166.命がけなんだから労わって
自慢のそれが使い物にならなくなったオヴァインは、腑抜けになった。部屋の片隅で小さくなっているオヴァインを、妻たちが回収していく。
「離れにいてもらうことにします」
オヴァインの最初の妻が言う。
「私たち、上の妻たちでこの人の面倒を見ます。若い妻はまだ子どもが小さいから」
オヴァインの妻は六人いる。五十代、四十代、三十代にふたりずつだ。それぞれが子どもを五、六人産み、育児と教育を交代で担ってきた。六人は意外なことに仲が良い。
子どもを産む道具として扱われてきたのだ。やり切れない思いを抱える者同士、助け合ってきた。
「では、イチゴ。あとはお願いね」
「はい、お母さま」
イチゴは涙でぐちゃぐちゃの顔をハンカチで拭き、キリッと答えた。イチゴは家族と親族を全員集め、咳払いしてから話し始める。
「ラウル殿下のお取り計らいにより、お父さまは隠居されることになりました」
年かさの子らは息を呑み、小さい子どもたちは目を丸くして兄姉を見上げる。
「次の領主はサンに……」
「姉さんがやるべきだ」
サンは静かにイチゴの言葉をさえぎった。
「姉さんはずっと皆を守ってくれた。姉さんがやるのが筋だと思う。もちろん今まで以上に補佐はするから」
ニも、頷いて同意を示す。
「では、新しい領主はイチゴだな。王宮への報告は余がする。旅が終わるのに一年はかかるから、ゆっくり体制を立て直せばよい」
ラウルの言葉に、イチゴは両手を胸の前で組み合わせてギュッと握る。
「殿下、よろしいのでしょうか?」
「よいのだ。今は領主交代のことは伏せておく方がいいと思う。他の領主に食いものにされてはいかんからな。一年で磐石の体制を整えるのだぞ」
「はい、ありがとうございます」
イチゴは目を潤ませた。
「では、明日からまた皆の名前をつけようではないか。どんな名前がいいか、考えておくのだぞ。余の名づけはイマイチだと、ハリソンから言われたのでな」
ラウルは屈託なく笑う。ニとサンはさっと目をそらした。
***
ミュリエルのお腹がいよいよせり出してきた。椅子から立ち上がる時は、やーっと気合いを入れてしまう。下を見ても、もはや足が見えない。ソファーに座ってあぐらになって足を曲げないと、靴下も履けない。
ちょっと動くだけでふうふうと息づかいが荒くなる。疲れると、イヤな感じにお腹が張ってくる。いまにもパーンっと弾けそうだ。
でも、なるべく歩く方がいいと、ナディアが言うので、ミュリエルはせっせと散歩する。踊り子の練習風景を眺め、宿のお客さんと話をし、たまにお風呂に入ったり。
たいていアルフレッドが一緒に歩く。アルフレッドが忙しいときは、イローナや魔牛お姉さんがついてくれる。
今日はダイヴァが付き添ってくれた。
「ダイヴァは安産だった?」
今、ミュリエルの一番の関心ごとだ。
「そう、らしいのですけれど。私にとっては拷問のような一日でした。もう二度と無理です」
ダイヴァはつい本音を言ってしまい、ハッとして口を押さえる。
「いえ、あの。人によると思います。ミリー様は神のご加護があついですから、きっと大丈夫ですわ」
ダイヴァは励ますように、熱心に言った。
「スイカが鼻の穴から出るような痛みって、故郷の女性たちが言ってた。スイカは鼻からは出ないよねえ」
ミュリエルはとまどったように、小さな声で聞く。ダイヴァは困ったように口を少しすぼめて考える。
「シャルロッテ様は安産だったのでしょうか?」
「うーん、産むたびに、もうこりごりって思ったって。でも産んだあとはなぜか忘れちゃって、また次が欲しくなったらしいよ」
「六人ですものね。ご立派ですわ」
ダイヴァがため息まじりに感嘆の声を漏らす。ひとり産んで、すっかり若さを吸い取られたように感じたダイヴァ。六人も産んだら、二度と立ち上がれない気がする。
「ちょっと怖いんだ」
ミュリエルは周りを伺いながら、コソコソっと打ち明ける。
「それはそうですよ。だって初めてですもの。でも、ナディアさまがいらっしゃいますから。大丈夫ですよ」
「そうだよね。もうここまで大きくなってるんだもん。時期が来たら産んであげなきゃね。スルッと産まれるように、今から祈っておくね」
「ええ、私も毎日祈りますね。あとは、そうですね。産んだあとは、周りの意識が赤ちゃんに集中するので、少し寂しいかもしれません」
「え、そうなの?」
「はい、私はそうでした。妊娠中は、皆が心配して助けてくれますよね。産んだあとは、その気づかいが、全部赤ちゃんにいくんです。だから、あれ、私すごく大変な思いをして産んだのに。あれ? って思いました」
少し悲しそうにダイヴァが言う。
「そっかー、それは寂しいかもしれない」
ミュリエルは草をブチブチっとむしると、牛の口元に持っていく。ミュリエルとダイヴァは、牛がムシャムシャと食べる様子を、しばらく黙って見ている。
「私、赤ちゃんが生まれたあとも、ミリー様を一番にお世話しますからね。赤ちゃんのお世話は、他の方たちに任せます」
ダイヴァは力強く宣言する。
「ありがとう」
ミュリエルはニコニコと笑った。
「そろそろ、名前決めなきゃー」
ミュリエルはうーんと伸びをする。
「それは、ミリー様とアル様にしかできないことですから。がんばってくださいまし」
ダイヴァは皆が密かにハラハラしていることを知っている。色以外の名前がつけられますように。ダイヴァは心の中で強く祈った。