167.浮かれる夫
ヒルダたちに盛大に見送られ、デイヴィッドたちはアッテルマン帝国の帝都を離れた。色んな街や村に寄っては商品を売る。良いものがあれば仕入れもする。
デイヴィッドは街を歩きながら、目を輝かせて商品をじっくりと品定めする。デイヴィッドは、金属製の装身具を取り扱っている小さな店で足を止めた。
デイヴィッドは金細工の繊細な櫛を手に取る。持ち手のところが、可憐な花の透かし彫り。花にはいくつか小さな宝石も埋め込まれている。
「これをいただこう、素晴らしい細工だ」
デイヴィッドの言葉に、細工師は顔をほころばせる。
「ありがとうございます。実は、揃いの手鏡もあるのです」
櫛よりも、もっと細かな細工が施された手鏡。蝶と花がキラキラしている。
「いいな。他にもあるかい?」
細工師は喜びで顔を紅潮させて、次々と木箱を運んでくる。今まではほとんど売れなかった、お高い品々。昔、若気のいたりで、自分の趣味に走りすぎた、細工の細かすぎる装身具。文字通り、お蔵入りしていた。
デイヴィッドは繊細な手つきで、飾り櫛を持ち、色んな角度から見ては箱に収める。細工師はソワソワしながら判定を待つ。
デイヴィッドの前に大量の木箱が積み上がる。デイヴィッドはかすかに微笑んだ。
「全ていただこう」
「はえ?」
細工師はぴょんっと飛び上がって、すっとんきょうな声を出した。
「妻への贈り物にする」
「えっ」
今度はイシパが叫んだ。
「こんなにたくさん、もらっても困る」
途端にデイヴィッドの顔がくもった。イシパは慌ててデイヴィッドの肩を両手でつかみ、ガクガク揺らす。
「私たち、今は旅の途中じゃないか。こんなに装身具持ち歩くわけにいかないだろ。もちろん気持ちは嬉しい。ありがとう」
デイヴィッドの顔がゆるんだ。
「そう言われてみれば、そうだったな」
細工師は歓喜から絶望に落とされて、呆然としている。え、全部買ってくれるってのは、やっぱりなかったことに? え?
「では、ヴェルニュスに送っておこう。どこかの港で送ればいい。イシパが気に入らないものは、王都で売ればいいし」
え、もしかして、やっぱり買ってもらえる感じ? 細工師の心は大海原で翻弄される小舟のよう。細工師は固唾を飲んで、夫婦の会話の行方を見守る。
「そしたら、最初に選んだ、櫛と手鏡をもらおう。あとは、売ってくれ」
「分かった」
デイヴィッドは少しがっかりしたようだ。商会の従業員が、そっとデイヴィッドに忠言する。
「デイヴィッドさん。会長も旅の先々でミランダさんへのお土産を買って、買いすぎと怒られていました。その土地で最高の品をひとつ、ふたつ。贈り物はそれぐらいがいいと思います」
イシパはうんうんと頷いている。
「これから色んな街に行くのに、その度に荷馬車いっぱいの贈り物を買われても困る。この櫛と手鏡で十分だ。ありがとう、デイヴィッド」
「妻に贈り物をするということに、ずっと憧れていたんだ。では、その場所でひとつかふたつを厳選するよ」
従業員はアツアツの夫婦をよそに、支払いと荷積みを始める。細工師は突然手に入った大金に、腰を抜かしてヘナヘナと座り込んだ。サイフリッド商会は、いつもニコニコ現金払いを基本としている。
「急に大金を持つと危ないかもしれないですね。今、うちの品を購入されますか? 銀や金、宝石もあります」
「お、お願いします。せっかくなので、もっと高価な細工物を作ってみます」
細工師は、今受け取ったお金を、その場で使う。いくばくかのお金が、また従業員の手に戻った。
「では、また商会の誰かが新しい品を購入しにきます。好きなものを作ってください」
「ええ、本当ですか?」
「デイヴィッドさんの目にとまったということは、売れるということです。おめでとうございます。自信を持って、創作に励んでください」
「はひぃぃ」
細工師はピーンと姿勢を正して、真っ赤になった。これは夢か、いや夢じゃない。うわー。どうしよー。
その様子をこっそり見ていた他の商会は、大至急で本社に遣いを出した。
『サイフリッド商会の次男坊が結婚! 妻は普通の顔の強そうな女性。次男は散財しまくる模様。大至急、女性向けの高級品を用意して、アッテルマン帝国の主要の街に送ってください』
そして、細工師の店の商品は、他の商会に買われ、すっからかんになった。
細工師は突然降って湧いた幸運に恐ろしくてたまらない。街の顔役に相談し、お金を預かってもらい、見回りも増やしてもらうことになった。
顔役の助言で、街で一番大きい食事処に、他の細工師や商売人を招待し、宴会をした。
「幸運は皆に分け与えた方がいい。でないと嫉妬でつぶされる」
細工師は、顔役の助けを借りながら、他の職人と共同のものづくりを始め、儲けを配分していった。できた顔役がいてよかったのだ。デイヴィッド、浮かれすぎだ、気をつけろ。ひとりの細工師の人生を壊すところだったぞ。
***
その頃ヴェルニュスでは、アルフレッドがミュリエルの足をマッサージしている。
「最近、寝てるときに足がつるんだよね。そんなこと今まで一度もなかったのに」
寝てるときに、うーんと伸びをして、寝返りを打とうとすると、ピキーンと足がつるのだ。何度叫んでアルフレッドを起こしてしまったことか。
ナディアの指示により、お風呂でよく温まり、豆やナッツ類を食べることになった。ミュリエルはクルミをほおばりながら、はあっとため息を吐いた。
「妊娠って不思議なことがいっぱいだ」
アルフレッドはかいがいしくミュリエルの世話を焼く。ダイヴァからこっそり報告を受けたのだ。最愛のミュリエルが初めての出産に怯えているなんて。産まれたあとは、赤ちゃんにばかり集中せず、妻を労らわなければ。
アルフレッドは、今まで以上にミュリエルを大事にしようと固く誓った。こと出産に関していうと、男は全くの無力である。妻と子の無事をただ祈るしかない。ミュリエルのがんばりと、ナディアを始めとした助産師の力頼みである。
アルフレッドは熱心に聖典を読み、頻繁に祈った。