165.一件落着
ラウルはサンと話をしている。イチ曰く、次期領主に最も近い次男らしい。サンは柔和な笑顔を浮かべたほっそりとした男性だ。
ラウルは困っている。サンとの会話は少しも深まらないのだ。のらりくらり。サンはちっとも心を開かない。
「次の領主はそなただろうと聞いたが」
「どうでしょう。父が決めることですから、私にはなんとも」
「オヴァインは、子ども同士で殺し合いでもして決めればいいなどと、物騒なことを申していたぞ」
サンはふふっと笑う。
「父は冗談が下手なのですよ。もちろん殺し合いなどいたしません。父が決めるのを、皆待っています」
「そなたにとって、オヴァインはどのような父だ」
ラウルは、イチに聞いたのと同じ問いを投げかけた。
「父は立派な領主です。跡継ぎに困ることもなく、領民は飢えず。家族で領政を回し、不正などもない。税金は適切に領地に使い、私服を肥やすこともない。清廉潔白です」
「確かに、その通りだ。理想的な領地運営がなされていると思う。ただ、そなたたちがタダ働きというのが気になるのだ」
サンは穏やかに微笑んだ。
「市井には、雨風をしのぐのがやっとの家で住む者もいます。服は古着、風呂も入れず、娯楽とは無縁の貧しい者たちも。残念ながら、まだまだ我々の力が足りていません。それに引き替え私は屋敷に住み、三食不自由なく、上等な服を着られる生活です。なんの不満がありましょう」
「帆船は?」
ピクッ サンの眉が少し動いた。
「父にも気晴らしが必要です。神経を使うことが多い責任ある立場。それぐらいの戯れは許されるのではないでしょうか」
「うむ、それも一理あるな。そなたは結婚しないのか? もう三十を過ぎているのだろう?」
サンは口角をわずかに上げたまま、少し目線を下げる。
「そうですね。父から家督を継ぐことがあれば、そのとき考えます」
「この家にいるオヴァインの子どもは、誰も結婚しておらんな。なぜだ」
「殿下は、普通なら聞きにくい領域にも、入ってこられますね」
サンが眉を下げて、困った表情になる。
「王子だからな」
ラウルは胸を張った。遠慮などしていたら、この鉄壁の笑顔は崩せない。
「よし、街に行こう。そなたと共に、街を見てみたい」
ラウルは場所を変えることにした。やや慌てながら、サンがついてくる。
街に出ると、小さな子どもたちがワラワラと寄ってくる。
「サンさま。今日はオモチャはないの?」
「お菓子は?」
子どもたちはサンにまとわりつく。ラウルは幼い子たちに声をかけた。
「サンは、オモチャやお菓子をくれるのか?」
「そうだよー。カケイをきりもりしてるから、それぐらいのお金はあるんだってー」
サンがわずかに目を見開く。
「ほう、そなたにもお小遣いがあるのだな」
ラウルは嬉しそうにサンを見る。サンは額の汗をさっとハンカチで拭った。
「余ったお金の有効活用です。決して横領などでは」
「もちろんだ。子どものために、オモチャやお菓子を買うお金を、咎めたりはせぬ」
子どもたちは、サンとラウルを見比べる。ひとりの男の子が、訳知り顔でラウルにコソコソ話しかけた。
「サンさまはね、ずっと結婚できないんだって。だから僕たちのことをかわいがってくれるんだって。母ちゃんが言ってた」
サンの笑顔が固まる。
「大丈夫だ。サンももうすぐ結婚できる。結婚して子どももできる」
「えー、そしたらもう、アタシたちにオモチャくれないの?」
「もし結婚して子どもができても、家計を切り盛りして、オモチャを持ってくるよ」
サンはかがんで、子どもたちの頭をなでる。泣きそうな顔をしたサンは、年よりも若く見える。ラウルはギュッと唇を噛み締め、サンの顔を見つめた。
「よし、決めた。そなたの別名は『楽しい贈り物をする微笑みの人』だ」
「なっが」
ハリソンが思わず突っ込む。
サン、別名『楽しい贈り物をする微笑みの人』は、いつの日か、略されてサンタの人さんと呼ばれるようになるだろう。
イチニサンの話を聞いたラウルは、決意した。もういいだろうと。無私で無欲で滅私奉公な、数字で呼ばれるオヴァインの子。彼らを救うために、ここに導かれたのだ。
ラウルは屋敷に戻ると、単刀直入に言う。
「オヴァイン、そろそろ家督を子どもに譲ってはどうだ。イチもニもサンも立派な大人だ。すぐにでも領地運営ができるであろう」
オヴァインは目を見開き、両手を大きく広げる。
「殿下、我が家のことに口出ししないでいただきたい。これは領主であり、家長である私が決めることです」
オヴァインは、道理の分からぬ子どもに噛んで含めるように、ゆっくり言う。余裕たっぷりの態度だ。
「余はいずれ王となる。全ての領民は余の子どもと同じだ。余も家長であるぞ。娘と息子が苦しんでいるのに、放置することはせぬよ」
ラウルは顔を上げて、まっすぐオヴァインを見る。凪いだ静かなラウルの目を見て、オヴァインは困った子だと言いたげに肩をすくめた。
「ほう、それはそれは。ではどうされますか? 力づくで私を排除しますか?」
「いや、そなたは長い間、領地のために働いてくれた。長年の功労に敬意を表すとともに、輝かしい門出を祝福しよう」
「は?」
「もう無理に子どもを作る必要もない。ゆっくりと休め」
「なに?」
「コラー、頼む」
ラウルとコラーの目が合った。以心伝心、思いは確かに受け取った。
ていっ オヴァインの男の象徴、金の双玉が石に変わった。
「ギャアアアアア」
ズシリと重みを増したそれを押さえ、オヴァインは床に崩れ落ちる。部屋は氷のような沈黙に包まれた。
「ラウル、それはさすがにひどくない?」
ハリソンが沈黙を破り、痛そうな顔で言う。
「そうかもしれぬが、イチは喜んでおる」
扉の向こうで、イチが両手を挙げ、快哉を叫んだ。
「子も成せぬ石の腹を持つ女は、無価値だから、家のために一生タダ働きしろと言ったな。子を成せぬ石の玉を持つ老人は、さっさと隠居しろ」
イチは震えながら、オヴァインに恨みをぶつける。
「よし、イチの別名は『一矢報いた勇者』でどうだ」
ラウルが、場の空気に全くそぐわない、のほほんとした声で言った。イチは涙を流しながら答える。
「できれば別名はイチゴがいいです。かわいいから」
「分かった。ではそなたの別名は『一矢報いたイチゴ』だ」
「ありがとうございます」
イチゴは号泣した。
うめき声をあげ、のたうちまわる元領主。大泣きする長女。呆然として表情を無くしたサン。
混沌としている部屋に、ご褒美をねだるコケーッが響いた。