168.ほどほどにね
デイヴィッドは散財しながら、アッテルマン帝国を放浪する。堅実なイシパと、従業員にたしなめられながら、デイヴィッドは徐々にいつもの冷静さを取り戻していった。
「デイヴィッドさん、一店舗だけで集中して買うのはよくありません。会長は、色んな店で少しずつ。それが軋轢をうまない秘訣だと仰っていました」
「そういえば、そうだったな。浮かれていた。すまない、気をつける」
大きな街には、色んな商会が手ぐすねひいて待ち構えていることもある。
「デイヴィッドさん、奥様に新しいドレスはいかがでしょう」
いかにも値の張りそうなきらびやかなドレス。デイヴィッドはイシパに目を向ける。イシパはゆっくり首を横に振った。
「もし突然、体が大きくなったら、地上の服は破れてしまう。空の服は大丈夫なんだけど。巨大な裸体をさらすわけにはいかないからな」
他の商会の者には、イシパが何を言っているのかさっぱり分からない。デイヴィッドたちは納得した。
「では、服はなしだな」
デイヴィッドはあっさり言った。
「それに、なるべくこの土地の店から仕入れたい。せっかく来たのだから」
他の商会の商人たちはガックリ肩を落とす。
「では、そちらの若いお嬢さんはどうです?」
突然ドレスを売り込まれて、ニーナはビクッとする。
「いえ、旅の途中だから、ドレスはいりません」
「ニーナ、ドレス以外の何かを買おうか? 欲しいものがあったら言いなさい」
クルトはニーナを気づかって言った。仕入れとはいえ、目の前でデイヴィッドが次々と買っていくのだ。うらやましいのではないか。今さらながら、クルトは気がついた。
「ううん、いらない。欲しいものは自分のお金で買う。ヴェルニュスで少し働いて、お金もらったから。ミリー様とフェリハ様とミランダ様にお餞別いただいたし」
ニーナはかたくなに拒む。
「では、ではでは、そちらのお坊ちゃんはどうです? 美しい小刀などもありますよ」
ジェイムズは話を振られて目を丸くした。チラッと差し出された小刀を見て少しイヤな顔をする。
「そんなんじゃ、猪の首を切れないよ。それに僕、お金は領民の血だって言われてるから、必要なものしか買わない」
サイフリッド商会のおかげで領地は潤っているとはいえ、長年染みついた質素倹約の生き方は、おいそれと変えられるわけがない。自分の無駄遣いで、領民が貧血になったら困るではないか。
手強すぎる一行に、商人たちはうなだれる。
色んな村や街の職人を喜ばせながら、デイヴィッドたちはアッテルマン帝国の領地ギリギリの土地にやってきた。今までは、ヒルダ女王の紹介状があったので、どこの街でも歓迎された。
「このあたりから、アッテルマン帝国の領土なのか、どこにも属していないか、微妙な土地が多くなってくる。少し気をつけよう」
デイヴィッドの言葉に一向は真面目な顔で頷いた。
その村は森の近くにひっそりとあった。小さな村にも関わらず、そびえ立つがっしりとした城壁。魔物もよそ者も入れない、そんな排他的な雰囲気を感じる。デイヴィッドは少し柔和な表情を作り、門のところにいる村人に話しかけた。
「ローテンハウプト王国のサイフリッド商会です。こちらで商売をさせていただけませんか」
村人はジロジロとデイヴィッドの顔を見る。イシパとニーナ、クルトは素通りし、次にジェイムズをじっくり見た。
「どうぞ、入ってください」
どうやらデイヴィッドの美貌が効いたようだ。村の女から熱い視線を受けながら、村の奥の村長の家に案内された。
村長はなんだか尊大な感じのする小男だ。一生懸命ふんぞり返って、体を大きく見せようとしている。クロが気に食わないと言いたげに、フンッと鼻を鳴らした。村長は威圧的なクロに目をやり、ビクッと後ろに下がった。
村長は急に態度を変えて、下手に出てきた。
「有名なサイフリッド商会の方がわざわざこんな田舎まで。あれですか、我が村の巫女のウワサでも耳にされましたかな? ええ、巫女は今年、婿を取る予定です」
村長はニヤニヤとデイヴィッドの全身を舐め回すように見た。
「巫女の話は聞いたことはない。私には既に妻がいるから、婿入りなどしない。今は妻との新婚旅行中だ」
デイヴィッドはにべもない。村長はイシパとニーナに視線を行ったり来たりさせた。村長はニーナにピタリと視線を合わせる。
「なるほど、幼い娘がお好みなのですな。大丈夫です、巫女もあどけない乙女です」
イシパとニーナがピクッとする。
「私の妻はイシパだけだ。他の女性を勧めないでくれ」
デイヴィッドは不愉快そうに眉をひそめて、イシパの肩を抱き寄せる。村長は仰天したようにイシパを見ると、下卑た笑みを浮かべる。
「なるほどなるほど。何か訳がおありなようですね。今日は巫女と共に食事をいたしましょう」
デイヴィッドはいとまを告げようとしたが、イシパに止められた。
「楽しそうじゃないか。巫女に会ってみたい、デイヴィッド」
イシパがワクワクしているのを見て、デイヴィッドはグッと怒りをこらえた。
村長の客室に、食事が用意され、真っ白な衣装を着た少女がしずしずと入ってくる。巫女はデイヴィッドを見ると、真っ白な頬をほんのり赤らめる。巫女はデイヴィッドだけを見つめて、プルンとした唇を小さく開ける。
「ようこそいらっしゃいました。わたくしは、雨乞いの儀式中ですので、白湯を飲むだけになりますが。ぜひご一緒させてください」
イシパは出された食事をモリモリ食べながら、巫女に興味津々話しかける。
「雨乞いの儀式のときは食べないのか?」
巫女はツンとした表情で答える。
「ええ、もちろんです。祈るには清い体でなくてはなりませんもの。野菜を少しだけ食べますのよ。肉は不浄ですから食べません」
「へええー、初めて聞いた。ミリーは肉が大好きだけど、神に愛されているぞ」
湯呑みを持つ巫女の手が少し震える。
「ミリーとはどなたですか?」
「ヴェルニュスの森の娘だ。ミリーの祈りの力は気持ちがいいぞ」
イシパは屈託なく笑う。巫女は湯呑みを注意深く机に戻す。
「そうなのですね。でも、わたくしはこの地に伝わる伝統を守ります」
「そうか、無理はしないようにな。お前さんには力がない。祈ったところで、なかなか父さんには届かないと思うぞ」
巫女のこめかみがピリッとした。
「力がないだなんて、失礼ですわ。それに、父さんとはなんのことです」
イシパは気の毒そうに巫女を見る。
「うーん、この地に誰か祈る力のある者がいるのは感じる。でもそれは、お前さんじゃないな。父さんは父さんだ。雨を降らすのが得意だ」
巫女は机に両手をついて、声を荒げた。
「あ、あなた、何さまですの。失礼にもほどがありますわ。わたくしがどれほど、雨を降らそうと努力しているか」
村長がオロオロしているのを横目に、イシパは不憫な子どもを見るような目をして、巫女に語りかける。
「かわいそうに、無茶な重荷を背負わされたのだな。雨なら降らせてやる。雨乞いの儀式のことはもう忘れて、ごはんを食べなさい」
巫女はギリギリと唇を噛み締めた。巫女は悔しそうに叫ぶ。
「なんなの、キレイな夫がいるからっていい気になってるの? どうせ、脅して結婚したんでしょう。雨を降らせられるもんなら、やってみなさいよ」
デイヴィッドが止める間もなく、イシパが上を向く。
「父さーん、雨降らせてー」
ドッシャアー 滝のような大雨が降り注いだ。あまりの音に、皆が耳をふさぐ。
「お義父さん、ほどほどにお願いします」
デイヴィッドが力の限り叫ぶ。
ピタッと雨が止み、しばらくして、しとしと優しい雨が降ってきた。
巫女は呆気に取られて、椅子から転げ落ちた。
「あんた、一体なんなのよー」
「空の国の娘で、デイヴィッドの妻。イシパだ」
イシパは巫女を助け起こすと、フォークを手に握らせた。
「さあ、雨は降った。ごはんを食べなさい」
巫女はしばらくフォークを持ったまま固まっていたが、猛然とヤケ食いを始めた。とてもいい食べっぷりであった。