163.一瞬の美学
うわー、ないわー。
翌朝、オヴァインに家族全員を紹介され、ハリソンはドン引きした。チラッと隣のラウルを見ると、ラウルも青ざめている。
大きめの宴会場が、ぎっしりと人で詰まっている。なんと、屋敷の使用人もほとんど、親族と家族でまかなっているらしい。
「代々子だくさんな家系でして。私の兄弟の子どもなんかも合わせると軽く百を超えます。給料を払わなくていいですから、経費が浮きますし。その分、領地にお金が回せる」
突っ込みどころが多すぎて、ラウルは何から言えばいいか分からない。
「たとえ家族とはいえ、給料は払うべきではないか」
「衣食住を提供しているので十分でしょう。見栄えのいい者は、他家に嫁や婿に出しています。売れ残りを養って、領地のために働かせているのですよ」
「それでは、まるで奴隷ではないか」
「人聞きの悪い。大切な家族ですよ」
部屋を変え、オヴァインと話すも、話が噛み合わない。同じ言葉を使っているはずなのに、ラウルにはちっとも理解できない。考え方が違いすぎる。
だんだんラウルは、自分の考え方がおかしいのかと感じ始めた。オヴァインは自信たっぷり、堂々と語る。
「私は八男でした。虎視眈々と機会を伺い、跡継ぎの地位を得たのです。最も強く、優秀な者が群れを統率すべきです。そして、子を成し、競わせ、次代へと引き継ぐのです」
「跡継ぎは決まっているのか?」
「さて、殺し合いでもして生き残った者がやればよいのですよ。私もそうやって領主になりましたから」
「そなたが決めるのではないのか?」
「いえ、勝ち残った者が私を倒せばいいのです。隠居に追い込まれるのか、はたまた死か。神のみぞ知ることです」
「王家より殺伐としておるな」
「それは光栄です」
オヴァインは大げさに頭を下げる。
ラウルは頭痛がしてきたので、オヴァインとの対談は終わりにし、領地を見学することにする。長女のイチが案内役を買って出てくれた。
控えめな態度でありながら、的確にラウルの問いに答えるイチ。ラウルはまともな会話が成り立ち、フッと肩の力を抜いた。得体の知れない魔物と対峙しているような気がした、オヴァインとの時間。ラウルは知らず体がこわばっていたようだ。
「そなたにとって、オヴァインはどのような父だ」
イチはひと呼吸おいてから、ゆっくりと答える。
「父というよりは、常に領主です。平民の家族のような、近しい間柄ではありません」
「そうか。余も近しい家族関係ではないが。子どもの名前を数字にするのはどうかと思った。しかし、領地はよく管理されているようだ」
街はきれいに整備され、物乞いなどは目に入らず、活気があるように見える。
「はい、飢え死にするような者はおりません。仕事のない者には、日雇い仕事が斡旋されるようになっています。病気や老いて働けない者を支える仕組みもあります」
「それを聞くと、とてもいい領主なのだなと感じる」
イチはなにか苦しそうな顔をしている。何度も息を吸い、はあっと荒く吐く。イチは手の平の汗をハンカチで拭った。
「父の、あの人の趣味は帆船模型です。精緻な帆船を、ガラス瓶の中に入れて飾ります」
「ほう、それは興味深い。いくつか見たことがあるが、人間技とは思えない細かさだった」
ラウルの目がきらめき、顔が少し上気する。イチは、何度も唾を飲み込んだ。
「残念ながら、屋敷にお見せできる模型は残っておりません。あの人は、完成したものを、粉々に割ってしまいます。その瞬間が何より楽しいようです」
イチはブルっと震える。
「精魂込めて完璧に作り上げたものを、壊す。それが彼の喜びです」
イチは立ち止まって、必死でラウルを見る。
「殿下、どうか助けてください。あの男は、いずれこの領地を滅ぼします」
乾いた風がラウルとイチの間を吹き抜けた。
***
ヴェルニュスは農業に酪農に、大忙しだ。パッパがたくさん野菜の種を仕入れてくれる。今日はアスパラガスの種植えだ。
「アスパラガスおいしいよねー」
ミュリエルはウットリと種を見る。
「食べられるの、三年後だけどね。僕、食べられるかな」
ウィリアムは首をひねる。
「まあ、そんなに時間がかかりますの?」
「気軽に食べておりましたのに、驚きましたわ」
農作業をへっぴり腰で手伝っていた魔牛お姉さんたちは、額の汗を拭いながら目を丸くする。
「野菜育てるのって時間かかるからね」
「三年後のために、今働くのですね。食べるのは一瞬ですのに」
ミュリエルの言葉に、魔牛お姉さんは遠い目をする。生まれて初めて、クワやスキを手にした。石投げで筋肉がついたと思っていたのに、少し土を耕すだけで、腕も足もプルプルする。
アスパラガス、食卓に並ぶのは数本だ。数分で食べ切ってしまうのに。
「料理だってそうだよ。狩りも。時間かけて準備して、食べるのはすぐだもんね」
「そうですわね」
頷いてはいるものの、魔牛お姉さんたちは自分で料理などしたことがないので、ピンとこない。
「少し違うかもしれませんけれど。結婚式の準備、衣装の刺繍などもそうですかしら。時間をかけて、色んなことを調整して。でも結婚式、あっという間でしたわあ」
楽しかったあの日を思い出して、魔牛お姉さんたちは華やかに笑った。
「食べるのも一瞬、結婚式もあっという間。でもおいしいもの食べると元気になるでしょう。結婚式のことは、ずっとおばあちゃんになるまで覚えてると思う。だから手間暇かければ、ちゃんと返ってくるよ」
ミュリエルの言葉に、魔牛お姉さんは顔を輝かせた。
「そうですわね。これからは、野菜をひとくち一口、味わって大事に食べますわ」
「三年後なら、私もアスパラガス食べられると思うし。楽しみだなあ。母乳の味が変わるから、授乳中はアスパラガスは食べない方がいいんだって。ナディアが言ってた」
「まあ、そうなんですの。知りませんでしたわあ」
なんの気なしに食べていたアスパラガスに、そんな逸話があったなんて。三年後、自分は母親になっているだろうか。魔牛お姉さんたちは、未来を想像しながら、せっせと土をほぐす。
見るからに貴族な女性たちが、小汚い格好で一生懸命に農作業をしている。ハラハラしながら見ていた領民は、意外にたくましい魔牛お姉さんたちに、見る目が変わった。これからたくさん産まれてくる子どもたちのために、おいしい野菜を育てよう。
ヴェルニュスの春は優しい空気に満ちている。