170.情報を制する者は
出発の日、デイヴィッドは村長の手を握って、お礼をいう。
「泊めてくれてありがとう」
「いえいえ、なんの。皆さんのおかげで雨が降りました。真珠もいただいた上に、アッテルマン帝国に編入できそう。イイことずくめです。こちらこそ、ありがとうございます」
「もし、リーンの親が来たら、サイフリッド商会の誰かに話すように伝えてください。主要な街には、従業員がおりますから。どこかで落ち合えるようにします」
元巫女は、普通の少女に戻った。ツーンとしながら、リーンにショールを渡す。
「はい、これあげる。夜は寒いから、首に巻きなさい。お父さんとお母さんに会えるといいわね」
リーンは目を丸くしながら受け取って、不器用に巻く。
「もう、ヘッタクソねー。貸しなさい。ほら、こうやってふんわり巻くとかわいいのよ。ここで結べば落ちないわ」
「あ、ありがとう」
リーンはオドオドしながら、ぎこちなく笑う。
「いい男を見つけるんだぞ」
デイヴィッドの隣にいるイシパが、ドヤ顔で元巫女に言う。
「は、はらたつー。何、その勝者の余裕みたいな感じ」
元巫女はキーキーわめく。
「ごはんをちゃんと食べて、真珠に祈れば、きっと見つかる」
元巫女は、無言になって、コクリと頷いた。
「では、行こう。森の子どもがいそうな方向に進めば、そのうち会えるだろう」
リーンの父親は森の息子らしい。イシパはなんとなく、森の子どもがいそうな方角が分かる。道の分かれ道で、どっちがいいか選べるぐらいだけれども。
生きていれば、いつか出会えるだろう。生きていてくれ。リーンに気づかれぬよう、旅の一行は心の中で静かに祈った。
***
パッパはヴェルニュスの自室で、難しい顔をしている。デイヴィッドからのリーンについての報告が気になって仕方がない。
パッパの強みは、大手の商家に生まれ、幼い頃から商売の根幹を学んで来たこと。豊富な資金と人脈で、いち早く商売の芽を見つけ育てられること。そして、天性の勘の良さだ。いい予感も悪い予感も、天啓のように訪れる。
パッパは、デイヴィッドの手紙は天啓だと感じた。商売に関わることは、即断即決できるパッパであるが、森の子どもについては範疇外だ。
「ミリー様とアル様に相談しよう」
案件を自分のところで止めすぎて、焦げつかせるのは悪手だ。パッパはよく知っている。さっさと、領主夫婦の元を訪ねた。
国内外から注目の的の、ウワサのふたり。今日も幸せ色に包まれて、ふたりで書類を読んでいる。例えそれが、税収見込みなんていう色気のない報告書でも、ふたりでいれば風雅な詩のよう。少なくともアルフレッドはそう思っている。ミュリエルにはそこまでの余裕はなさそうだ。
ミュリエルは、ジャックに案内されて入ってくるパッパを見ると、途端に笑顔になって書類を放り出した。アルフレッドは苦笑しながら、パッパを見る。
「お忙しいときにすみません。デイヴィッドから気になる報告書が届いたので、ご相談をと思いまして」
パッパはアッテルマン帝国で、デイヴィッドたちが見つけた森の娘のことを説明する。
「気になるのです。シャルマーク皇帝が倒されたウワサは、もう津々浦々まで届いているはずなのです。森の子どもは、もう迫害されないことも。では、なぜリーンの両親は迎えに来ないのか」
ミュリエルは不安そうな顔をする。
「もう亡くなってるってこと?」
「それは分かりませんが。私が危惧しているのは、シャルマーク皇帝以外にも、森の子どもを狙った者がいるのではないかと。それで、出て来れず、どこかで隠れているのではないか」
パッパの言葉にアルフレッドが口を開いた。
「ミリーがヴェルニュスに起こした奇跡もウワサになっているだろう。森の子どもを利用しようとする者が出てきても、おかしくないな」
アルフレッドは指でコツコツと机を叩いた。ミュリエルの目がメラメラと燃える。
「私たちは、便利な道具じゃないよ。生きてる、普通に幸せになりたい、ただの人だよ」
アルフレッドはミュリエルの手を優しく握る。
「助けよう。そして、普通に生活できるように、保護しよう。ヒルダ陛下とも相談しよう」
「私も各地の従業員を通じて、森の子どもらしき人たちがいれば、助けるようにします。助けを求めてくれれば簡単なのですが。隠れていたら、助けることもできません」
パッパは丸いお腹の上で手を組んだ。ふっくらしすぎて、腕組みはできないのだ。
「怯えてる猫を連れ出すのは難しいよね。だって、人を信じてないもん。うーん、どうしよう」
ミュリエルはガッと腕を組んだ。お腹は出ているが、お腹以外はそれほど肉がついていないミュリエルは、腕が組める。パッパは少し、うーむという顔をして、自分のお腹を見る。
「確か、ニーナはユーラが描いた『祈る人』と『祈る手』を見たんだったな。それで、ヴェルニュスに来る気になった」
ミュリエルはうっと口を歪め、パッパは目を輝かせた。
「少し安い紙で刷りまくり、各地で広めましょう。そして、森の子どもを保護することを伝えるのです。サイフリッド商会か、アッテルマン帝国の衛兵に言えば助けてもらえると、ウワサをばらまきましょう」
ミュリエルはまだ、うんうんうなっている。
「狙ってるヤツらをビビらせないと。森の子どもに手を出したら、ひどい目に合うって思わせなきゃ。うーん、見せしめに誰か吊し上げればいいかなあ。あ、でも変態をぶっ殺したんだった。あれ以上の見せしめってないよねえ」
ミュリエルの思考が、いかに敵を狩るかに集中し始める。アルフレッドとパッパは静かにミュリエルを見守る。狩りで獲物を追い込むことにかけては、ミュリエルの右に出る者はヴェルニュスにいない。
「森の子どもを利用したい気持ちより、手を出すとヤバいって気持ちにさせなきゃ。うーん」
ミュリエルはパッパのピカリと光る頭を見つめて、少し気まずそうに目をそらす。
「ウワサがいいかな。森の子どもは神の加護を持っている。下手に手を出すと不幸になるって」
「髪が抜けるとかですな」
パッパが、朗らかに言った。ミュリエルは、エヘっとすまなそうに笑う。
「分かりました。エゲツないウワサをまきましょう。そういうのは女性が得意なので、領地の女性に聞いて来ます。ユーラの許可も取らなくては」
「パッパ、頼んだ。ヒルダ陛下には連絡しておく」
「お任せください」
パッパは、やるべきことが明確になり、意気揚々と部屋を出ていく。
「ジェイとダニー、結婚できるかな」
森の息子である弟たちの将来が少し不安になるミュリエル。
「大丈夫だろう。そういうのも気にしない、強い女性が現れると思うよ」
「そうだといいな。ま、今は、狙われてるかもしれない、森の子どもを助けるのが先だよね。後のことは、いっぱい助けてから考えよう」
がんばれジェイムズとダニエルと他の森の子どもたち。触るな危険の枠に入れられたよ。