162.それは子どもへの最初の贈り物
ヴェルニュスの領民はミュリエルを敬愛している。最高の領主だと思っている。本当にありがたい。心の底からの本音だ。そんな領民たちが、一点だけ案じていること。
「夏頃だよね」
「そう。ドキドキする」
「とにかくミュリエル様が元気で、お子様が無事なら、それが一番だよ」
「そう、そうよね」
女たちはヒソヒソと話し合う。
「でもさ、でもさ。やっぱりさ」
「分かるよー、みなまで言うな」
「ダイヴァさんにそれとなく聞いてみようか」
「さっきから何話してるの?」
ギャッ 女たちは飛び上がった。後ろでウィリアムが目を丸くしている。
「ウィリー、なんていいところに」
「実はね……」
女たちはコソコソとウィリアムの耳元にささやいた。
「ああ、名前ねー」
ウィリアムがケラケラと笑う。
「ウィリー、笑い事じゃないのよ」
「そう、どうするの? もしもよ、もしも」
「ピンクって名前になったら」
「いや、それはないって。アル兄さんが止めるって」
ウィリアムは軽く言うが、女たちは必死に頼み込む。ウィリアムは重大な任務を引き受けざるを得なかった。
ウィリアムは羊の放牧場まで走って行く。暑くなる前にということで、今日は羊の毛刈りの日なのだ。羊の毛刈りは熟練の技が必要なので、ゴンザーラ領出身の男たちが中心になってやっている。
羊をゴロンと転がし、手際よくハサミで刈っていく男たち。ウィリアムは毛刈りを見学しているミュリエルに話しかけた。
「ミリー姉さん。子どもの名前どうするの?」
「何よ、いきなり。産まれてから決めるけど。なんで?」
「色の名前はやめときなよ。アカとかシロとかさ」
「当たり前でしょう。すっごい名前つけるから。楽しみにしといて」
ミュリエルは自信たっぷりに両手を腰に当てる。
「アル兄さんと、よーく相談しなきゃダメだよ。ひとりで決めちゃダメだよ」
「分かってるってー」
ウィリアムは、これで役目は果たしたと、毛刈りの手伝いに行く。刈った毛をヒモでグルグルに縛って、倉庫に持っていくのだ。ウィリアムが縛り、子どもたちがモコモコの毛を倉庫に運ぶ。
牧歌的な風景が広がる中、ミュリエルは考え込む。
「名前ねえ」
アルフレッドとミュリエルをうまくまぜてー。女の子なら、アリエル。男の子ならルフィーとかどうよ。お、結構よくない? ふははは。どう、この冴えわたるひらめき、豊かな感性。ドヤァ。
「よーし、あとでアルに相談しよーっと」
上機嫌だ。自己肯定感の強いところが、ミュリエルの長所である。
後ほど相談されたアルフレッドはニコニコ笑う。
「とてもいいと思うよ。でも、アリエルはきっと、アリーって呼ばれるよね。誰かが、アリーって呼んだら、ミリーも僕も、振り返るんじゃないかな」
「あっ、ホントだ」
「歴代の王族の名前を見ながら、一緒に考えよう」
「うん、楽しみだね」
とても自然に、ミュリエルをいなせるようになったアルフレッド。領民はアルフレッドを崇めるがいいぞ。
***
その頃、とある領地でラウルたちは接待を受けている。とても栄えていて、隅々まで整った領地。さぞかし優秀な領主なのであろう。ラウルは気を引き締める。
晩餐の席には、五十代ぐらいの領主と、十代の男女がずらり。
「ラウル殿下と晩餐を共にできるなど。なんという幸運でしょうか。我が領地にようこそ。ぜひごゆるりとお過ごしください」
オヴァイン・グリュンドル領主は威厳たっぷりに話しかける。
「うむ、突然訪れてすまない。素晴らしい領地と見てとった。どのように領地運営を行なっているのか、教えてもらえぬか?」
ラウルの言葉に、オヴァインはヒゲをピクピクさせる。
「お褒めに預かり光栄です。幸い、子宝に恵まれましてな。優秀な子どもたちに、きっちり管理させているのですよ」
オヴァインが同席している若者たちを、満足そうに見回した。
「この者たちは、皆、そなたの子どもか? 十人はおるが」
ラウルは唖然とする。確かに、オヴァインの面影のある男女。理知的だが、どことなく表情が優れないように見える。
「子どもは実は、三十人ほどおります。貴族の務めは子作りですから。妻を複数持ち、毎年産ませております」
ラウルはフォークを取り落とし、ハリソンは口を大きく開けた。
「そこで給仕をしているのが、長女のイチです。殿下と年齢が近い子どもを同席させております。殿下は十二歳でいらっしゃいますね。そこの娘が同い年です」
ラウルの正面に座る少女が、緊張した様子でラウルを見る。
「そうか、よろしく。そなた、名はなんと申す?」
「はい、ニジュウニと申します」
「ニジュウニ? おもしろい名前だな。どういう意味があるのだ?」
「はい、二十二番目の子どもという意味です」
少女は淡々と言い、ラウルは思わず咳き込んだ。
「まさか、オヴァイン。そなた子どもを数字で呼んでいるのか?」
「ええ、そうです。効率的かつ、あまり他とかぶることのない名前ですゆえ」
晩餐会は全く盛り上がることなく終わった。
ラウルたちは、早々に部屋に引き上げさせてもらった。疲れている。そう言えば、あっさりと受け入れられた。
ラウルの部屋で、ラウルとハリソンは向かい合って座る。ラウルは深々とため息を吐いた。
「ハリソン。あの名前のつけ方は、どうなのだろうか。あれは、普通なのだろうか」
「ああー、あれはちょっと、うーん。悲しいよね」
ラウルは少し暗い顔をして、椅子の肘掛けを指でなぞる。
「余もそう思った。余の名前は、父上がつけてくれたのだ。初めての男子だから、国の名前に似せてもらえたのだ。余は、ラウルという名が誇らしい。この名に恥じぬ、立派な王になりたいと思う」
「そっかー、そうだね。とってもいい名前だね」
ハリソンは考えながら、ポツポツと話す。
「土地によって名前のつけ方って違うと思うんだけど。そういう風習で、本人たちがそれでいいなら、いいと思うんだけど。あの人たちは、なんか嬉しそうには見えなかったよね」
「もう少し話を聞いて、必要なら、名前を変えるように言ってみよう。余計なお世話かもしれぬが」
「余計なお世話をするための領地漫遊でしょう。ラウルがいいと思うことをやればいいんじゃない」
ハリソンが明るく言い、ラウルはしっかりと頷いた。なんなら、三十人分の名前を考えるぞ。ラウルは決意した。