169.救いの手
巫女はヤケ食いをした後、口の周りをゴシゴシ布で拭くと、布を机に叩きつけた。
「アタシ、バッカみたい。真面目に祈ったって雨なんか降りゃしない。もう、やめやめー」
村長は大慌てだ。
「いやいや、もうちょっとがんばって、ね」
「いやよ。おしとやかに巫女やってりゃ、キレイな男が婿に来てくれるって言うからやったのに。雨は降らないし、野菜ばっかりだし。おまけにせっかく来た美形は、そんな女の旦那だし。なんなの」
さっきまでのお嬢さまっぽい巫女はどこに行ったんだ。ジェイムズはポカーンとする。女ってこえー。ジェイムズはとりあえず、残っているごはんをせっせと食べる。イシパも愉快そうに食べている。
「もうさあ、かくまってる森の娘を追い出そうよ。なんの役にも立たないもん、あの子」
クルトとニーナが目を合わせた。
「森の娘がいるのか? ここに?」
デイヴィッドの問いに、村長は目をウロウロ色んなところにさまよわせる。イシパと目が合ったあと、村長はガクッとうなだれた。
「アッテルマン帝国が森の子ども狩りをしたとき、ひとりかくまったんですよ。親から謝礼をもらったんで、今まで隠してたんですけど。期待していた力もないんでね。雨も降らないし」
「タダ飯ぐらいの役立たずよ」
巫女は吐き捨てるように言う。
「親はどこにいるんだ?」
「さあ、知りませんよ。どこかから逃げて来たらしくて。子どもだけでも助けてくれって頼まれましてねえ。謝礼もらったんで、子どもは預かったんですわ。親は、長居すると子どもが危ないって、すぐ出て行きました」
村長の言葉に、デイヴィッドは難しい顔をする。
「その森の娘に会わせてくれないか」
クルトは村長に頭を下げた。
「いいですよ。できれば連れて行ってくれませんかねえ。もうもらったお金もなくなったし、これ以上置いておく理由がないんですわ。雨も降らせられなかったし」
村長は苦々しげにクルトを見る。
クルトはすがるようにデイヴィッドに視線をやった。
「会ってみてからだが、動けるようなら、連れて行こう。ミリー様とヒルダ様にも頼まれたことだし。できる限りのことをする」
デイヴィッドは、元々そのつもりだった。安心させるように、クルトの背中を叩く。ニーナが立ち上がった。
「私が会ってみる。男の人に会うのは怖いんじゃないかな」
「じゃあ、あなた、ついてきなさいよ。連れて行ってあげるわ」
巫女はツンツンしながらニーナを村長の家の近くにある、小さな小屋に案内した。
「ずっとここにこもってるのよ。滅多に体も拭かないから、臭いわよ」
巫女は鼻にシワをよせ、扉を開ける。
「ちょっと、お客さんよ。くっさいから、窓開けるわよ」
巫女はズカズカ中に入ると、小屋の窓を大きく開け放した。窓から明るい光と新鮮な空気が入り、モワッとした空気が扉から追い出される。
「じゃあ、あとはよろしくー」
巫女はニーナを置いてさっさと立ち去っていく。ニーナはオズオズと小屋の中に足を踏み入れた。がらんと何もない小屋の奥に、簡素なベッドが置いてあり、布団がこんもりしている。
「こんにちは。私はニーナ。森の娘よ」
しまった、名前を聞いてくればよかった。ニーナはジリジリとベッドに近づく。ニーナはゆっくりベッドに腰掛けると、そーっと、こんもりしている布団に手を置いた。
「もうね、怖い皇帝はいないんだよ。お父さんとお母さんを探しに行かない?」
布団の下がピクリと動いた。
「私もね、クルトっていう人に助けてもらったの。今度は私があなたを助ける番だよ。私の両親はもういないの。でもあなたの両親はまだどこかにいるかもしれないんでしょう。一緒に探しに行こうよ」
布団の下から、小さな女の子が顔をのぞかせる。
「私はニーナ。あなたの名前を教えてくれない?」
「リーン」
ニーナはリーンのゴワゴワもしゃくしゃの髪を優しく撫でた。
「リーン。いい名前だね」
「うん。お父さんとお母さんに会える?」
「分からないけど。ここで待ってるより、私たちと一緒に探しに行こうよ」
「うん」
「その前に、ごはん食べて、お風呂も入ろうか」
「うん」
ニーナはスープとパンをもらってきて、リーンに渡す。リーンが食べてる間に、もつれまくった髪の毛を根気よくときほぐす。
沸かしたお湯をクルトが運んできて、タライに入れてくれる。ニーナは水と混ぜて、ちょうどいい温かさにすると、リーンをタライの中に座らせた。
体と頭を石けんで洗うと、すぐお湯が汚くなる。乾いた布でグルグル巻きにし、タライを外に押し出す。待機していたクルトがお湯を外に捨て、また新しいお湯を入れてくれる。
何度かお湯を替えると、リーンはピカピカのかわいい女の子になった。ニーナは髪を丁寧に乾かし、新しい服に着替えさせた。
「私たち、姉妹みたいだね」
ニーナとリーン。茶色い髪に、緑の目。リーンは小さな声で何度も聞く。
「お父さんとお母さんに会える?」
「分からない。でも一緒に行こうね。祈ってもいい?」
「うん」
ニーナはリーンをギュッと抱きしめながら、小さな声で祈った。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。リーンがお父さんとお母さんに会えますように」
ニーナはリーンの小さな体をずっとさすった。
リーンの体がしっかりするまで、一週間ほど村で様子を見ることにした。デイヴィッドはたっぷりと宿泊費を村長に渡す。村長はニヤけきったダラシない顔で金貨を受け取った。
「さすが、サイフリッド商会の方は太っ腹ですなあ」
「リーンを今まで面倒見てくれたお礼も入っている」
「あ、ははは。いや、えー、そんな大したことはしてないんですけど。そのー」
村長は気まずそうに視線を泳がす。
「貧しい村で、働けない子どもを養うのは大変だっただろう。ありがとう。もし、今後も誰か救いを求める人が来たら、できる限りでいいから、助けてあげてほしい」
「は、はあ。まあ、約束はできませんけどねえ。なんせ、吹けば飛ぶような村ですからね」
村長はぐちぐちとこぼし始める。デイヴィッドはしっかりと聞いている。
「ああー、どうせならアッテルマン帝国に占領されたかったですわ。こんなどっちつかずの、どこにも属さない村。強い国の一部になって守られたいもんですわあ」
デイヴィッドは、ふむとアゴに手をやる。
「そういう考え方もあるのか。分かった、次にヒルダ女王陛下に会う機会があれば、伝えておこう。緊急事態には、もうすぐアッテルマン帝国になります。ほぼアッテルマン帝国です、と言えばいい」
「えっ」
村長の目が飛び出そうだ。
「陛下とは縁があってね。忌憚なく話せる間柄だ。やむを得ない場合の小さなウソぐらい、見て見ぬフリをしてくださるはずだ」
「ええー」
村長はくにゃりと椅子の背にもたれかかる。美貌に金に権力。全部持ってるじゃーん。神様、不公平です、あんまりです。村長はさめざめと泣いた。こすっからく、せこく、強者におもねって、顔色をうかがいまくって、村を守ってきた。
それに引き換えどうだ、この美そのものみたいな男は。堂々と正論を述べ、清廉に生きていける力を持っている。くやちー。
「泣くな泣くな。せこくても、みみっちくても、コウモリと蔑まれようとも。生きて、村人を生かして来たんだ。お前さんは立派な村長だ。誇っていい」
「ええっ。私、声に出してました?」
村長はイシパを凝視する。
「いや、それほど堂々と神に文句を言われると、聞こえる。悪かったな、助けてやれなくて。神々は忙しいからな。目をかけてる子がいる領地をつい見てしまうんだ。今ならヴェルニュス」
「ほへー。あなた、巫女ですか?」
「まあ、そんなもんだ。な、この真珠をあげるから。これをどこかに埋めて、真摯に祈るんだぞ。そうすると神々がこの地に気づいてくださる」
イシパは村長の手に、真珠をひと粒握らせた。
「ありがとうございます。真面目に祈ります。そして、誰かが助けを求めて来たら、できる限りなんとかします」
「頼んだ」
村長は、こすっからい顔に、さわやかっぽい笑顔を浮かべた。苦節何十年。初めて訪れた、いいこと。神様、ありがとうございます。できれば、カッコイイおじさんになりたいです。
「それは、自分の努力次第じゃないか」
イシパに肩を強く叩かれ、村長は椅子から転がり落ちる。
「が、がんばりますっ」
「ああ、がんばれ」
村長がイケオジになる日、来るのだろうか。それは誰にも分からない。




