164.やっぱり肉が好き
ラウルは、オヴァインにズバリと聞いた。
「もしそなたが気にしないならば、子どもら全員に別名を授けたいと思うが、どうだ?」
オヴァインは虚をつかれたように、目を瞬いた。
「それは、光栄なことでございます。よろしいのですか?」
「うむ、素晴らしい領地を見せてもらった礼だ」
「ありがたき幸せにございます」
オヴァインはうやうやしく跪く。王子から名をもらえるなど、普通はないことである。
ラウルは、「名をつけるに当たって、全員と少しずつ話をしたい」そう言って、ひとりずつと面会することになった。
ニは男だ。体が弱く、寝込みがちということで、執事伝いで丁重に断ってきた。ラウルは強引に部屋を訪れる。
「すまぬな、寝ているところを。いや、よい。そのまま寝ていてくれ」
ラウルはすまなそうに言う。ニは、身の置きどころがないように、ベッドの上で居心地悪そうにしている。
「イチから話を聞いてな。帆船のことを。それで、皆から話を聞きたいと思ったのだ。名をつけるには、そなたの好きなことなどを聞く必要がある。ざっくばらんに話してくれ」
無茶苦茶言ってるなー、ラウル。隣で聞いているハリソンは思った。突然、王子が部屋に押しかけて、ざっくばらんに話せる強者はいないだろ。
「殿下、私はなんの役にも立たない半病人です。どうか、私ではなく、他の者にお時間をお使いください」
ニは切羽詰まった表情で言葉を絞り出し、頭を下げた。
「なぜそのように謙遜する。イチに聞いたぞ、この領地に飢え死にする者が出ないのは、そなたの考案した仕組みのおかげだと」
あ、という顔でニがラウルを見る。
「日雇いで一日働けば暮らせるように、最低の賃金を決めたのだろう? 贅沢はできなくとも、それなりに生きられるようになったそうではないか」
どういう顔をすればいいのか分からない、そんな風にニは身じろぎする。
「そなた、日雇いの者に、毎日何を食べているか聞いて回ったそうだな。青白い顔をしたフラフラの領主の息子が聞き取りにきたと、話題になっていたそうだぞ」
「それは、たまに見る日雇いの者たちがあまりに痩せ細っていたので」
「うむ、それでそなた、雇い主たちに言ったそうだな。毎日肉を食べているあなた方と違って、彼らは月に一度も肉を食べられないのだ。せめて、週に一度は肉を食べられる賃金を払ってやれ、と」
「は、はい。ゴミをあさって食べているという話を聞いて、カッとなりまして」
「それで、最低賃金を話し合って決めたのだな。素晴らしいではないか。ニのふたつ名をな、『肉食の聖者』にしてはどうかと思ってな。ニだけに」
ブフッ ハリソンが吹き出した。
ニはボーッとしながら口を開いた。
「私はあまり肉は食べないのですが」
「そうか。ではもっと肉を食べるといいぞ。そうすれば強くなるかもしれぬ」
「あ、はい」
「では、異論はないようなので、そなたの別名は『肉食の聖者』ということで」
「あ、はい」
あ、断らないんだ。ハリソンは笑わないように必死でこらえる。
この話はジワジワと領地に浸透した。肉屋たちは、肉食の聖者の言葉に共感し、週に一度、細切れ肉などを安く売り出すようになる。週に一度の肉の日は、貧しい者たちの生活に活力を与えた。
ニは、領民たちから親しみを込めて、肉食さんと呼ばれるようになった。肉はあまり食べなかった、肉食さんは、少しずつ食べる肉の量を増やし、徐々に元気になってきている。
***
ヨアヒムと側近たちは、ゴンザーラ領出身の狩人たちと共に、森に狩りに出ている。
「弓も槍も使わないとは。本当に石だけで狩るのだな」
ヨアヒムも、もちろん石投げはできるようになっている。しかし、石で狩りをするのは初めてだ。
「猟犬に獲物を追わせて、馬上から弓で仕留める狩りしかしたことがない」
「草原なら馬に乗る方がいいですけどね。森では歩くか、木の上で待ち伏せする方が早いですよ」
「私は木には登れない」
「ああ、それは……」
ヨアヒムは、哀れみを込めた目で見られた気がして、居心地が悪くなった。木に登れないというのは、それほど情けないことなのだろうか。ヨアヒムは、今までの自分の常識がグラグラと揺れるのを感じる。
「大丈夫ですよ、殿下。一週間ぐらい毎日練習すれば、登れるようになりますから」
慌てて慰めてくる狩人たち。すごいな、王族にこんな距離感で接する民がいるとは。ヨアヒムは少しおもしろくなってきた。
「殿下、もし本気で狩りをするなら、髪は短い方がいいですよ。枝に引っかかる。それに、万一、密猟者と戦うことになったら、髪をつかまれると最悪ですから」
「あ、ああ。そうか、分かった」
側近たちがハラハラして見ているが、ヨアヒムは気にならない。面と向かって、髪を切れと言われるなんて。
「そうだなあ。皆さん、狩りができる歩き方じゃないですね。足音が大きすぎる。これでは獲物がみんな逃げてしまう」
狩人たちはヒソヒソと相談し始めた。ヨアヒムたちは、申し訳ない気持ちになる。
「殿下たちは、俺とここで待っていてください。他のヤツらがここに獲物を追い込みます」
狩人たちは、足音ひとつ立てずに、あっという間に森の中に消えた。
ただ、ひたすら待つだけの時間が過ぎる。ヨアヒムは、隣の狩人を見ながら、なるべく気配を殺すように努めた。王家の影とは異なる気配の消し方だな、ヨアヒムは思った。影は静だが、狩人は動だ。野生の獣が自然とそこにある、森に生きている、そんな雰囲気なのだ。
どのように暮らせばこうなるのか。ヨアヒムは狩人を観察する。誇示するような、これ見よがしの筋肉ではない。細身だがしなやかな肉体は、どこまでも、いくらでも走れそうな、無尽蔵の力を秘めているように見える。
狩人の気配が変わった。静に。まるで木のよう。ヨアヒムは息を止めた。
狩人に合図され、ヨアヒムは石を構える。茶色の大きな生き物が、ヨアヒムの前を通り過ぎる。ヨアヒムは夢中で石を投げる。当たった。確かにその感触を手に感じる。
「弱い」
狩人は言い、続けざまに石を投げる。
ドウッ 美しい角を生やした雄鹿が倒れた。
「殿下、とどめを」
「え?」
「首を切ってください」
狩人はヨアヒムの腰の短剣を見る。
「あ、ああ」
「切る前に祈ります。一緒に祈ってください」
狩人は鹿の前に跪き、手を合わせる。
「父なる太陽、母なる大地、我ら大地の子。今日の恵みを感謝いたします」
ヨアヒムは、狩人の後に続いて祈ったあと、震える手で鹿の首を切る。赤い血がドクドクと流れ、ヨアヒムの手を染める。温かい生き物は、ビクビクと震えながら、徐々に動きを止めた。
ヨアヒムは、はっと息を吐く。続いて深く吸う。呼吸の仕方を忘れてしまったみたいに、息がうまくできない。
狩人たちは、手早く血の上に土をかけると、雄鹿を担いだ。
「本当は殿下が担ぐべきなんですけど。服が汚れてしまいますから、今日は俺が」
ヨアヒムは、自分の着ている、上質な狩猟服を見る。狩人たちは、いつも通りの普段着だ。硬そうな布、つぎはぎの当たった肘、すりきれた裾。ヨアヒムは、なんだか息が苦しくなる。
「殿下は、解体をしたことはありますか?」
「いや、ない」
「ああ……」
やっぱり、そんな男たちの声が聞こえた気がした。
「教えてくれるか?」
「ええ、もちろんです。自分が狩った獲物は、自分で解体して、好きな女に肉を贈ると惚れられますよ」
「ははは。王都に戻るまでに、狩りも解体もできるようになる」
ヨアヒムは、笑った。大きな声で笑うと、息がしやすくなった。
「狩りと解体が気軽にできるような服がいるな」
「探しておきますよ」
狩人はニヤッと笑う。ヨアヒムは、狩人との距離が少し縮まった気がした。まだまだ学ぶことが目白押しだ。ヨアヒムは、次こそは自分の力で仕留める、そう誓った。




