子が。ニーナは腹が立つ。私たちが何をした。森の子どもだからって、どうしてこんな目に合わなきゃいけないの。
イシパは、よく謝る。「助けられなくてごめんな」
祈りの力が弱まると、神々の意識は人々から離れてしまうという。世界は膨大で、時間は悠久で。人々は弱く、人生は余りにも短い。神々が少し気をそらしている間に、人々はおかしなことをしたりする。
介入は、滅多にしないのだ。キリがないからだ。たまに目に余ったり、気が向いたら、遣いを出すこともある。神々の言葉を盾に、権力争いをする人たち。神々への祈りを、悪用する者。神の名を元に、覇権争いをする国々。いい加減にしなさいよと。
人々は震え上がり、静かになったなと思っていたら。よりにもよって、祈りの力の強い森の子どもを食い物にするとは。人とはなんとも不合理な存在だ、イシパは首を振る。
ジェイムズはニーナとリーンの境遇を聞けば聞くほど、自分が恵まれていたことを知る。よそ者がほとんど来ない、隠れ里のようなところで、強い家族と領民に守られて来た。確かにお金はなかったけど、飢えることも、さらわれることもなかった。
「それが当たり前だ。森の子どもは権力から離れて、大地と共に生きていく。それがあるべき姿だ。族長ぐらいがいいと思う。ヒルダやミリーは権力を持ちすぎているが、まあ、いいだろう」
イシパは、あのふたりなら権力欲におぼれないだろうなと感じる。
分かれ道に来た。皆の視線がイシパに向く。
「あっちかな」
どっちにもいそうだが、なんとなく左側。荷馬車はガラガラと進む。
父さんと母さんだけだったリーンの世界に、もう少し人が増えた。
***
近頃、アッテルマン帝国近辺は、ざわついている。
「森の子どもたちが、アッテルマン帝国周辺を旅してるんだって」
「人とは思えないほど美形な金持ちがいるって」
「でも、既婚」
「はい、終了ー」
女たちは解散した。
後ろ暗いところのある男や女はゾワゾワしている。まことしやかにささやかれる、あるウワサ。
「森の子どもにひどいことしたヤツには、天罰がくだるって」
「髪が全部抜けたり」
「男として機能しなくなったり」
「破産したり」
「胸が垂れたり」
「そんなわけあるかい」
もちろん信じない者もたくさんいる。
「神罰は、ジワジワ近づいてくるんだって」
「あれ、最近なんかついてないな。それぐらいから危ないらしい」
女がしわくちゃの紙を広げる。
「これ、街で拾ったんだけどさあ」
誰かが祈っている絵が描いてある。その裏に、デカデカと『困っているあなた、サイフリッド商会に行ってみよう。衛兵にこの絵を見せてもいいよ』
「なんだこりゃ。新手の詐欺か?」
「迫害されてる森の子どもへの呼びかけらしいよ」
「へー。儲かってる商会は、金をドブに捨てるようなことするな」
男はペッとツバを吐く
「それが、そうでもないって。森の子どもを助けてから、つきまくってるんだって。だから、先行投資とかなんとか」
「ほーん、じゃあ、俺も。森の子ども使って商売でもするか」
紙を持っていた女が、ペチンと男の頭をはたいた。
「だーかーらー、それが危ないって話だろうが。ちゃんと聞きなよ。そういうヨコシマな考えがあるだけでも、ヤバイって」
「それ、マジもんらしいよ。ほら、森の子どもをさらおうかなって、チラッと計画した男。その頃から、周りで死人が増えたんだって」
中年の女が声をひそめて言う。
「自分が死ぬんじゃないなら、いいじゃねえか」
「まあね。死んだ人も、病気だったり、年だったり。おかしなところはないんだって。でもさあ、毎回その男が第一発見者になるらしいんだよ」
「えっ」
なんだか急に周りの空気が冷えたような気がして、小悪党たちはブルっと震える。
「そういえば、最近、なんか食べたら、いっつも最後にガリってなるんだけど。まさか」
女はうっすら青ざめる。直接、森の子どもに何かしたことはないけど、見て見ぬフリはしてきた。止められるときも、関わるのが面倒で、止めなかった。
「え、あれ、俺……。かわいいな、いいなって思った女の前だと、脇汗で服がビッチャビチャになる。昔はそんなことなかった」
男は思わず両脇に手を挟む。
「ああ、うちの旦那さ。夜に寝言で、浮気してることベラベラしゃべんだよ。家から叩き出してやった。そういえばあいつ、森の子どもの情報売ってたわ」
いかつい顔をした女が、吐き捨てるように言う。
街の薄暗闇で暮らす、純情さのかけらもない者ども。背筋がなんだかスースーするのはなぜだ。
弱みを見せないように。ハハハとから笑いして、顔を見合わせる。
「まさか、そんな」
「なあ」
「じゃ、俺もう行くわ」
みんな微妙な顔をして、バラけていく。
神なんて信じていない。他人は利用してなんぼ。強い者にはヘイコラし、弱い者は搾取する。そうやって生きて来た。
「ちっ、信じてる訳じゃないけど。森の子どもは放っておこう。髪が抜けたら困るしな。脇汗どころじゃねえ」
脇汗男は、とりあえず、森の子どもとは関わらないことに決めた。これ以上、女にモテなくなったらイヤだ。
ヴェルニュスの女性たちが考えた、エゲツないのと、ささやかな天罰のウワサ話は、驚きの速さで広まっていく。もちろん、呪ってなどいない。誰でもなんらかの不運は起こる。それをやましい気持ちと結びつけるように仕向けただけ。
もしかしたら、ひょっとしたら、神々がおもしろがって、何かしたかもしれないが。それは人々にはうかがい知れぬことである。
『追放された聖女の明るい復讐譚〜』でいただいていた、ささやかな呪い案を、こちらで使わせていただきました。ありがとうございます。
シルキーさま「誰かが死ぬと必ず第一発見者になる呪い」
高谷さま「食べた物の最後に必ずガリってなる」
江栖津さま「落としたい人を前にすると脇汗が服びしゃびしゃレベルで出てくる」
黒にゃ〜んさま「どんなに不倫を隠しても、夜に寝言で全部白状する呪い」